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脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい⑩

「脳出血(*_*)でも、お役に立ちたい」シリーズを始めたのは、リハビリを楽しんでいる私が、リハビリ友だちと離れ離れになるのに転院することになった事情を書かなければならないと決心したからだ。なぜこの病院に失望したのか、をお役に立つ事を考えながら書いているつもりだ。書いていて細々たくさんありすぎて回数を重ねてしまい、嫌なことほど後回しという形になっている。⑨は、自分でも書いてよいものか、躊躇しながら書いた。思い出して、少し辛くなった。気持ちを切り替えたくて「1年1組」の3回を書いたのだが、気が付けば退院日が近づいている。入院中にこのシリーズを終えないと、退院後に記事を書く時間を確保できるか分からないので、近いうちにこのシリーズは完結したい。

⑨では、「大腸内視鏡検査(腸カメラ)」を終えたところで終わっていた。実はこの日の検査後のことはよく覚えていない。脳出血した日のことはあれほど細かく覚えているのに、腸カメラの検査後、部屋にどう戻ったかさえ覚えていない。ただ、点滴は増えて、輸血が始まった。点滴は止血剤と栄養点滴だった。頻繁に血液検査もあったように思う。この日の朝から3日間、水分以外口にできなかった。出血が止まるまで食事はありませんと言われた。たまにお茶が入ったコップが横に置かれたのでそれを自分で飲んだ。検査前にあれほどきつく禁止されたポータブルトイレは検査後すぐ使うことが許された。今更ながらであるが、検査前の処置でベッドに横たわりながらの排便の強要自体が私の身体にとっては大きな負担であった。この体勢で排便はできないと言っている患者に腸を絞り出すような事をさせて出血するのは当たり前だ。あの時の大出血は病院側の配慮不足による人災だったと今も私は思っている。他の病院ではこんなことが起こらないように願う。
私の辛い経験が、どこかで、病院の改革につながりますように。

「1年1組」シリーズを読んでくださった方は私の隣の空間に91歳のHさんと言う方が登場したのを覚えてくださっているかと思う。
私は夜にトイレに起きることはないが、Hさんは夜中に数回トイレに行く。移動のたびに見守りが必要なので、そのたびにナースコールを押して廊下にあるトイレに行っていたが、眠いので危なっかしかったらしい。ベッドの横にポータブルトイレを置きましょう、と言うのが聞こえた。Hさんの部屋が狭くなるだろうな、とか食事の時に近くにあるのは気にならないのかな、とか考えて聞いていたが心配無用だった。夜8時くらいに知らないうちにポータブルトイレが置かれる。運ばれる音さえ静かなので気付かなかった。朝のトイレが終わるとまた静かに撤去される。そんな静かな台車はどんなものか見てみたいが、音がしないので見逃して、今も見たことがない。でも、台車で運ぶと言っていた。昼間はつまりポータブルトイレはHさんの部屋の中に見当たらない。

これだけで文字数を重ねることは申し訳ないが、これは他の病院も見習ってほしい。夜に一度、そのポータブルトイレを見ることができた。隅々までぴかぴかできれいなトイレ。全く臭いがしない。看護師さんが一生懸命にあちこちにスポンジを付けていた。何をしているのかと聞くと、夜中に開け閉めの音で他の人を起こさないように工夫しているという。しかも、Hさんに静かな開け閉めの練習をさせている。私は睡眠剤を飲んで寝ているので他の人がトイレに行く音が気になったことがない。苦情があったからではなく、病院側の先取りの配慮のようだ。
Hさんは、このトイレがお気に入りだ。このごろ、夜眠くなったら、ナースコールを押して、そろそろポータブルトイレ持ってきてちょいだい、とお友だちを呼び寄せるみたいに言っているのが聞こえる。

私は、前の病院の5階にいる時には、臭いポータブルトイレの横で食事を摂っていた。3日間の絶食の後で味のない重湯が朝昼晩と数日出されたが、横に置かれたポータブルトイレの臭いが重湯に混じるような環境だったと言えば、病院の配慮の違いがお分かりいただけるだろうか。

話を、検査が続いた日々のことに戻そう。理学療法士(PT)さんは、私の所に毎日来てくれた。大腸内視鏡検査(腸カメラ)の日も、よく覚えていないのだが検査の前か後に来てくれて、今日はリハビリ無理そうですね、と言って帰ったのをうっすら覚えている。

腸カメラ翌日の胃部内視鏡検査(胃カメラ)は、1時間ほどでできるので、その前にPTさんが迎えに来てくれてリハビリがあった。彼に車椅子を押してもらってリハビリ室に行った。彼はカルテを見てから来てくれたようで、とても私のことを心配してくれた。私は、彼に心配かけまいと必死だった。大丈夫なふりをしようとしたが、彼の一言で実は涙がこぼれそうになって、こらえるのが大変だった。彼は「どうしてこの服?」と言ったのだ。私はその瞬間まで、前日からおむつ一枚の素肌に着せられた検査着のままであることに気が付いていなかった。ただ、彼が迎えに来てくれた時に、前日看護師が私のお尻を雑に拭いた時に飛び散った血が混じった便が乾いて、ざらざらした土のようなカスになって布団の上にあるのを、彼が何も言わないで布団から床に落としてくれたが、私は部屋じゅうにそれの臭いがいっぱいだったのが恥ずかしくて、検査着どころではなかったのだ。

私は「昨日検査でこの服を着せられて、今日も検査があるからこのまま。」と答えた。この時は、彼が私の検査のことを知らないと思っていた。彼に心配をかけたくないと思っていたけれど、検査着を着たままだから心配をかけてしまう、と情けなかった。彼の方は、それよりも、いつものパジャマズボンを履いていなくて、リハビリパンツを履いた足が丸見えの状態で多くの人がいるリハビリ室でリハビリをすることを気にしてくれていた。
彼はまず、検査着の外側の紐をぎりぎりのところできちんと結びなおして胸のところがはだけにくくしてから、スタッフルームにクリップを取りに走った。私はそのすきにこぼれかけていた涙を袖で拭いた。彼はクリップを手にして戻ると、検査着の前裾辺りを挟んで、太ももが見えないようにしてくれた。

この日のリハビリで、いくつか検査をした。今から思うと、自分の精神力の強さにあきれてしまう。月曜はCT検査、火曜は大腸検査、この日は水曜で、胃部内視鏡検査(胃カメラ)があったというのに、リハビリでどれくらい良くなったかを金曜のカンファレンスで報告すると言うので、まだ実施していなかった残りの検査をした。PTさんは私に無理なことをさせなかったが、私は前日の検査で体力も気力も尽き果てていたのに、クリップで裾を挟んでもらった検査着の姿で、「私は負けず嫌い。」と言って4点杖で必死に立って歩いて、笑っていた。泣いていない。いつものように笑っていた。PTさんを安心させたくて自分で勝手に無理をしていたのかもしれない。

胃カメラのことで、前日に主治医と言い争いをしていたのに、私が素直にこの検査を受けたのは不思議だった。たぶん前日の検査後の記憶がほとんどないので、その間に私がサインをしてしまったと思い込んでいたのだと思う。
「お役に立ちたい」⑧で書いたように、実際には夫が輸血のサインをするよう病院に呼び出された時に、胃カメラと木曜の大腸内視鏡検査(腸カメラ)のサインまで、出血大サービス(怖い冗談)でパパっとやってしまっていた。

検査着は前日にもう着替えていたし、前日から何も食べていない。胃カメラ検査は、私をゴロンと硬いベッドに載せて運ぶだけだ。朝、看護師に、この病院で前に胃カメラ検査した時に鼻からの検査だったから、今日も鼻からの検査かと尋ねたが、先生に確認して下さい、と言われた。検査の直前に患者自身で確認しないといけないなんて、なんて不親切と思った。検査室に着いてすぐに医者を見つけて、「今日の検査は鼻からですよね。」と言うと、医者は不機嫌そうに、「いや、口から。」と答えたので、私は頭を起こして抗議した。「前にこの病院で胃カメラした時は鼻からでした。口からだと吐きます。気分が悪くなります。」と言うと、医者は、「鼻からだと細かいとこ見えにくいんで。麻酔して寝てる間に終わるから。」と言って、麻酔の指示をした。たぶん私は「はい。」と返事してしまったのだろう。気がつけば病室に戻っていた。喉が痛くて腹が立った。3か月前の胃カメラ検査の結果を渡しているというのに、今回絶対に不要な検査を患者の嫌がる方法で行った医者を一生許すつもりはない。リハビリ医といい胃腸科医といい、イバルのに忙しくて患者の気持ちを考える暇はないのか、アホタレら。この記事を読んでいる方の中にお医者様さまサマがおられたら、患者の恨みってこんなに強くて永い事を覚えておいてほしい。

この日も、何度も夫から電話があった。血液検査の結果が悪かったから輸血のことで呼び出されたと言っていたと思う。医者に感謝しろとか言われてすごく嫌だったが、研修医の息子と連絡を取っているようで、息子に心配をかけたくなくて我慢して聞いた。2パックぐらい輸血したと思う。夕方、看護師に検査着を着替えさせてほしいと言うと、明日も腸カメラすることになったので、そのまま着ておいてと言われた。1回目の検査で私自身がサインしているから、明日同意書を持ってきたら、絶対に拒否すると決心していたが、夜にも夫から電話があり、検査を受けろときつく言われた。リハビリの時に強かった精神力は、夫からの電話では簡単にポキンと折れた音がした。翌日、サインをした覚えがないのに、2回目の大腸内視鏡検査を受けることになった。

また、ダラダラと長くなったので、続きは次回に書く。

ビューとやら言うもの、たぶん私の記事を見に来ていただいた数らしきもの、がいつの間にか1,000を超えた。
たくさんの見知らぬ読者様、ありがとうございます。また、あたたかい励ましのコメントもいただいていて、できる限りnoteを続けようという気になっています。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
Ronme





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