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脳出血(*_*)、骨折(TOT)でも、歩こう③

2024年4月26日、午後一時、手術室のドアが開き、私を乗せたベッドは、その中に吸い込まれた。
私はこれから、4月18日に転倒して負った、左大腿部頸部骨折の手術を受けるのだ。

手術室に入ってすぐに、優しそうな顔をした若い看護師が私を運ぶベッドの横で、今回の手術を担当しますと挨拶して、痛くて唸っている私の顔をのぞき込んだ。そして、私の髪に、自身と同じシャワーキャップのようなカバーを丁寧にかけながら、あそこが、Rさんの手術を受ける場所です、と指さした。私は、その方向を見て、初めて、その手術室が、体育館のように広い場所だと気がついた。

手術担当の看護師は、私を運びながら、まずは、手術のためのベッドに移りますね、と言った。
私にとっての第一関門だ。それまでも、うなったり、うめいたり、荒い呼吸で全身に苦しさを表していたが、私の身体を移動させるということが、拷問のように苦しいことは予想していた。恐怖に震えながら、私は、絶対に叫んでしまいますよ、痛いんです、ほんとうに痛いんです、と彼女に言うと、彼女は私に憐れみの表情を向けながら、ごめんなさいね、気をつけますね、ゆっくりしますね、と言って、手術用のベッドに私を移そうとしたが、彼女が力を入れた瞬間に、私は、広い空間の隅々に聞こえるほどの絶叫を上げた。
数人の看護師が、集まってきて、彼女の手伝いをして、私を手術用のベッドに移し終わる頃には、私の絶叫の数は10を超えていたと思う。

手術用のベッドの上で、手術の準備が終わる頃に、主治医である手術医が、手術着を着て近づいて来るのが見えた。そして、「ほんま、痛いんやな。30年間この仕事してきて、こんな苦しそうな患者は初めてや。」、続いて、「ペインクリニック行った?」と私に友だちのように話しかける。気さくと言えば気さくなのかもしれないが、ドラマで見る手術シーンとは全然違う。病院の中にあるペインクリニックに行きなさいとは言われたが、ベッドから移動しないと行けないと看護師に言われて、どうせ絶叫するのが分かっていたから行けなかったのだ。でも、そんな説明など、私が、することではない。
「いいえ、行ってません。」と言うと、「まあ、手術後でもいいか。」と、ひとりごとのようにつぶやいてから、看護師に薬剤らしき指示を出した。

手術担当の看護師が、「これから、麻酔の注射をしますよ。背中に注射しますから、横向いてもらうので、痛いよね、痛いけどごめんね。」と言って、また数人の看護師に手伝ってもらって私を横向きにさせた。私は、また絶叫する。左側の痛みがキツすぎて、背中に太い針で注射をされても、蚊に刺されたぐらいにしか感じない。
さらに、手術の準備が進んでいくのが分かる。手術箇所だけが開かれて他の場所に血が飛び散らないように、ゴム状のシートで養生している様子が分かる。医師の指示通りに色々な工具のようなものが並べられる音がする。
手術室というよりも、工場の中にいる雰囲気だ。

医師はその間も、誰か手術の担当者と話をしている。深刻な話ではない。昨日誰かと何かをして、ああだったよ、みたいな、友達どうしのおしゃべりだ。
私がこんなに痛いのに、と思って腹を立てかけた時に、それほど痛くないことに気がついた。どうやら、麻酔が効いてきたようだ。

そのうちに、私の腰のあたりでグリグリする音が聞こえてきたので、手術が始まったことが分かった。
ドラマで見たシーンとは全く違う。
医師を中心に、というよりも、医師が一方的にという形でおしゃべりが続いているのだ。こんな気楽でいいのかと思う一方、思ったよりも痛くないし、怖くもない。途中で電動工具で削ったり切ったりするような音が聞こえて、次は、金槌のようなもので、カンカンと、私の腰のあたりで叩く音が響く。
もうお任せだと、開き直ってくると、眠くなってきて、ウトウトした。

久しぶりに気持ちよく寝ていたのに、肩をぽんぽんと叩かれて目が覚めた。
手術医が、ニコニコして私の顔を覗き込んで言った。「ほらな、寝てる間に終わったで。」「え!鎮静剤使ったんですか?」「そうやで、手術は上手くいった。左足に体重かけてもだいじょうぶ。明日から歩く練習しいや。」
たしかに、手術中の苦痛はほとんどなかった。でも、精神的な不安で視床痛の痛みが大きくなるのに、不安な気持ちで痛みを大きくさせた手術医への恨みの気持ちが大きすぎて、手術を成功させてくれた彼にお礼の言葉を言うことができなかった。

ふと、壁にかけてある時計が目に入った。午後3時前だ。早い。手術担当の看護師は、手術そのものが2時間なので、前後の処置を合わせて、3時間ぐらいが目安と言っていた。だから、手術が終わるのは、3時半から4時と思っていた。
手術医は、私の反応など気にする様子もなく、扉に向かって歩いていった。おそらく、扉の向こうで待っている夫に、手術の成功を報告しに行くのであろう。

私は、また手術用のベッドからもとのベッドに戻される時に、叫び声を上げた。そして、扉を通り外に出ると思っていたが、手術室の中のベッドスペースに運ばれた。たぶん、手術後の患者の様子を観察するICUだ。半身麻酔のあとは元の部屋に戻してもらえると、部屋を離れる時に聞いていたので、スマホを置いてきた。心配してくれている友だちに、無事に手術が終わったことを報告したいのになぜ。抗生剤の点滴を用意している看護師に尋ねると、鎮静剤を使用した場合は、全身麻酔の患者と同様、この部屋でひと晩様子を観察する必要があるのだと言う。

もとの部屋にスマホを置いてきたので、持ってきて欲しいと言うと、短く、はい、と返事はしてくれたけれど、それどころではないという雰囲気だ。

ICUに移って30分もしないうちに、身体の左側が切り落とされるような激痛の波がやってきた。
大きな声で、絶叫した。
手元に置かれたナースコールを押すと、看護師がやってきたので、痛い、痛いと訴えた。彼女は、ちょっと待ってくださいと言って部屋を出てからすぐに戻り、では、痛み止めの注射をしましょうと言って、私の左側に立ち、私の左腕を掴んだ。私はまた叫んだ。左は、何をされても痛いということが申し送りされていなかったようだ。
これは、筋肉注射だから痛いですよ、と言いながら看護師が注射をしたが、注射よりも、私を掴んだ左側がもっと痛いことを、説明する余裕もなかった。

ICU入室後2時間経って、スマホがやっと届いた。
痛みの大波で絶叫を繰り返す、その下り坂で友人たちからの現在の、そして過去の励ましの言葉を読んで、死んだほうが楽だと思ってしまう自分を我に返らせて、泣きながら、一睡もせずに一夜をその部屋で過ごした。

翌朝、私は、もとの部屋に戻った。
入院翌日から毎日来てくれていた理学療法士さんが、カーテンの隙間から顔を出してくれた時に、私は、彼女の子どもになったような気持ちになった。
彼女は、手術が成功して良かったですね、左足に体重をかけられるとカルテに書いてありましたよ、さあ、立ってみましょう、と言った。

入院から8日間、ずっとベッドの上に横たわったままだった。
まずリモコンでベッドを操作して背中を起こしていく。これも、自分でゆっくり起こさないと痛くなる。思い切って、いつもより角度を上げてみた。90度に近い。イタタタ、と言いながらも、久しぶりに、座ること自体がうれしい。
次に、足をベッドの下に下ろすのだ。
理学療法士さんが、左足を、ナメクジの速度で押してくれて、ベッド脇に近づけてくれる。私も、おしりを少しずつ回転させる。やった、降りた。両足が、ベッドの脇の地面に着地だ。

「さあ、立ってみましょう。」
彼女は、もう一度先ほどのセリフを繰り返し、私を抱きかかえて、ゆっくり立たせてくれた。
「立てた!」
私は、なぜか、昔小学校の教室のテレビで見た、月へ着陸して、宇宙飛行士が月への一歩を踏み出すシーンを思い出していた。

理学療法士さんは、午後からも来てくれて、歩行器に掴まり足を前に進めるお手伝いをしてくれた。
手術をした医師が言ったことは、冗談かと思っていたが、本当だった。
私は、手術翌日から、歩く練習ができた。


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