見出し画像

自殺(自死)は完全悪で許されないことなのだろうか。むしろ安楽死制度を作って良い最期を提供すべきだ

 先進国の若者(~30代)の死因1位は自殺だ。もちろん病気で命を落とす割合が低いので押し出される形での首位だが、世間体もあって報じられることが無いので驚く方も少なくない。

 若者が自殺に至る理由のトップは健康や経済面ではなく「人間関係」とされている。いわゆるイジメや失恋、馴染めないなど環境や他者に影響されるものが多く、若さもあって刹那的に決断してしまうことが多い。

ある程度、年を重ねれば「男(女)なんて星の数ほど」と考えられるが、危ういほど敏感な青少年にとって失恋は一大事であり、周囲や将来の事を考える暇を奪ってしまうほどだ。だが、このような理由の自殺は冷静に考える時間や相談相手を得ることができれば多くは防げる。

 一方、貧困のループや筆舌し難い家庭環境である場合は難しい。精神科医や弁護士、役所の相談員に悩みを吐露したところで解決はしないし、実情を体験していない人が悲劇を想像すること自体が困難だ。

家庭環境や学力から大学を卒業することができず、新卒で入社できなかった人はできた人に比べると生涯賃金で大きく劣後する。また、正社員にもなれず、派遣や日雇いを点々とすることが多い。

もちろん、自ら選んで縛られない生き方をしている人もいるだろうが、一般的に不安定を好むチャレンジャーは少ない。つまり、望まざる形で人生を歩まざるを得ない人がマジョリティーだろう。

世間では少子化や晩婚化が問題とされているが、この背景には娯楽の多様化以上に経済的な側面が大きく、ミクロ的には低所得や貧困層として過ごす個人(孤人)を大量に生み出している。

もはや「宝くじが当たらない限り挽回できない」という環境下にいる人に対して「頑張ればきっと良いことがある」ということは適切なのだろうか?むしろ、幸福よりも不幸が多い道を無理やり歩ませている気すらする。

恵まれた人が苦しむ人を一時的に励ますという精神的マスターベーションをすることは迷惑至極であり、無責任だ。困っている人に寄り添い続けるわけでもなく、まさに刹那的な対応で延命しているに過ぎない。

金や家族もない人が持つ「自殺する権利」を奪うことはとても横暴だ。頭ごなしに「自殺はダメだ!」と言うよりも安楽死制度と施設を作り、そこに至るまでの苦難や苦痛をねぎらい、食事や娯楽を提供して温かく見送るべきではないだろうか。

人生の最後を温かい環境で迎え、使用可能な臓器を困っている人たちに使ってもらうことは一種の生きていた証と言えるだろう。極めて乱暴な意見と思われるだろうが、これもまた望まれている多様性の一つなのかもしれない。

まずは御礼を。拙文を読んで頂き、ありがとうございます。 サポートに関しては無理をなさらず、御自身のコップからあふれそうになった分があれば枯れ木に撒いて下さい。