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北九州で考えた、建築の保存のはなし––八幡市民会館と戸畑図書館

みなさんこんにちは、ロンロ・ボナペティです。

今日は建築の保存をテーマに書いてみたいと思います。
写真少なめな硬い話になりますが、建築を考える上で避けては通れないことですので読んでみてください。

時々、古い建物の解体がニュースになることがあります。
国立競技場の建て替えや、丸の内の郵政ビルなどが記憶に新しいところでしょうか。
日々解体されている建物はいくらでもあるのに、特定の建物の解体だけがニュースになるのはどうしてでしょう?
古くて使い勝手の悪い建物が壊されて、新しくて最新設備を備えた建物に建て替わるのは良いことじゃないか、と思う方がほとんどかもしれませんね。
今回は、福岡県北九州市にあるふたつの建築を例に考えてみたいと思います。

◆八幡市民会館/村野藤吾設計

ひとつ目は、村野藤吾さん設計の八幡市民会館です。
八幡製鐵所でおなじみの八幡にある市民会館です。
竣工後60年が経過して老朽化が進み、一時は取り壊しの計画も持ち上がりましたが、日本建築学会や市民団体の反対もあり一旦は取り壊しの危機は免れました。

しかしながら、今後も市民会館として継続使用するためには耐震補強やバリアフリー化など、多大な改修費が必要となり、現在は用途が決まらないままになっているようです。

こちらが正面の外観。現在、隣地が工事中となっており、近づくことができなくなっています。

赤いレンガ壁は、八幡製鐵所の鉄錆から連想され選択されたそう。
重量感がある一方で、中央にスリット状に水平連続窓が設けられていることで、重い塊が宙に浮いているかのような不思議な感覚を受けます。
また大きな屋根は建物のボリュームに対し異様なほど薄くつくられていて、独特のプロポーションを生み出しています。
村野さんの作品は、そのどれもが村野さんにしかつくれないような、特徴的なデザインの建築です。
丹下健三ほかモダニズム全盛の時代に、独自の道を突き進み、現在でもファンの多い建築家のひとりです。
12歳の頃からここ八幡の地で暮らし、市民会館もその縁で設計を頼まれたのだとか。
特に西日本を中心に多く作品を残しているので、興味のある方は是非見に行ってみてください。

この市民会館自体もなんとか保存の道を探して欲しいと思いますが、実はこの隣には、かつて同じく村野さん設計による図書館が建っていました。
赤と白のレンガでつくられた可愛らしい外壁をもった建築でしたが、2016年に取り壊されました。
市民会館は図書館の竣工後3年経って建てられたものですが、設計にあたって村野さんが双方の調和を考えなかったはずがありません。
建築を保存する時、その建物だけを保存すれば良いと思われるかもしれませんが、実際には設計者は周囲の環境や土地の文脈も考慮してデザインを決めていくわけです。
そうした周囲の環境も含めて、ひとつの作品と言えるわけですね。
このケースではどちらも同じ設計者によるものなので当然と思われるかもしれませんが、何もこうした例に限った話ではありません。

下の写真を見てください。上は実際の写真、下は背景の山を消してしまった写真です。

上の写真では建物のボリュームが背景の山と呼応するように感じられる心地よいボリューム感ですが、下の写真では異物感がすごいですよね。
実際には山がなくなるなんてことはありえませんが、極端にいうと周辺環境が変わってしまうとデザインそのものも別物に見えてくるほど、設計時に前提となった条件は重要なんですね。
ですからある建物をきちんと保存したいと考えた時、当初の文脈も含めて残していけるかが重要になってくるわけです。
実際、ユネスコの世界遺産などでも登録後に周辺環境が大きく変わったことで登録抹消となった例もあるほど。
日本では街並み全体を保存するケースはあってもある建物単体の保存のために周辺環境も整備している例がどれほどあるかわかりませんが、歴史的な価値のある建築の近くに新築物件を立てる際は、考慮に入れる必要がある問題だと思います。

ちなみに市民会館の近くにはこちらも村野さん設計の福岡ひびき信用金庫の本店があります。
村野さんゆかりの地の作品として、大切にしていきたいですね。


◆戸畑図書館/青木茂

つづいて同じく北九州市にある、戸畑図書館です。
こちらは1933年竣工の戸畑市役所庁舎の建築を青木茂さんというリファイニング建築(古い建築に手を入れて新しく再生すること)のスペシャリストが改修し図書館に用途変更したものです。

外観はほぼオリジナルの状態を保っていますね。
新しく付けた庇やエレベーターコアなども、元々の建築に敬意を払っているのがわかります。

内部は構造補強も含め、大きくてが加えられていました。
しかしよく見るとわかるのですが、新しく追加した柱は極力元の柱とセットになるように、またオリジナルの空間の区切り方は変えることなく、本来の空間の質は損なわれないよう配慮されています。

そして何より、外観に手を加えずに済むよう、窓部分に構造補強部材などがこないよう、注意深く計画されています。

八幡市民会館は1958年竣工なので、両者の事情は大きく異なります。
日本においてはとにかく古いものを有り難がる風潮があるのか、特に太平洋戦争以前から立っている建築などはそれだけで文句なしに価値のあるのもと認識されているように思います。
長く建ち続けていることはすなわち長く愛されてきたことの証左でもあるので、それを否定するつもりはもちろんありませんが、それらの建物もいつかの地点では老朽化に伴うメンテナンスが要請されていたわけです。
誰かが意思をもって残そうとした建物だけが、今われわれが文化財として享受できているわけですね。

昨今、村野さんらが活躍した時代の名作が次々と取り壊される事態にあっています。
建築家が心血を注いでつくった建築は、単にその施主の要望を満たすためだけでなく、未来へのヒントも隠されているものだと思います。
またどれもが一品生産の建築作品は、一度失われてしまうともう二度とその空間を体験することはできません。
私自身は建築の保存活動に関わったことはありませんが、保存のための署名運動などが行われていたら間違いなく署名したでしょうし、自分が大切にしている、愛着のある建物が壊されるとなった時には何か策はないかと奔走するかもしれません。
少しでもそういった心をもった人を増やせることができたら、そんなことを考えて今回の記事を書きました。

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#建築 #村野藤吾 #北九州市 #八幡 #保存

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