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「生きた建築」その意味を問い直してみる~ #イケフェス大阪2019 後日譚~

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。

「生きた建築」
と聞いて、なにを思い浮かべますか?

ハウルの動く城、のように動力をもって動く建築のことでしょうか。
あるいは自然と一体となって生態系を育む、半自然的な建築のことでしょうか。

実はこの言葉、大阪で年に1度行われている建築イベント、「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)」が定義した言葉なのです。
今年で6回目を迎え、イベントの時期には例年SNSでも数多くの投稿が見られるので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

実行委員会委員長の橋爪紳也氏によれば、

人びとの営みとともにあり、「生き生き」とその魅力を物語り続けている建築

を「生きた建築」と定義されているそうです。

イケフェス大阪は、大阪に建つ魅力的な建築物を無料で公開し、参加者が自由に見て回れる機会を設けた、ただそれだけのイベントです。
そんなイベントに、2018年には延べ4万3千人もの人が来場したというのですから、建築を見に行く習慣がない人は驚かれるかもしれません。

個人的にはむしろ、こうしたイベントを開催するにあたってそれにふさわしい言葉がなかった、新しく言葉をつくる必要があったという事実の方に驚いています。
だって、建築は本来人びとの営みとともにあるものですし、だれかがわざわざ見に行きたいと思う建築は、生き生きとその魅力を物語っているからこそ見に行きたくなるのだと、思いませんか?
今年実際にイベントを体験することを通して、「そうではなかった」ことがイケフェス大阪が生まれる要因でもあった、そのことを書いてみたいと思います。

建築を見ることを趣味のひとつとしている人にとって、建築がどのように使われているか、そのことにあまり注意が払われてこなかったのではないかと思います。
雑誌に掲載される、完成したての状態=竣工写真が建築の「作品としての理想の姿」であって、実際に使用するために置かれた家具や物たちは、作品を鑑賞するうえではむしろ邪魔になる。
なにもない状態、あるいは建築家がデザインに織り込んだ家具のみが置かれている状態が、建築家のアイディアを具現化したものとして建築を見る場合には都合が良いのかもしれません。
建築の専門メディアにおいても、竣工後どのように使われているのかが積極的に伝えられてこなかったことも、建築の見方を限定してしまう要因だと思います。
実際、建築家が意図していなかった使われ方をしている建築を見て、残念に思う人は一定数いるようです。

しかしながら、その観点での理想的な建築の状態を維持するためには、本来の用途を離れて「記念館」として建築物を保存する以外に方法がない。
そうしたジレンマから開放される方法として、建築がどのように使われているのか、そのこと自体を楽しむ企画がイケフェス大阪なのだなと感じます。

改めて「建築」という言葉を見てみると、「建てる」と「築く」のふたつの動詞から成り立っていることがわかります。
近い意味をもつ「建物」とは似て非なる概念として用いられ、わざわざ「建築物」という言い方をする場合すらある。
建築とは、物体としての建物を建てることを通して、その場所に物だけでなくなにを築くのかに本質があるのだと思います。
建築を愛する人に、建築家のアイディアを具現化した作品としてだけでなく、それによってどのような場が生まれているのか、楽しんでもらいたい。
そうした企画者の想いを感じるイベントでした。

イケフェス大阪の登録建築には、当初の用途から変更が加えられていたり、元々建っていた建築を部分的に保存して新しく建て直した建築なども多くあります。
そのために建築家の本来の意図が失われているものもありますが、それでもその建築をどうにか資産として活用したい、そうした人びとの想いや知恵によって、建築は生き続けることができる。
建築家の意図したことと、それによって生まれた効果、さらにはそのことにより育まれた人びとの営み、そしてその積み重ねがつくり出した都市。
建築を入り口として、大阪という町全体を楽しむことのできる画期的なイベントが、イケフェス大阪なんですね。

では具体的にどんな建築でどんなプログラムを体験することができるのか、「建設の匠」にて特集連載しましたので、気になった方はぜひそちらをご覧ください。
思いがけずイベント誕生の経緯なども聞くことができたので、参加したことがあるという方にもお楽しみいただける内容になっています!



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