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憲法学者が浮世離れしているワケ

法律というものは現実の問題を解決するために使われる。そのため頻繁に法改正が行われて、税法などは毎年のように改正されたりする。普通の法律家は改正のポイントなど勉強し続けるのが職業としての「法律家」である。

しかし、昔の条文のみで生きていける人たちがいる。それが「憲法学者」である。現在の憲法学者の派閥は終戦後に頭が「大日本帝国憲法」のままの憲法学者がGHQによって公職追放されそうになり急遽手のひら返しをしてアメリカ様の言う通りです、となった事がはじまりとなる。

助手や研究生は教授が選ぶため、自分の敵になりそうな人材やもっと単純に好きではない人物をを選ぶわけがない。そのため同じような属性の連中が代々受け継がれてきている。再生産体制が最初から出来ている業界だ。師匠に言われた通りに弟子に伝える、この繰り返しを実直に出来る者がこの業界で生きていける。なので他の法律家とは全く違う種族なのである。

例えばいまの経済学者でいわゆるマル経の学者は、まともな経済学者の中にはいない。現実的に使い物にならないから淘汰されたのだが、憲法学者界は違う。使い物にならない奴しか憲法学者界で生き残れない可能性まである。そもそもまともな人は教授に選ばれない。現実に合わない憲法は改正すべき、なんていう意見の持ち主を金科玉条の如くGHQから押し付けられたモノを守り続けた教授が選ぶわけが無い。何より大事なのは師匠から受け継いだ「この憲法」なのだから。

一般の法律家は現実的問題を扱う存在であるが、憲法学者は最早夢想家と言って良い。そういう環境の連中が「大学教授」などの肩書きでテレビなどに出ている。如何に専門家といっても「憲法学者」はその専門性以前に人間として問題があったり、自身の思想の反映としての憲法解釈だったりと、傾聴するに値しない人物も多い。

まあ、最早「学者」という存在そのものが以前と違ってその権威は喪失しているのだがね。コメンテイターと呼ばれる人たちに「経済評論家」なる一群が登場して20年以上も経つ。番組に少しアカデミズムの香りを足したい時に便利(でしかも安い)のが学者である。「末は博士か大臣か」などと言われた時代もあったが、いまや博士の株も下落が止まらない。

では、またお会いしましょう。

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