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ミルククラウン

君は転勤してやって来た新興企業のキャリアウーマン。僕はつまらないサラリーマン。君は企業からも将来を嘱望された人材。僕は君より随分年上で中小企業の平社員。

出会ったのは2020年の初夏の兆しが見え始めた頃。タイミングとしか言いようのない出会い。君は初めて着任した僕の地元に馴染めなくて仕事と寮の往復の毎日で友人もいなかった。心細かったのかもしれない。僕はどことなく満たされない感情を抱えながら過ごしていた時に君に出会った。君は僕を癒した。僕は君を支えられたかな?一緒に過ごした時間は1年くらい。君はキャリアアップのため大都市に転勤になった。転勤する日に君から電話があった。

「私はあなたに支えてもらって、私もあなたを支えてあげることが出来て嬉しく思います。」



君は遠くにいるにもかかわらず献身的だった。月に一度は会いに来てくれた。会いにくる時は「帰ってくるね」ってメールが来る。ただの転勤先でしかなかった僕の地元は、いつの日か、君の帰るべき場所になった。

遠距離なんて続かないって思ってたけれど、君は縁をつないでくれた。遠く離れても、会うのにお金がかかっても。僕はただ君を待っているだけのつまらない男。

今日も会えた。ありがとう。嬉しい。君の近況も聞く。昇進に向けて順調だということ、数人しかいないマネージャーに挑戦中だってこと。

「部下に可愛いこがいるんだ。」

微笑ましいけど、彼の話をしている君はいつもより楽しそうだ。少し問いただしてみる。彼と一夜を過ごしたと聞いた。

君は言った。「なんとなく…。」

うん、話してくれてありがとう。大丈夫だよ。僕は君の大変な時、寂しい時にそばにいてあげれなかったから。僕は守らなければならないものがあって、君はどことなくそんな僕に遠慮していたよね。それは僕にとって都合がいいことだけど君には辛い思いをさせたかもしれない。とても複雑だよ。でも君を大切にしてくれる存在が見つかったことについては、とても嬉しく思ったんだ。だから僕は少しだけほっとしたんだ。僕はひとつ、大切な役目を終えたようなそんな感覚を覚えたんだ。そして、その反動で胸にポッカリと穴が開いてしまった。



君との関係は割り切れているつもりだった。涙のような一雫の感情は水面に小さな王冠(ミルククラウン)を立てた。それは次第に大きな波紋になって僕を揺さぶり始めた。言葉にできない感情は、王冠をかぶると、我が物顔で僕のポッカリとした胸に居座り始めた。

喪失感と君の幸せを願う感情の間で僕はぐちゃぐちゃになった。僕は君が大切だったことを改めて知った。そして、こんなことにならないとわからない自分にちょっと呆れてしまった。



君のうなじと背中を指でなぞる。何を描くわけでもなく。随分髪が伸びた。二人の空白を埋めるように、指先で長くなった髪の毛を、より合わせてみる。

「怒ってる?」背中越しに君は言った。

「怒ってないよ。少しほっとしたんだ。」

「あなたの方が距離感も心地いい。」

「彼には勝てないよ。」

「帰りたくない。」

「でも君は帰っていく。」

「また会いにくる…

でも、今年、帰ってくるのは9月が最後になるよ。」



君はサヨナラを言いに来たのかもしれない。

僕は思った。「なんとなく…。」

別れ際に優しく抱きしめて、そっと唇を重ねる。これで最後になるかもしれないと思ったら、哀しいくらいやさしく微笑んで、バイバイできた。

君は彼のそばに帰っていく。

でも本当は…

僕は送り出したのかもしれない。

君を大切にしてくれる彼の元に。

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