見出し画像

映画『夜明けのすべて』感想メモ

話題になっている『夜明けのすべて』原作小説とあわせ映画もみてきました。原作と映画のちがい、さまざまあるけれど大枠の変化はなく、むしろ映画のほうが薄味かつ滋味ぶかい印象をうけました。

ここからは、いわゆるネタバレをふくみます。
『夜明けのすべて』主人公のふたり。藤沢さんはPMS、山添くんはパニック障害をかかえている。いかに自身とむきあうか。そのうえでまわりと接してゆくのか。そして、まわりはどう接してゆくのか。絶対的な解決はない課題に、日々すこしずつ前進してゆくプロセスをみてゆく。フィクションながら、とてもドキュメンタリ性のあるストーリーです。

映画版に追加されているのは——主人公 藤沢さんにせまるもうひとつの課題、母の介護。それから主人公ふたりが勤務する栗田科学社長と、山添くんの元上司が自死遺族の集会に参加しているシーン。また舞台となる企業は原作においては、栗田工業として工業部品をあつかうところだったものが、映画では栗田科学として理科教材やプラネタリウムを製造するところとなっている。

ほか微細な原作との変化はあるけれど、むしろ恋愛的な要素が希薄となり、主人公ふたり、栗田科学の面々、家族、友人に恋人、知人……と。登場人物それぞれの、それぞれにたいする気遣い、誠実さのありかたが、おなじウェイトでみえる気がした。

主人公ふたりは自身のからだとむきあい、栗田社長や元上司は家族の経験とむきあっている。また藤沢さんの母もまた、初期的には娘のことに尽力しながらも、だんだんと自身の身体の課題に直面せざるをえなくなってくる。

自我の膨大なるそとがわ。結局、身体——あるいは人生のなか——みずから自覚しコントロールできるところは、ごくごくわずかなものにすぎないのだろう。

『夜明けのすべて』映画版ではたびたび『Powers of Ten』書籍版が映りこむ。こちらの原作はデザイナーであったチャールズとレイのイームズ夫妻による映画作品。人間の身体から宇宙まで。アメリカ合衆国、地球、太陽系、銀河系をへて、つぎは白血球、DNA、原子核まで。ひとつのグリッドをあてがいながらシームレスに解説されてゆく。

わたしたちがふだん目にしている範囲は、その微細な一部であり、宇宙全体であれ自身の身体であれ、いずれも制御はもちろん、認知のしようがない範囲で刻々とうごいている。莫大なものごとのなかにある、わずかな自我。その距離をしること——ちょっと示唆的にみえました。


余談ながら。この映画、個人的にとてもいいタイミングでみることができました。自分自身、過去に鬱病の治療をつづけていた時期があります。このところ回復傾向……とおもってもいたけれど、最近になって再発の傾向がみられるようになった。またその要因のひとつには、幼少時からのADHDの症状があること。ほかにもアレルギー鼻炎はときに重篤な発作がおきるし、消散性直腸痛とも坐骨神経痛ともみられる症状が定期的におこってしまう。顎関節症だし。

さすがに40年いきていると、コントロールできない不具合をいくつも抱えるようになってきますし、それは共存してゆかないといけない。さすがに面喰らいながら「さて、どうしたもんかな?」——そうおもっていた矢先、映画版・小説版ともに『夜明けのすべて』に接することができたのは、とてもうれしい。


29 February 2024
中村将大

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?