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タイで乳がんになった①

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●2011年3月11日があった年

東北大震災があった2011年4月、バンコクに住んでいた私は年に一度日本に帰国して行うことが会社から義務づけられている健康診断のため東京に赴いた。その数週間前、2011年の3月11日。バンコクの自宅でNHKニュースを見て、目を疑った。津波の映像の意味がよく飲み込めない。流される物体、これは何?車?この水の量と勢い、自分の目を疑う。
電子力発電所のニュースも同時に流れてくる。本当のところどうなのか理解できないまま、東京から逃げたという声なども漏れ聞こえてきて、これはもう日本には戻れないのかもしれないとも思った。
札幌にいる両親に電話するが、(まったく影響はないとはわかっていたが)通じない。電話回線がパンクしていた。数日してからメールで日本にいる友だちとやりとりをする。

●暗い東京に震災の恐怖の名残を感じた

息子の受験準備もあったため、友だちに状況を問い合わせるが、電池がない、お店は夜は早くに閉まる、などと聞き、またニュースで流れる惨状を知るにつれ、本当に日本は東京はどうなっているのか、遠く離れたバンコクからではなかなか想像することが難しかった。そして実際に降り立った東京。街が、スーパーが、暗い。電気代を節約しているせいだ。暗いと何やら怖い。そして4月だったがたびたびまだ余震があった。

●乳がん検診で精密検査を、と言われる

3月11日当時日本で暮らしていた人は、それは大変な恐怖を味わっていたことだろう。(本帰国してから様々な場所で帰宅難民になったお話やお子さんを心配したこと、などなどたくさんのお話をみなさんから聞かせていただき、何やらそのときその場にいなかったことを申し訳なく思った)息子を進学塾に送り、私は健診機関に行った。そして乳がんのマンモグラフィーの結果を見た先生が、その場で、一瞬考えこみ、「一時帰国でらっしゃるのですよね?クリニックをご紹介します、すぐに電話をして精密検査に行ってください」と言った。

●暗い東京で私の気持ちも真っ暗になる

健康診断の血液検査などでちょっと数値がよくなく、経過観察を、などと記載されたり、血便で要精密検査と言われたことがあったが、先生の様子を見て私は、これはちょっと大ごとかもしれないとわかった。暗い東京で私の気持ちも一気に暗くなる。来年の受験のために薄暗い蛍光灯の下で懸命に苦手な数学の勉強している息子に不安をもらすわけにもいかない。かといって遠距離の両親に伝えたところで両親に心配をかけるだけ。

そして早速、今でもお世話になっている都内のブレストクリニックに行き、細胞を取り、精密検査に臨んだ。結果が出るまで日本滞在を伸ばすことにする。幸いバンコクはソンクランというお祭りが4月にあるため春休みはまだ残っている。余震が続き、続々と被災状況が明らかになり、原発被害もある中、私は私の不安のただなかにいた。

さてさて、今日はここまで。次回もバンコクで乳がんになった話、続きます。
また読んでね。

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