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大阪 四天王寺➁ 太子堂、亀井不動尊



南鐘堂

正式名称は、鯨鐘楼(げいしょうろう)

太子堂

太子奥殿が後ろにあります

聖徳太子をお祀りしている
お堂(天王寺のご廟)で、
正式には
「聖霊院(しょうりょういん)」
といいます。
太子信仰の中心となっています。

前殿には
十六歳像・太子二歳像・四天王が
奥殿には
太子四十九歳像
 (1月22日のみ公開の秘仏)が
祀られています。

毎年2月22日の「太子二歳まいり」では
お太子様の知恵にあやかるべく、
2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。

奥殿基壇内(地下)には
ご信者さんにより永代奉安された
太子観音像
[極楽・水子・施薬・知恵・
厄除・子育の六観音]が
安置されております。

他に毎月22日の太子忌法要、
六観音法要、
そして毎年10月22日経供養には
信者さんより奉納された写経も
併せて供養されます。


敬禮救世観世音 傳燈東方粟散王
敏達天皇十二年(五八三)七月、
百済の賢人、日羅が来朝し、
聖徳太子を拝し唱えた言葉と伝えられています。

「救世観世音の生まれ変わりであり、
仏法の法脈を伝える東方日本の王である
聖徳太子に敬って礼拝します」

従於西方来誕生 開演妙法度衆生
西方より来るとは、
聖徳太子の前世はインドの勝鬘夫人、
中国の南岳慧思であったとの伝説をさします。

開演妙法度衆生とは
日本仏法開租である聖徳太子が、
人々に尊い仏教の教えをおしひろめ、
導かれたことをさします。
日羅が聖徳太子を礼讃すると、
日羅の全身から光が放たれ、
聖徳太子の眉間から光明が放たれたと伝えられています。

普賢菩薩堂


太子殿 猫の門
番匠堂

聖徳太子は、
日本に仏教を広められると共に、
わが国に
朝鮮半島・百済国より
番匠と称される数多の名工を招請され、
高度な建築技術を導入されました。
このご事蹟をお慕いし、
大工・建築技術の向上、
工事の無事安全を願う
建築に携わる人たちの間で
お祀りされるようになりました。
お厨子の中には
曲尺を手に持った曲尺太子が
祀られています。
毎月22日のみご開帳されます。


ここが、わたしが参拝しているところです
母方祖父が、大工の棟梁だったからですよ
建築、設計、土木工事など携わる方は
ぜひともお参りください

宝物殿
牛王尊

推古元年(593)創建。
四天王寺が建立される時、
建築資材である石や材木を運搬した牛が、
伽藍が完成するや否や
化して石となったと伝えられ、
堂内には
牛(ご)王(おう)尊(そん)の巨石が
安置されている。
後世、牛は草を食(は)むことから、
転じて
「子供の顔にできるくさをとってくれる」
との信仰を生み、
病気平癒を祈る人々によって、
牛の絵馬が数多く奉納されている。

亀井不動尊

推古元年(593)創建。昭和30年再建。
近畿36不動尊の第一番霊場となっており、
本尊は水掛け不動尊。
左に子育地蔵尊、
右に延命地蔵尊を祀っている。
寺伝によれば、聖徳太子が
尊いお声呼び止められ、
亀井の井戸を覗かれると、
仏法の守護神である不動明王の姿が
水面に映っていたため、
ここに不動尊を祀られたのが
起源とされる。
毎月28日10時30分より不動尊供、
午前11時15分より不動尊護摩供が
厳修され、
多くの参詣者で賑わう。

以前は、苔むしていて風情がありましたが
このところ苔は排除しているようです

亀井堂は、撮影禁止



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