roots_ohtani913

40代会社員です。子どもの頃からの家族の話を徒然なるままに綴ります。

roots_ohtani913

40代会社員です。子どもの頃からの家族の話を徒然なるままに綴ります。

最近の記事

本を読むときにどんな音楽を聴きますか?

私は本が好きだ。 「NO BOOK, NO LIFE」 と言っても過言ではない。 ところで、 世の中の本好きには2種類の人間がいる と言われている。 それは、読書の時に「音楽を聴く派」と 「音楽を聴かない派」だ。 クラシックやジャズを聴きながら、 リラックスして読書するという 「音楽を聴く派」、 何も聴かずひたすら読書に耽るという 「音楽を聴かない派」。 「どちらも」ということもあるだろう。 では、「音楽を聴く派」には 更に2種類の人間がいることをご存じだろうか

    • 中学生男子と弁当

      私が通った中学校は給食ではなく、弁当だった。 毎朝母が作ってくれる弁当を持って行くのだが、 いつも出来上がるのは登校時間ギリギリだった。 狭い家の狭い台所で、私と一つ上の兄の二人分を同時に作るため時間がかかるのだ。 幸い家から学校までは、猛ダッシュすれば 約6分で着く距離だったため何とか間に合っていたが、朝はいつも壮絶な状態だった。 当時は冷凍食品は今ほど豊富でもなく、 母もできるだけ手作りのものを食べさせようとして奮闘してくれていた。 毎朝早くから用意し、弁当を持たせ

      • 母の説教とその対処法についての考察

        心理学者 河合隼雄氏の著書 「心の処方箋」に綴られた言葉にこうある。 『説教の効果はその長さに反比例する』 また、ネットで検索すると 子どもを叱る際のコツとして 以下のことが挙げられている。 ・要点を簡潔に伝えダラダラとしない ・過去のことを持ち出さない 説教において、その「時間」という軸は とても重要なものだ。 では、これから母の説教にまつわる話をしよう。 ※どなたもどうかおはいりください。 けっしてごえんりょはありません。 但し、当記事は一見真面目に思えますが

        • 我が家にエアコンが来た日

          ふと昔の事を思い出した。 私がまだ小学生か中学生だった頃のことを。 ※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。 但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。 その年の夏は例年になく暑い夏だった。 私は狭い家でよく扇風機を独占し、 『強』で涼んでいた。 我が家には扇風機の『強』は埃が舞うからという理由により、最大で『中』まで、という厳格なルールがあった。 当時少し反抗期だった私

        本を読むときにどんな音楽を聴きますか?

          その切ない嘘に後悔は無い

          ※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。 今からもう20年以上前になるだろうか。 大学生になった私は少々色気付いていた。 ファッションに気を使ってみたり、髪型をいじってみたりしたいと思うようになった。 高校時代、地味で暗い時代を過ごした私は少しでも明るい大学生活に憧れていた。いわゆる大学デビューである。 既に色気付いていた兄の影響

          その切ない嘘に後悔は無い

          一人パッチン

           小学生、いや中学生の頃だっただろうか。私は暇を持て余していた。一緒に遊ぶ友達などほぼいなかったし、勉強などするはずも無かった私は何をして過ごしていたのだろう。 昔の記憶をたどってみると… あ、思い出した。「パッチン」してたな、 一人で。 「パッチン」。 その呼び名は地域によって様々だろうが、「メンコ」という方が一般的だろう。昭和の駄菓子屋などで売られていた、厚紙で作られたカードで、二人以上の対戦式で各々自分のカードを投げ合い、相手のカードをひっくり返すと勝ちという昔なが

          一人パッチン

          ハードが無いのにソフトを持つということ

          私が育った家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄の4人暮らしだった。その暮らしは今思うとありふれた日常と、少し変わった非日常が入り混じっていた。 ※どなたもどうかおはいりください。けっしてごえんりょはありません。 但し、当記事は一見真面目に思えますが、実は何の役にも立たない記事となっております。何卒ご理解の程お願い申し上げます。 私が小学生の時、「ファミコン」が流行っていた。スーパーマリオブラザーズを筆頭とした、あのファミリーコンピュータである。諸々の事情があっ

          ハードが無いのにソフトを持つということ

          壊れたテレビの行方

          私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今思うとありふれた日常と少し変わった非日常が入り混じっていた。 これは、私が幼少の頃から成人するまで、愛すべき家族と暮らした実家での記録の一部である。 【テレビ】 家のテレビが壊れた。ガチャガチャと手でダイヤルを回してチャンネルを変える昭和のブラウン管テレビが突然映らなくなったのだ。当時、最新式(そんなに最新でもない)

          壊れたテレビの行方

          家族と家と

          私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今思うとありふれた日常と少し変わった非日常が入り混じっていた。 これは、私が幼少の頃から成人するまで、愛すべき家族と暮らした実家での記録の一部である。 【お風呂】  狭く古い、その浴室は満天の星空のように点々と天井を埋め尽くしていたものがあった。黒カビだった。それは尋常な数ではなかった。大自然の夜空で見上げる星空は感動