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壊れたテレビの行方

私は都会でもなく、かと言ってそれほど田舎でもない、ごく普通の地方郊外で育った。私が暮らした家は小さな古い借家で、家族は父と母、一つ年上の兄。4人での暮らしは、今思うとありふれた日常と少し変わった非日常が入り混じっていた。
これは、私が幼少の頃から成人するまで、愛すべき家族と暮らした実家での記録の一部である。


【テレビ】
家のテレビが壊れた。ガチャガチャと手でダイヤルを回してチャンネルを変える昭和のブラウン管テレビが突然映らなくなったのだ。当時、最新式(そんなに最新でもない)のテレビは「リモコン」と呼ばれる小さな箱でテレビから離れたところからでもチャンネルが変えられるという、中学生の私の度肝を抜くものだった。

しかし、この大変な危機に私は密かにチャンスを見い出していた。それは、リモコン式のテレビに買い変えると同時にビデオデッキまで手に入れるという我が家にとっては、かつてない家電革命と言える目論見であった。

テレビが変わる→ビデオデッキを手に入れる→エッチなビデオが見れる という中学生がすぐに考えそうな皮算用を瞬時に行なった私は、父と母に早々にテレビを買い替えることを進言した。何の口裏合わせをしていない兄も全面的且つ食い気味にバックアップをしてくれた。

ところが、父は私達の想定の遥か斜め上の行動に出たのである。彼はテレビを一旦分解した。そう、分解したのである。長い年月で積もり積もった埃を丁寧に取り払い、小一時間ほど何やらいじり回していたが、やがて得意気にテレビ台にテレビを戻した。

(ま、まさか治ったのか?そんなバカな・・)

半信半疑のままよく見ると、テレビの側面から何やらヒョロリと紐が垂れ下がっている。
父は自信あり気に言った。

「そう、その紐を引っ張ってみぃ」

私が恐る恐る紐を引っ張ると、

「カチッ」

と鈍い音がして、唐突にニュースを読み上げるアナウンサーの声が聞こえてきた。

「治っとる・・・治っとるやん!」

いや、厳密には全く治っていないのだが、現にテレビはついている。それは動かしようのない事実なのだ。父はどのようにやったかは全く分からないが『紐を引っ張るとテレビがつく』という新たなシステムを作り上げたのだった。

(いかん、いかーーん!)

と心の中で絶叫するも時すでに遅し。母はそんなテレビで何事も無かったかのように「火曜サスペンス劇場」を視聴し、そのエンディングテーマ『聖母たちのララバイ』は私のやり場のない虚しさを一層煽るのであった。

こうして私の目論見は儚い夢のように消え去り、我が家には横から紐の垂れ下がったテレビが残ったのである。


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