ろぱパパが生後2ヶ月を振り返る。
息子の出産後、色々とありすぎる2ヶ月でした。
出産前から今(61日)を振り返りたいと思います。
ろぱの性格と意気込み
やると決めたら、全力で行動&思考タイプ。
ただし、決めたこと以外は1msも考えない。
まずは人を真似て、次に理論を整理して、実践を積んで自分のものにする。
過程をアウトプットしないから、協調性ゼロやら、何でも鵜呑みにする、とか言われがち。
学校では問題児扱いだったけど、仕事はハマりやすかったから、副業やら転職やら全力でやってこれた。
一方、家事は関心の対象になったたことがなく、何も出来ない。
食うのが好きだから、たまに料理する程度。
そんな、ろぱがパパになりました。
客観的に見て、不安しかないですよね。
でも、やると決めたので、生物学的に出来ないこと以外は、全力でやる。
模範とする人は、子育て経験のある、お母様たち。
しかし、何人かに直接聞いても、妻が夫にサポートしてほしいことだけをアドバイスしてくるため、役に立たなかった。
ろぱは、男女に差は一切ないと思っているから、育児をサポートする立場になる気は微塵も無い。
(今思えば、お母様方は本能で育児してきたから、本能のない男に言語化を求められても困るよね。)
そんな状態のまま、育児が始まった。
育児開始後の心境
いくら知識をつけても、本能で育児できないことの大きな壁にぶち当たったのが本当にキツかった。
妻にとって当たり前が、ろぱは分からなかった。
育児中、ぷー🐈保護直後の育児にもかなり苦労したことを思い出した。
基本的にやることは同じなのだが、猫のが成長が早く、社会反応までの期間が短い。人間は原始反応の期間が長すぎる。
その後に母猫の育児を見て、本気で尊敬したが、人間も同じだ。
猫も人間も母がもつ本能は、言語化できない超越した能力だと思う。
男女に差はないと本気で思って生きてきたけど、差があることを痛感した。
この経験は本当に大きい。
この本能は、言語というちっぽけなもので表現できないことが分かった。
ここから出産時から今までを、振り返る。
男性育児休業の戦い
育児に入る前、大きな鬼門があった。
育休前の仕事は、それなりに責任ある役職でした。
そのため、上層部から組織的なパタハラを受け、育児休業が取れる状態ではありませんでした。
「男性育休100%宣言」に賛同している大企業ですが、実質的に役職者は対象外でした。
(人事システム上、無給である休業中もマネジメント業務が発生し続ける。)
無給で働くのは論外ですが、
働いた場合、育児をサポートする立場にしかなれないことが受け入れられない。
そのため、自分の裁量権で自分を降格させ、今の地位を完全に捨てた。
人事システム上は戻ることが可能ですが、上層部に受け入れられなければ戻れない。
復職後に戻る席は無い。
そんな状況にして、育児休業を取得した。
・2週間の出生時育児休業(8/26〜9/10)
・5ヶ月強の育児休業(9/25〜2/29)
もっと上手い調整方法はあるが、育児は妥協できないので、極端な道を選んだ。
上司から会社を辞めるのかと聞かれたが、状況によっては今後の選択肢に入れると答えた。
選りすぐりしなければ、いくらでも働き口はありますし、失敗しても都内の子育て支援を活用すれば高校生までは何とかなるでしょう。
改めて感じたこと。
今は女性活躍の風潮で変わりつつあるが、女性の育休も戻る席はなかったんだよな。
今も解決してなくて、まだまだ根深い問題だと思う。
出産(2023/8/15)
物理出勤の直前に、超スピード出産でした。
仕事のことで悩んでいたことは全て吹き飛んだ。
悩みぬいた背景があるからと思いますが、パパになると価値観が変わった。
これからは、息子のために全力で生きるわ。
0週(8/15〜8/21)
入院中、仕事帰りに毎日面会しに行った。
1日で激変するため、1日も開けたく無い。
自宅に帰ったら、ぷー🐈とらんまる😺と乾杯した。
8/16、名前決め
読みは、妻が決めた。安産ウォーキング中の会話で上がった候補で、台風が来ている中に快晴となったタイミングなので、最も良い名前だ。
漢字は、ろぱが決めた。無限大の夢を詰め込んだ。漢検準1級の人名漢字なので少し難しく読み間違えられそうだが、100%正しい音読みだから自信もってつけた。大きくなったら、しっかり伝えたい。
8/17、出生届
名前が決まったら、即実行だ。
面会前に役所へ行って、サクッと…いかず、
窓口を転々と移動させられ、1時間半もかかった。
無事に受理された。
会社の届出や証券口座の解説に必要なので住民票を受けとった。
住民票が3人になってて、嬉しいねー!!
8/20、退院
息子と、ぷー🐈らんまる😸と初対面!
玄関を開けるところから、動画を撮り続けました。
1週(8/22〜8/28)
日中は仕事、夕〜朝は育児。
とはいかず、仕事しながら育児。
夜間は夜泣き。落ち着く時間は無い。
寝不足続きで、金曜日は思考がおかしくなっていた。
部下は育児経験の女性が多いため、そのあたりは理解してくれて助かった。。。
ここから、出生時育児休業だ。
2週(8/29〜9/4)
家事100%やろうと頑張るも、満足にできない。
妻がやっていたような品質や効率的な家事ができず、育児もうまく出来ない。
3週(9/5〜9/11)
4週(9/12〜9/18)
出生時育児休業が終了し、ここから2週間、仕事しながらとなる。
ぷー🐈の最期を看取ることとなった。
ここから、ぷー🐈が亡くなるまで、積極的な育児はしていない。
ぷー🐈と仕事💻を中心に過ごした。
妻の母親が来てくれたから良かったものの、完全に産後クライシス案件だった。
妻の母親が来てくれる日が1日でも遅かったら、離婚またはぷー🐈の看取りが出来ず自分が死ぬまで後悔することになっていた。
5週(9/19〜25)
最低限の家事だけをして、あとはぷー🐈と仕事を中心に過ごした。
それでも、妻の母親から、
「ここまで家事や育児する男の人はいないよ。家はいつもピカピカで作る料理はとても美味しい。」と言われ、本当に救われた。
この言葉は、育児のモチベーションにつながった。
ここから5ヶ月の育休に入るため、妻の母親が実家に帰った。
そして、ぷー🐈も旅立った。。。
6週(9/26〜10/2)
妻の母親は、本能というより過去の経験で、妻の育児に参加していたため、本当に参考となった。
妻の母親を模範としての、本当の育児がここからスタートした。
ぷー🐈の育児経験とあり、ぷー🐈と息子を重ね合わせて、ぷー🐈への愛情も息子に乗せた。
午前中は家中の掃除、昼飯と夕飯は妻の作った献立に合わせて買い出しに行って、毎日作ることから始めた。
ここから、家事は100%、育児も授乳以外は100%にすることを目標にした。
なかなか出来るようにならないから、自分自身に対してはもちろん、妻からろぱにイライラしているのも感じた。
7週(10/3〜10/9)
ここから、ろぱのもつ栄養学をフルに発揮して身体に良い献立を考えた。
生物学上、唯一できない授乳は妻の食事を通じて、実現することにした。
栄養学の知識は本当に役立ちますね。
これも、ぷー🐈のおかげです。ありがとう。
8週(10/10〜10/16)
家事100%、授乳以外の育児80%くらいを実現した。
妻は、このまま続くと、ろぱ復職時に家事できなくなる…と危機感を持ち始めるくらい。
(復職後の生活を考え、年明けから妻にシフトしていくことも考えねば。)
家事は、家事代行サービスの仕事ができるようになる目標をたて、Youtube含めプロの試行を取り入れまくっている。
まだ金をもらえるレベルではないが、年内には稼げるレベルにしたい。
やるかどうかは別とし、できる仕事は多いと選択肢が増えるので良いことしかない。
昔に丸の内でビルメンテナンスの仕事してたから、それの家庭版かな。
息子も原始反応が薄まってきた。
寝返りを打ちそうで不安だが、首も一気に座ってきた。
まだまだ生活リズムは崩壊したままだが、ベースとなる生活リズムを考えて、これから育児を頑張っていこうと思う。
この通りに行くことは不可能だけど、なんとかうまくやっていきたい。
早速、記事を書いた前日も、夜はギャン泣き対応で、うまくいかずw
育児と家事を全力で楽しみます!!
おむつ袋として、このパン袋は最強すぎる。
いれると無臭になる。
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