「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち①

 本日、著書『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』が届きましたので、はじめに「朝鮮人虐殺」とはどのような事件だったのかを載せます。そして、この筆者の加藤直樹氏は「九月、東京の路上で」も書かれた筆者でもある事も加えておきます。

 1923年9月1日の午前11時58分に相模湾一帯でⅯ7・9で最大深度7という巨大地震が関東地方中心にして襲い、折からの強風により、しかも昼食の支度などで火器を使用していた事などから東京市や横浜市などでは火災が瞬く間に広がり、そして、この火災は3日朝まで続き、東京市では44%、横浜市では80%が焼失し、火災に追われた人たちは、日比谷公園、上野公園、皇居前、荒川河川敷、あるいは延焼の恐れのない地域へも続々と人の波が押し寄せる事から、政府はこうした事態が政治的混乱につながる事を恐れて、9月2日に東京市と東京府下の5都で戒厳令を施行。
 そして翌3日には東京府全域、神奈川県、4日には千葉県、埼玉県にも拡大された。焼け残った街にも群衆が押し寄せ、そのような場所は日没になると停電により、闇に沈み、一方、都心方向の空は燃え続ける炎で赤く染まる事などから、人々の不安は怒りへと変わり、様々な「流言」が飛び交い、その一つが「朝鮮人が暴動を起こしている。」「井戸に毒を入れている」などが、各地に広がり、この「流言」が朝鮮人の迫害に帰結することとなり、上野公園や荒川河川敷のような避難場所では群衆が朝鮮人を見つけ次第襲い、被災していない地域では「自警団」が組織され検問を行い「15円50銭」と発音できない者を竹槍や日本刀、とび口などで殺害した。
 そして行政機関もこの流言事態を拡大し、現場の警察官も流言を信じ行動し、各地の警察署から上がってくる報告を受けた警視庁も、いったんは「朝鮮人暴動」を信じ、2日夕方には「不逞者に対する取締を厳」にせよとの通牒を発する。それがまた現場へとフィードバックした。
 さらに、治安のトップである内務省警保局は「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんと」しているとの電報を海軍船橋送信電信所から全国に発した。…と。
 さて、下の動画は社民党の福島みずほさんが、3週間前に国会で質疑され、防衛庁は少なからず認めてはいるものの警察庁は「資料は昔の事だからありません」というようなふざけた答弁をしています。

 さて、上記の「十五円五十銭」をめぐってはフォークシンガーの中川五郎さんが歌にされていますのでお聞き下さい。
 

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?