麒麟、スマホ大国 -上-

もしも仮に、この世界がマトリックスだとするならば、
そのマトリックスの中のまた更なるマトリックスが
このスマホという小さな箱なのでしょう。

というこのアイディアさえも、マトリックスの一部のようなものです。
その外側に"本当の世界"のような
別の何かがあるとは限らないのですからー。

「私のペン」と言うとき、ペンは私の物ですが、私自身がペンではありません。
これと同じことが、「私の家」「私の犬」「私の作品」「私の体」「私の考え」「私の歴史」…などにも言えるようです。
”私の~”と付くものは、私の所有物ではありますが、私そのものでありません。
そして「私のアカウント」も、私そのものではありません。


私たちキリンは、この数年間で目覚ましい進化を遂げました。かつて大自然の中で生きる四肢動物であり高い木の葉っぱを食べるために首が約2メートルもあった姿は、今の私たちの見た目とは驚くほどかけ離れているでしょう。今でも人間たちに比べると多少私たちの首は長めではありますが、一見すると人間たちの姿とほぼ変わりません。全く違う箇所と言えば元祖キリンと同じ角が頭に生えているところくらいでしょうか。もちろん、キリン同士であれば言葉を交わさずともその角からテレパシーを送り合うこともできます。そういえばそこも人間たちとは少し異なる形態ですね。

私は帰路に使うこの電車から見える夕日が好きです。立ち並ぶビルの狭間から、何色にも例え難い美しい陽の光を見るのです。お天気があいにくだと残念ですが、それはそれでまた違った景色を楽しめるものです。あとはボーっとするか、車内の人間観察をしてこの時を過ごします。本の内容は概念になるのでなるべく読みません。

行きの電車でも帰りの電車でも、人間たちの様子はさほど変わらないようです。みなさんずっと自分のスマホを見つめていらっしゃいます。お友達同士で入ってくる学生たちも、それぞれそうやって過ごしていらっしゃるようです。たまに私のお気に入りの夕日に着目される方もいらっしゃいますが、大抵はスマホのカメラで撮影なさるのが目的のようです。そのような写真はすぐさまウェブ上に公表なさるようで、そのことに忙しく”本当の夕日”を誰も見ていないような気がします。これは旅行先で写真を撮ることに夢中になりすぎて、本当の景色を肉眼で楽しむことを忘れているのとよく似ています。

しかし私は、人間たちがこれほどまでにスマホに心身を奪われてしまった原因は、人間たちが怠慢だからでも愚かだからでもないのだと察します。人類の長い歴史上の生活を振り返ると、これはどうにも相性が悪すぎると思うのです。このスマホというデバイスはもはや――人間たちにとっては麻薬と同じくらいの中毒性を与える危険物と化しているか―若しくは最初からそのように制作されたかのどちらかでしょう。

通知はスロットマシンのように、ランダムな報酬として巧妙に脳を刺激します。永遠に満たされることはないとも知らず、次へと欲求が湧き続けます。スマホを一番最初に開発した人間も、ご自身の子供が幼い頃には決して使わせないように努めていらっしゃったようです。「いいね」の機能を最初に開発した人物も、恐ろしいものを作ってしまったとひどく後悔なさったようでした。しかし一部の人間たちはこの危険な箱を普及させることを止めなかったのです。

この車内でも、通知音に反応し続ける人間たちはひどく疲れているように見えます。私たちキリンは角でテレパシーを送受信できますから、スマホを持っていません。それでも、24時間いつでも何頭とでも繋がれるようには私たちキリンは作られていないのです。これは元祖キリンが四肢動物だった頃からそうでした。元々私たち動物は、寝ても覚めても誰かと繋がり続けることに対応していないのです。孤独は孤独ではありません。

AIが人間を支配する時代が予測されたご時世も過去にあったようですが、その頃にはすでに人々の脳はスマホにハッキングされてしまっていたようです。使うのではなく使われる側になってしまう前に手を打っておけば良かったでしょうに、人間たちの間では何か派閥があったのでしょうか。どうにも不可解な政策が存在していたかのように感じます。

そこで私たちキリンは、人間の子供たちのためにある計画を企てています。本当はあの子たち、青空の下で駆け回ったり、部屋にあるものを散らかしたり、ママの仕事中に大声を出したりしたいのですが、一度スマホやタブレットで動画を見せてしまうと大人しくなるものですから、どうにも押さえつけられたまま虜になってしまうのです。最初は私たちとテレパシーを送り合えた人間の子供たちも、デバイスの使い過ぎでやがて交信が取れなくなっていきます。勿体ないとか可哀想だから救いたいという以前に、ただ単に私たちもそれではつまらないのです。人間たちは本来はとても、素晴らしいものをお持ちなのですから。




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