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伝説は世紀を跨いで映画になった〜『ボヘミアン・ラプソディ』

遅ればせながら『ボヘミアン・ラプソディ』。
冒頭、ライヴ・エイドのステージに向かうフレディの姿が描写されます。そのシークエンスはラストで反復されますが、同じカットではありません。変化をもたせているのです。この編集の妙は映画全体の成り行きを象徴的に示しているようにも思われ、なかなか秀逸です。

また、フレディがエイズと診断された病院の廊下で、ファンとおぼしき若者から「エーオ」とコールされ、「エーオ」とレスポンスする印象的なシーンがあります。ライヴ・エイドのステージで、今度はフレディが大観衆に向かって「エーオ」と呼びかけ、「エーオ」と返ってくるシーンとして反復されます。
クイーンと聴衆とのあいだにはそのような双方向のコミュニケーションが確かに存在していた、というにとどまらず、フレディが体現した音楽の力を映画の観客もまた実感することになるのです。

己が人生の残り時間が少ないことを知ったフレディが、ライヴ・エイドに出演する。そのことによって、アフリカ難民救済活動をサポートするだけでなく、多くのファンを魅了し、空中分解寸前だったグループをも立て直す。その生命を削るようなパラドキシカルなクライマックスをもって終幕する映画ならば、下手をするとヒロイックで悲壮的な感慨に支配されても不思議はありません。が、必ずしもそうならないのは、やはりロックン・ロールの垣根を超えて飛翔していったフレディの自由なスピリッツによるものといえばいいでしょうか。

フレディが才能に恵まれながらも、旧植民地出身で差別や偏見に苦しみ、性的少数者でもあったという事実はいうまでもなく重要な要素です。複層的なマイノリティとしての人生を歩んだことが、いっそう彼の才能を鋭角的にしたことは確かでしょう。彼は文字どおりのボヘミアンでした。

私自身はクイーンの音楽に同時代的に熱中したわけではないけれど、同世代の友人にはクイーンに夢中になった人が少なくありません。そのような友人たちからの熱い反響が私の耳にもとどいてきます。
もちろんクイーンに何の予備知識もない若い人たちが観ても充分に堪能できる映画であることを作品の名誉のために申し添えておきます。

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