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"気分を上げる方法"を思いつかない。

先日、久しぶりに落ち込んでしまった。

1つは、受けている研修を辞めたくなったから。
もう1つは、そうやって、嫌なことがあった時に、自分を持ち直す方法を知らなかったから。


研修の内容を詳しく言うことはできないけど。
一因には、クラス内に苦手な人がいる、っていうのもある。ただ、それだけなら耐えられた。
原因は、研修の内容や、研修をクリアした先の仕事が、私が思っていたものとは違うこと、「私」には合わないと思ったこと。

そもそも、仕事を正しく理解できていなかった。
研修を受ける度に、仕事の実像のようなものを理解していって、違うな、と思った。

どういう違いかというと、
私は「自分の世界観を表現した音楽をしたい!」と思ってるのに、「100万人にヒットする曲を作りましょう!」と言われた感じ。

音楽の話じゃないんだけど。

これは、結構な違いだった。
確かに、何事も基礎を学ぶのは重要だと思う。

けど、そもそも理解ができなくて。

「一番面白いと思うものを作れ」

と言われる。
それは、つまり万人が面白いと思うものを作れ、ということである。

それが嫌だ!と言うよりは、「できない」に近い。
「万人が面白いと思うもの」を、私が面白い、と思わないから。

だから、万人が面白いと思うんじゃないかな?と思って作ることができない。

めちゃめちゃ売れたものを参考にしましょう!と言われる。
まずそれを見たくないし、見ても面白いと思わないのである。

これは続けるのに致命的だと思った。

続ける為の理屈をいくらでも考えられたけど、どうしても、是、と言えなかった。

ときめき、心地よさ

そういうものからはかけ離れているなと感じた。


そうしてまず、「続けたくない!」で気分が沈んだ。


次に、「実際に辞めるかどうか」を考えるのに沈んだ。

大学院も辞めて仕事も辞めて、私はまた、続けられないんだろうか。
それがすごく惨めなように感じた。
結局、全部納得して辞めたはずなのに、その過程で何度も耳にした「辞めることへのマイナスイメージ」が蓄積されて、自分もそう感じるようになってしまった。

そうやって、辞めることに抵抗を感じるのも嫌だったし、それでも、辞めること自体も嫌なような気がした。

講師に言わないといけない、管理者にも言わないといけない。
そういう煩雑さも億劫だった。

ちょうど前日、友達と「何かを辞めるのは体力がいるよね」って話したばかりだった。


そうやってぐるぐるして、ぐるぐるして、「いや、この状況はよくない」と思った。
この、ネガティブの中にずっと沈んでるのはよくない。
沈んでるだけじゃ意味がない。

とりあえず気分を持ち直そう。幸せを感じよう、と思った。

これは、私にしては本当に進歩だと思う。
前だったら、ひたすらネガティブに浸ってたから。

じゃあ、何をしたらいいかな?と考えて、あれ、なんだろう、となった。
私が心から幸せ!だと思えること。
いくらでもやり続けられること。やれば、テンションが上がること。

思いつかない訳じゃない。

彼にくっつく。
彼や友達とお出かけする。
友達と一緒にゲームする。

絶対に気分が浮上する、という方法はこれだけ思いついた。
思いついたけど、全部、「誰かと」することだなと思った。

これまで色んなメンタルの本を読んで、「自分がコントロールできることに集中する」ということを学んだ。

「誰々がこうしてくれない」「理解してくれない」
と言うけど、そもそも他人はコントロールできないものなので、そこについてマイナスに考え続けても仕方がない。というような。

そういう点で考えると。

私が気分を上げる方法、が、全部人に依っているのは、まずいんじゃないかと思った。

実際、今すぐ誰かと出かけられる訳でもない。彼は会議中でくっつけない。友達も仕事中でゲームできない。

だから私は、「自分一人で気分を上げる方法」が必要だと思った。
でも、考えても考えても、何も思いつかなかった。

あれ、私って何が好きなんだっけ。
こういう時、何してたんだろう。

何も分からなくて、それでつらくなった。

好きなものが何もないんじゃないか。と考えたりした。


今思えば、それは結局、「人生をかけてやりたいことがない」という状況とほとんど同じだとわかるけど。つまり、ずっと悩んでいること。それが、別のアプローチからまた露見してしまっただけ。


飽きずにやれること、がない。
原神も編み物も、一定時間やれば飽きる。次の日とか、時間を置けばまたやるんだけど、そうじゃなくて。

ずっとやり続けられるもの。
(友達と通話しながらだったら、いくらでもゲームできるのである)


目がキラキラ輝くような。
家ですぐできること。一人で。

探しても探してもなくて、私が求めすぎなんだろうかと思った。

編み物を始めた時のような。
1日8時間くらいやってたみたいな。

結局、飽き性の私には何もないんだろうか。
何も極められない、私には。

もしくは、何かまた新しいことを始めたらいいんだろうか。
でもきっと、同じようにすぐに飽きるんだろうな。

「ときめき」を信じられないように、時々、自分の「好き」も信じられなくなる。
読書も編み物もゲームも、タロットも世界史も、好きだと思ってたけど、こんなにやる気がないってことは、気分を上げる方法に挙がらないってことは、本当は好きじゃないんじゃないか。

庭園は好きだけど、出かける気力がないとか。


そうやって、沈んでた。
彼にも話して、色々会話したけど、なかなか光が見えなかった。


そもそも、どうして今更こんなになってるのかを考えた時。

休職してから今までは、外と関わることもなく、こうやって落ち込むことがほとんどなかったから、「落ち込んだ時の対処法」が必要なかったんだな、と気付いた。

休職以前は、大学でも仕事でも、やることがたくさんあって、ずっと考えなくてよかったのと、人に簡単に会えたから、紛れてたんだろうな。


今なら、結局幸せを感じるのは人との関わりなんだから、私が挙げた方法が、それしかなかったことが悪い訳ではない、とも思う。
でもやっぱり、それができない時のことを考えて、心を落ち着かせる方法は欲しい。


頑張って考えて考えて、彼と会話をして、とりあえず、ナノブロックとかクリスタルパズルとか、「説明書通りに組み立てるもの」が好きなことを思い出した。

普段は、飾る場所もないし飾りたい訳でもないから、作った後の完成品の行き場のなさから避けてたけど、一旦やってみてもいいかもね、という話になった。

「設計図通りに作るだけ」だから、私は楽しいけど、それが世間にとってはすごく無意味なことのような気がしてた。編み物も一緒。やっぱり、オリジナルで作品を作ってる人の方が、すごく価値を残しているような気がする。

自分が幸せを感じること、と、それが世間に対して価値があるか、は全く別だとは思うけど、今職がないので、どうしても収益化を考えてしまうな。

まぁでもとにかく、そういう「組み立てる系」をやってみよう!と思う。

定点カメラで撮って、早送りしたら、それはそれで見て面白い絵のような気もする。自分の記録としても。

そうすると「カメラで撮る」に関して、固定方法とかで問題が出てくるけど、それはまた少しずつ攻略していこう。動画や記録だったら、作品である写真ほど頑張らなくていいから。できるはず。


とにかく、「気分を上げる方法」をすぐに探し出した時点で、偉い!のである。
引きずられ過ぎずに、少しずつ方法を見つけていきたい。

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