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刹那主義を抱えて生きる


昨日、友達に会って。(最近よく友達に会う)
同期入社で、二人で同じ部署で、1年間一緒に頑張ってた。

私より先に会社を辞めた友達。


会社を辞めてから会うの2回目?かな?だけど、辞めても会えるんだ、っておかげで思えるようになった。うん。辞める方向に気持ちが進んだ。

っていうのはよくて。


まぁ、生き方の話をしたりして。

結論を言うと、やりたいことはやれるときにやる!


彼は最近書店で平置きされている

これを読んだみたいで。
私も立ち読みしたんだけど。

彼は「確実に毎日減っていく余命に目を向けて」っていう考え方で、それ自体は私とは違うんだけど、最終的に行き着く「やりたいことをやれるうちにやる」って言うのが基本的に同じなのが面白いな、と思った。


私は、刹那主義である。

言葉の意味正しいか若干不安だけど。


いつからこういう考え方するようになったんだろう。全く覚えてない。大学入ってからなのは確実である。

刹那主義やってたら受験勉強なんてできないしな。いや、まぁ、あの時の私にとっての自己実現は受験勉強だったのかもしれないけど。


とりあえず、「明日死ぬかもしれない」と思ってる。明日、いや、1時間後、1分後かもしれない。

毎日、「明日死ぬかもしれない!!!」と思っている訳ではない。

ただ、「その可能性は0ではないよな」と思うことがあるだけ。

そして、将来的な長大な大局的な計画とか見通しをしたくないだけである。



明日死ぬかもしれないのに、なんで必死に働かなきゃいけないの??


である。だって、明日を謳歌するくらいのお金は余裕であるから。

ただ、これを極めすぎると、生きていけなくなるのもわかってる。この先80年生き続ける可能性だってある訳だから。

結局、この社会システムに乗って生きていこうと思えば、完全な刹那主義にはなれないと思う。妥協点を見つけながら生きていくしかない。

ただ、必要以上に将来を憂える必要はないんじゃないかな、ということ。


まぁ、一つだけ言っておくと、私は一時期刹那主義を極め過ぎて、まじで生きる意味がわからなくなった。ので注意は必要かもしれない。笑

明日死ぬかもしれないのに、明日生きる意味わからなくない??ってなった。
人生でやりたい、言い換えると、死ぬ前にどうしてもやりたい!ことがなくて。

私を愛してくれる人と出会えて、いつもそばに居られて、もう3年以上も過ごして。楽しい思い出もいっぱいあって。

もし今死んでも、特に後悔ないんじゃないかな、って。これ以上何を望んで生きたらいいんだろう。いや、望んでも死ぬかもしれないし。

(本当のことを言うと、「いや、Sound Horizonの作品は見届けなければいけないのでは?それまで死ねなくない?」というのが理由の大部分で持ち直した。)


ので、まぁ落ち込んでいる時に考えすぎると危険かもしれないけど。

私は刹那主義。って言うと、少し客観的になれる気がする。

"刹那主義"で生きなきゃ!!!じゃなくて、

私は刹那主義なところがある、って客観的に認識する。


明日死ぬかもしれないから。
今楽しみたいことを楽しむ。

何ヶ月も何年も先、っていうか起こるかわからない事象を恐れて今我慢するよりは。今を楽しむ。結局今の積み重ねだからな。


私は刹那主義を抱えて生きる。

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