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[その4]UA重松名誉会長に2年たって納められない話➞なぜ自信満々の新しい生地が商談にならなかったのか

前回、展示会申し込み時と出展時で事業の方向性をガラッと転換させてしまった、と書きました。

どういうことかというと、

今までは、生地だけを売る工場だったのですが、新しく作った生地は、売らないことにしたのです。

これだけ聞くと、なんだか良く分かりませんね。前にも書きましたが、私たちは、主にキモノやお坊さんの衣になる、染める前の白の絹の反物を作っている工場です。商品はこれです。

それで、今回展示会で商機を見出そうとしたのが、これです。

見た目で違いが分かるでしょうか。薄い素材です。薄い生地は、世の中にはたくさんありますが、夏のきものやお坊さんの衣に用いる、「絽(ろ)」と「紗(しゃ)」というシルクの生地を薄く軽くしたのです。

まぁ生地のことを書き始めると、本業のことになるので長くなるので抑え目にしますが、この新しい生地開発を通じて得られたことは、消費者目線を持つことが大切か、ということです。

今まではとかく、自分たちの主体の技術ありきの、できることありきの、考えが中心だったと思います。

きものという歴史あるものでフォーマル用途も強ければ変えずらいというのもあります。また流通も関係しています。新しく作った反物の良し悪しを取引先に聞いても答えが返ってくるわけではありません。注文が入るか入らないかの結果のみ。注文が入ったらなぜ入ったのか。ただ新しいものを目先の提案としてほしかったのか、何か部分的にでも評価されたのか。注文が入らなかったらなぜ入らなかったのか。価格なのか、品質なのか。まったく分からない。暖簾に腕押し、糠に釘というか、良く分からない、というのは思考を停止させます。

でも、何か新しいことをすると「自分たちなり」に考えます。

薄ければいい、軽ければいい、ってものではなく、大事なのは、この生地がどう消費者の役にたち、必要とされるものになるか、価値があるのかどうか。ということです。

私たちは、この生地を主に、ストール、スカーフ、ショールなどのネックウェアの素材として価値を見出したい、としていました。

よく分からないなりに進めてきたというのもありますが、色々と生地の改良を加え試験で染めてみて、できばえを確認し、それが客観的に良いか悪いか判断。

例えば、使うたて糸、よこ糸の種類を変えたり、密度を変えたりする。ちょっとの違いで強度も違うし、生地のハリ(巻いた時に立体感が出る出ないとか)も違う、ハリが強ければしなやかさがでないし、正解のないバランスを探る、この繰り返し。

結局のところ、重さなど明確な数値で表せること以外、見た瞬間、触れた瞬間、巻いた瞬間などは、感性によるところが強い気がしたので、開発中は何かと比べることなく、ファッションとは無縁な工場のおじさん、おばさんの直感だけでやっていました。笑

あと初めて染めてみるということもしました。今までのきもの用の生地は、白で出荷するだけ。自分たちで染めることはありません。白い生地の状態がよければOKでした。

でも、新しく開発したストール向けの絽や紗。染めたらどうなるんだろう??ちゃんと使い物になるのか??そう思い、自分たちで染屋さんを探し、染を行ってもらいました。

そう、一番最初に染めをお願いしたのが、重松さんから注文の草木染をお願いした「植物染め浜五の星名さん」だったのです。

私たちは100年続く白生地工場ですが、白だけで染屋さんなんてほとんど知りません。同じ新潟県の十日町に知っているところが1件ありましたが、開発中の段階で同業界に依頼すると、情報が漏れたりして、何言われるか分からないからやめました。笑

つまり、まったくつながりのないところを探し、星名さんと出会ったのです。(まぁググっただけですけど)

星名さんに染めて頂き、初めて染めあがったストールを見た時の感動は忘れられません。その当時は自分たちの生地が商品としての形になることが見えない立場にいたので、すごくうれしい瞬間でした。

また、染めることで色いろ課題が見えました。

生地の若干の違いで、見た目が違うこと。肌触りが違うこと。そして、使いやすさも違うこと。

ストールとはいえ、生地のアレンジだけで、これほどまでに違うのか、と改善意欲がわいたのものです。

また初めて染めあがったものを工場の人で見た時には、今度は私はあっちがいい、こっちがいい、この生地いいね、この色いいね、この柄がいい、この長さがいい、など広がりが見えてきたのも事実です。

あ~商品開発ってこういうことなんだな~って思いました。笑


この辺のことをやりながら、ようやくそうだ一流の商品を見て比べてみようとおもったのです。(今頃か!と言いたくなりますよね)

百貨店にある海外メゾンの店舗を見て、素人ながら私としては、イケル!と思ったのです。うちより良いと思えるものがなかったからです。
この良いは何を求めるかで違うので、はっきりとは言えません。でも自分の中ではイケルと思ったのです。

ちなみに、そのイケルポイント、自分たちで商品化したあとに書いた記事があるのでリンクを張っておきます。



これはイケル!

だから、意気揚々と展示会に申し込んだのです。でも、展示会前に方針が変わりました。当時、色々と勉強させていただいていた岡田茂樹さんという方から、こう一喝されました。

忘れもしない、2015年8月4日

岡田さんが山形県の鶴岡に向かう前に少しお時間をとって頂き、新潟駅内にあるヴィドフランス(喫茶コーナー併設のパン屋)で打ち合わせをしました。笑

その時、展示会に向けての相談をしていたら、

お前たち、自分たちで新しく開発した技術を、他に売るバカがいるか!自分たちで商品化しろ!白生地を一切売るな!!

と。その時は、頭が?になりました。

だって、自分たちは工場で白生地を作ることが仕事。
今までは、その白生地を売ることで売り上げを立てていたのに、生地を売るな、って。。。
そして、新しい生地を売って、売り上げを上げて、利益をだして、新しい人を雇って、高齢化している職人さんの若返りを徐々にはかろうとしていたのに・・・。

そもそも岡田さんとは?

そもそも、いきなり出てきたこの岡田さん。どういう方かというとファッション業界では、シマダジュンコの社長したり、東京ファッションデザイナー協議会(CFD)の議長をしたり、など相当にキャリアのある方です。つまり名だたるファッションデザイナーのとりまとめ役をされたりしていた方ですし。


初めてお会いした時

関東経済産業局が推し進めていたシルクのプロジェクトのアドバイザーでした。埼玉県の岡谷というところでシルクのイベントがあった時に、はじめて横正機業場として紹介させてもらいました。

しかし、岡田さんからは、「あれは、ひどいブース展示だったね!センスも感じられない。笑」と一蹴。でも、「眼だけは輝いていたら気になった」と言われました。

そうです初めて外の世界に飛び立ったわけですからね、まだ見ぬ広い世界と可能性に期待を膨らませていたわけですから、そりゃ気合いれてキモノも着ますし(といっても親の大島紬でしたが・・五泉物とは全く無縁)、眼も輝きますよ。笑

ブース展示だって、私の中ではそれなりに頑張った感がありましたが、センスがないといわれてしまえば、そうですね。。。(たしかに汚い)

そんなことがありながら、目をかけて頂きはじめたのです。


何が言いたかったのか?

ズバリ、若いんだからチャレンジしなさいってことだと思います。

自分たちは、素材工場だから、世間から知られていない、ことが課題と感じていました。これは、別に会社の名前を売りたいわけじゃなくて、職人の高齢化に伴い、次の職人さんを育てるためには魅力ある仕事だと思ってもらいたい、それだけなんです。

だから、新しいやりがいのある仕事を作る為に~~と取り組んできました。

でも、生地で売ることを目的にしたらその先の広がりは見えないんですよね。結局またどこの生地か分からず商品になっていき、消費者に伝わらないのです。それは、和装と洋装で違いはあれど、今と同じになるのです。

もちろん、自分たちで商品化というのも考えていました。でもまだ早いかなって思っていました。生地が売れて経営の立て直しをはかってから取り組めばいいと思っていました。

そこも一蹴。今やらずしていつやるんだ。そもそも生地で売ったらすぐまねされるぞ、と。ファッションの業界だって、周りはみなハゲタカ。気を許したらいかん。自分たちで消費者をみて、商品化して、自分たちで販売する、勉強せず、チャレンジせず、地方の中小零細企業が残る道はない、すべてこれにするのではなく、売上全体の数%でいいから、まず目指しなさい、やるなら協力するけど、やらないなら協力しない。と言われました。

岡田さんと別れたあとすぐに社長(兄)に電話。「岡田さんにこう言われたんだけどやるしかないよね。」と。

だから、展示会に出展することが決まったのに、生地では売らないことになったのです。

出展してみて

実際、出展したとき、大手スカーフ系のメーカーなど多くの関係者が生地を見に来られました。そして、価格やロットから聞いてきます。当たり前ですよね、商談会なんですから、生地を見てよければ仕入れたい。価格と品質があうかどうか。そして商品として売れるのかどうか。

その時、自分たちの努力やこだわり、取り組んできた経緯なんてまったく聞かれません。そうか、生地を売るってこういうことなんだって肌で感じました。ある意味、物の良し悪しだけで測る真剣勝負。でも自分たちがやりたかったことってこういうこと?って疑問も持ちました。

今回の生地には一つ一つ意味があり作り上げいったのに、流通を変えなければ、結局それは消費者には伝えることができないのだと。

岡田さんの言われたことが、ようやくですが、少し分かった気がしました。


結局、「ここにあるストールは展示品で、生地も販売していません」などと商談の場にあるまじき回答をしていました。

仕事にはなりませんでしたが、バイヤーの評価が得られ、自信が得られました。ただ、自社としての商品化・・ブランドづくりをどうするか、これからがスタートがはじまったのです。

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