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おばあちゃんお帰りなさい !

はちべい、留守中はいたずらもしなかったようじゃな。めずらしいのう。
3月はわしのお母さんとむすめの命日でお墓参りに行っていたのじゃ。
わしには3人の息子がおるのは、はちべいも知っていると思うが、
その下にむすめがいたのじゃ。
彼女は生まれながらに短い命とわかって生まれてきたのじゃよ。
それでも、わしもおじいさんもとても嬉しくて、毎日病院まで
むすめに会いに行った。
おじいさんも務めを終えてから、毎日ICUという特別な病室に行っては20分だけその娘を自分の胸に抱っこできるカンガルーケアというものを楽しみにしてたものじゃ。
休みの日は、自分たちのことはそのままにふたりで、むすめのお風呂の時間を楽しみに通ったもんじゃ。
4か月を迎えようとしたころ、お医者さんにお話しがあるということで、病院に呼び出された。それがどういうことを意味しているのかは、ふたりとも覚悟していたんじゃ。
それからは、なにせ忙しかったなぁ。むすめは酸素をしっかりと身体の中に取り込むことができなかったので、彼女を寝かせるための特殊なベットをおじいさんは手作りした。
心臓のお薬を定期的に鼻にチューブを通して与えなければならない。
わしもおじいさんも看護婦さんにお薬の与え方を必死に教わった。
酸素濃度を測る器械を彼女のかぼそい腕に取り付けて、夜通し寝ないで看病しなけてばならない。それでも、ふたりとも必死だったし、その時間は限られていて二度と帰ってこないとわかっておった。
おじいさんは、勤め先も長期休暇を取り、手持ちの2台の自家用車も売り払ってお金を作った。退院して八か月が経ったころ、その娘は静かに旅立った。
おじいさんはそれから七年間、その娘の前に立つとどうしても涙を止めることができなかった。
しばらくはお骨もお墓に収めようとはしなかったんじゃ。
その娘をひとりぼっちで冷たい土の中に置いてくることができなかったんじゃな。
でもなぁ、おじいさんは言っておった。「それでも、生まれてきてくれてよかった」と。
毎年、その娘がこんな姿になっておるかなぁと想像することができるし、何よりも自分たちの中にずっと生きていると。そんな思い出を残してくれたと。
おじいさんは、こんなことも言っていたのう。
あの娘が、息も絶え絶えの状態で見ていたキラキラした視線の先には生きることの素晴らしさを見たと。
はちべいも、今生きていることを大切に思って、絶対生き切るのじゃぞ。
生きたいと思っても、そうできない命があることを忘れるでないぞ。
わしは、そんなおじいさんの気持ちもあって、このブログを始めたんじゃ。
おじいさんは、そんなむすめを思うとき、虐待されている子や自ら命を絶つ子を何とかしたいと考えるそうじゃ。これは、実話なんじゃ。