巡り会えたこと-宝くんの話5

「いつ以来かのう、普賢」
「昨年の9月以来じゃないかな?」

 はにかんで宝の質問に答える普賢は、見た目15・6歳に見える、純粋無垢な少年だ。

 水色の短髪の先が跳ねている彼は、宝と同じ元始天尊の門下生で同期である。

 修業をさぼってばかりいた宝とは違い、彼は真面目にこつこつと修業をして、崑崙十二仙にまで上り詰めたが、先の仙界大戦で命を落としてしまった。

 今は、宝が行った封神の儀式ー死んだ魂をそれぞれ神として任命する事ーにより、普賢菩薩として、毎日人助けをして過ごしている。

 彼は文殊菩薩と共に釈迦如来の脇侍ーとても分かりやすく言えば、遣い走りのことーとして、忙しい日々を送っているようだ。

 その彼にとって、親友とこうして会って積もる話をする事は、大切な息抜きになっているのだろう。

 付け足しておくが、太公望(宝)を縹家の養子として迎えることを予言したーというのは変な話だがーのは、紛れもない彼自身であるということを忘れてはならない。

 さて、彼等はお互い自分の身に起きたことを話して、過ぎゆく時間を過ごしていた。

 途中、話し声に気付いた扇が、自分の寝室に来たついでに、お菓子とお茶を持って顔を出したときは、驚いてもう話しを切り上げようかと思ったが、なるべく声を小さくして話すことを条件に、夜更かしを許してくれた。

「だから言ったでしょう、縹家にお世話になれば、込み入った話しも出来るって」
「うむ・・・確かにおぬしの言う通り、あの二人は、無条件で理解し難い使命を背負うこのわしを受け入れてくれた、大切な者達だ」

 二人は縹夫妻を褒め称え、本当についていると、それぞれ幸せだということを認めあった。

「おぬし、仕事ははかどっておるか?」
「まあそれなりに、手際よくやってる」
「何だ、やはり忙しいのか?」
「うん・・・外回りじゃない日は、お参りに来てくれた人達のお願い事や、愚痴聞きで大変でさ」
「ふむ,それで?」
「最終的には全ての願いを叶えるんだけど、その順番を決めるのが難しくてね」
「成程、なかなか叶わなければまた同じ願いを伝えに来るものな」

 宝は苦笑して、普賢の気持ちを汲む。

(仕事、それなりに頑張っているのだな)

 向かい側で楽しく、時には辛そうに話す普賢を見て、彼を菩薩に任命して良かったと思った。

「望ちゃんの方は、学校ちゃんと行ってる?」

“さぼってないよね?”と、疑う普賢に
「定期検査以外の日は登校しておるぞ」
と、笑いながら答えた。

「学校・・・楽しい?」
「何だ、扇みたいなことを言うのう・・・」
「うん」

普賢は苦笑して、コクリと頷き
「昔は何も出来なかった状態だったから」
“本当は”と言い掛けて、言葉を呑み込む。

 宝が彼を軽く睨んでいたからだ。

“3千年前ーカコーの話など何も聞きとうない!”

瞳の奥にそんな言葉がはっきりと浮かんでいる。

「あのね、望ちゃん」
「ところで普賢、奈義から手紙が来て、8月の1日から3日は友達と旅行へ行くから、遊べないって、断られてしまってな」

“参ったよ・・・”と、普賢の呼びかけを遮って話し出した。

 あたふたしている彼を無視し、彼女から送られて来た手紙を見せる為、徐ろに本箱へと近づく。

 引き出しから女性らしい可愛いがはっきりしている宛名が書かれている封筒を取り出し、ベットの端に腰を下ろした。

 ここは程々な硬さで、正座して痺れた足を伸ばすには、もってこいの場所だった。

 封筒から桜の花びらが舞い散っているイラストが描かれた便箋を引っ張り出して、普賢に手渡そうとした。

「普賢、何を怒っておる?」

 彼に向かって真っ直ぐ伸ばした宝の腕が、そのままの状態で固まっている。

 対して、普賢は笑顔を見せず、仁王立ちになって口を一文字に結んでいた。

 彼は宝の問いに答えず、ゆっくりとした足取りで近づいていく。

 その行動にますます恐怖を憶え、宝の体は完全に凍りついた。

「来るな、普賢!」

“このまま来たらわしは何処へ逃げたら良いのか”

 そんな強い言葉で、普賢が動きを止めるはずもなく……

「望ちゃん!」 

 滅多に怒鳴る事がない普賢の大きな声に驚いて、宝はドンッと背中側から倒れていく。

 鈍い音に我に返った彼は、ベットじゃなければ、頭を強く打っていたに違いないと、何処かで安堵の溜め息を吐いた。

 ホッとして、ベットに何気に感謝したのも束の間、目を吊り上げた普賢が、宝の瞳に飛び込んくる。

(何かこやつが気に障ることをしたのか?)

 彼が自問自答しているとも知らずに、普賢はベットに押し付けた両手に力を込め
「3千年前(カコ)からまだ逃げてるの?」
と、震えた声でそう訊ねた。

 痛い所を突かれた宝は、言葉が出ない。

「その過去があるから、今の望ちゃんがあるのに」

“まだ認めていないの?”と、瞳で語り
「僕はあの時出来なかったことを、今取り戻してほしいだけなんだ」

 そう訴えた普賢の顔が、怒り顔から徐々に泣き顔へと変わっていく。

「落ち着け、扇達が起きたらどう説明」
「起きたっていいよ!」

 再び怒鳴る普賢の態度に、言葉を失った宝は、今の状態でただ見つめるしかなかった。

「僕は菩薩になってから、色々な人の過去や未来、それに思いが見えるようになったんだ。
望ちゃんだって例外じゃない」

“だから、嘘を吐いても無駄だよ”

 普賢の切れ長に近い目が涙ぐむ。

「望ちゃんには辛くて捨ててしまいたい過去ーモノーかもしれないけど、それを手放すだけじゃ超えられないよ!」
「普賢よ……こういうのは越える、越えないの問題ではないぞ」
「そうだよ……でも、望ちゃんは進んだと思うと、また立ち止まるじゃないか。
沢山の死を自分の意思に関係なく見せられれば、誰だって生きる感覚がおかしくなるんだ」

“僕は何を言っているのだろう?”と、自問しながらポロポロと滴り落ちる涙を拭う事もせず訴え続けた普賢を、電灯の灯りが優しく包み込んだ。

「それでもみんな、そんな過去でも受け入れて生きていくのに、望ちゃんは違う!」
「普賢、泣くでない。
わしが辛くなるではないか」

 そのままの態勢で、時が止まる二人。

 どうすればこの状況から解かれるのだろうと、考えを巡らすものの、宝には一向に答えが出てこない。

 ややあって、彼は思い出したかのようにポツリ
「おぬしからは、わしと同じような過去話など聞いたことがないのに、どうして責められなくてはならぬ?」
と怒りを抑えて、泣き腫らした普賢に訊ねてみた。

 普賢は袖で涙を拭くと、再び口を一文字にしてから
「思い出したんだ・・・僕が永遠に忘れたかった過去を…菩薩になって、一番最初に知りたくて……釈迦如来様に見せてもらって」

“望ちゃんと同じぐらい非道い過去ーカコーだったよ”

 重い空気が部屋中に張り詰め、一刻も早く抜け出したくなるが、それを許さないと言わんばかりに、普賢の両腕が宝の体をしっかりと挟む。

「だけど僕は逃げなかったよ……むしろ嬉しかった。
だって、見えない人達やその思いが、いつも僕を支えてくれて、乗り越える力をくれたことが分かったから」

 普賢はもう一度涙を拭い、気持ちを落ち着かせる為、暫くの間口を噤む。

 その僅かな隙を狙って、宝はベットの上の方へ、体を捩りながら抜け出した。

 そして息吐く暇もなく、今度はベットの横へー丁度ドアと向かい合わせにー座り直す。

 宝は普賢にまた責められたりしないだろうかと怯えていたが、それは杞憂に終わった。

 普賢はというと、まだ固まっている宝をちらりと見てから
「怖い思いをさせてごめん・・・」
と、申し訳なさそうに謝る。

「わしも・・・おぬしのことを知ろうともせずに、愚痴を零してしまって」

 宝も普賢の気持ちを知らずにからかったことを詫びた。

 普賢は何度も首を横に振りながら
「これから封神する人を迎えに行くのに、余計な事しちゃったね」
と、無理矢理笑顔を作って見せる。

 それが妙に痛痛しくて、宝はかける言葉を探すが見つからなかった。

「迎えに行くのって、確か8月でしょう?
その間に旅行の準備をしておいた方が良いよ」
「その辺は心配しなくても大丈夫だ。
宿も既に予約してある」

“後は旅行費を貯めるだけだ”と、宝は抜かりないという態度を見せて笑った。

 やっと安心したのか、普賢は片笑みを浮かべたかと思うと“あっ、そうだ!”と、声を上げる。

 今度こそ扇達が起きると思い、宝はビクッと肩を竦めた。

「小張奈義ちゃんのこと、大切にしてあげてね。
あと、近々望ちゃんの知っている人に出会うから、色んなことを話してきなよ!」
「何故?」
「話しが長くなるから、教えてあげない!」

“内緒だよ”と、口に人差し指を当てた普賢は、思い出し笑いをする。

「じゃあね、僕次の仕事にいかなゃ……」

“扇さんに有難うって伝えておいて”

 黙って見送る宝に伝言を頼み、そのまま音もなく姿を消した。

「……わしはまだ、沢山の人達に助けられておるのに、その者達を疑っておるのか?」

“そのような振る舞いはしてこなかったつもりだが……”
普賢が消えてから数分後、宝は反省するかのように呟く。

 その言葉は、誰かに拾われることもなく、静かに消えていった。

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