見出し画像

余計な心配症

重度の心配性である。
それも起こる可能性が限りなく低い心配をよくしている。例えば、指先を少し切ったとしよう。おおらかで細かいことを気にしない性格であれば、指先を舐めて「ドジやっちまったよ」と恥じらい交じりのほほ笑みを一発かませば済む話だ。
しかし僕の場合、そこから人を殺しうる菌が入り込んで、腕がみるみるうちに醜く変化し、切断に至ってしまったらどうしようとか考えてしまう。自分でもそんなことあるはずがないとは思っているのだが、万が一を考え、ちゃんと水で洗う。
人間生きていれば、身に覚えがなくても体のどこかに痛みや違和感をおぼえるときがある。大抵、数日すればそんなことも忘れて元気に過ごしていくのだが、僕の場合変なゾーンに入ってしまうと、とてつもない病魔への恐怖を抱いてしまう。

そもそもこんな心配をするようになったのは仰天ニュースのせいなのだ。皆さんご存じのあのテレビ番組は、日常に潜む事件や病気を大々的に扱う。「仰天」と謳うだけあって、それらはかなりのレアケースに分類されるものばかりだ。しかし小さな発端から、とんでもない大惨事に発展するケースを知りすぎたせいで、僕の心配性の側面はむくむくと成長を続けた。気づけば過剰に遅刻を恐れ、集合時間の1時間前に到着するタイムマネジメント激下手君になってしまった。

その割に大事なものを失くす。1カ月前に家の鍵を失くした。僕は鍵をよく失くすため、大きなカラビナのキーホルダーをジャラつかせている。自分の腰から音が鳴っていることで鍵の存在を確認できるし、アクセサリーとしても気に入っている。我ながら素晴らしい対策だと思っていたのだが、とうとうそれごと紛失してしまった。本当に自分が信じられず、絶望の淵に深く沈んだ。その時は奇跡的に鍵が警察に届き、事なきを得たのだが、カラビナは拾い主にパクられてしまった。ご丁寧に自宅のカギを外して、元からついていた麻雀牌のキーホルダーでまとめて返してくれた。
淀みのない「死ね」という感情が渦巻いた。鍵は無くなったら困るだろうから、カッコいいキーホルダーだけいただいて警察に届けよう!という道徳心のいびつさが非常に気持ち悪い。後日同じカラビナを買った。ちなみに6000円。

そして3日前にまた失くした。
1カ月前に感じた絶望の淵など氷山の一角に過ぎず、底知れない奈落へ転落するという、上なのか下なのかわからない場所に僕は飛ばされた。こんなに短いスパンで鍵を失くすという絶望、自身の注意力に対する失望、6000円を払って失ったという怨望、3種類の〇望を一気に抱え込んだ私は正常な判断ができなくなり、小一時間漫画を読むという奇行に走った。
結局、洗濯機の中から見つかったのだが、今回の件でモノを失くさないようにすることは不可能だと悟った。
一応、失くした原因を考えてはみた。
まず1つ目はスウェットパンツを履いていたこと。いつもはベルトループに鍵をひっかけているため、そうそう落ちることはないが、スウェットの場合はウエストのゴムに無理やり挟んでいるため落ちやすい。
2つ目は上着のポケットが浅いこと。スウェットに鍵を引っかけるのはやはり心もとないため、ポケットに鍵を入れる。しかしポケットが浅いため落ちてしまう。ここで一番信じられないのが、落ちても気づかないという点だ。歩くだけで音がするようなものを落とせば普通気づくはずだが、僕の耳はその周波数の音だけ聞こえないようにできているらしい。
3つ目は酔っぱらっていたこと。これに関しては何も言わない。お前たちの耳の痛い言葉からは耳を塞ぎたい。

原因から改善しようとすると
①スウェットを履かない
②ポケットの浅い服を着ない
③酒を飲まない
となり、今後生きていくうえで制限されるものが多すぎる。こうなると失くさない努力をするより、失くした後追跡する手段を考えた方がよさそうだ。

他にも自転車のかごに財布を入れっぱなしにして、次の日乗るときに気づいたり、イヤホンを車のルーフに置きっぱなしにしたり、なんというか注意力散漫では片づけられない行動が多々ある。その癖起こりもしない心配ばかりしている。全く、自分がチャーミングで困るぜ。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?