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朗読パンダ note開設しました

はじめまして。朗読パンダという演劇プロデュースユニットを主宰しています、座付き作者の大塩竜也と申します。
弊団は2015年の旗揚げ以来、メールマガジンを発行しており、団体情報に加え、演劇や日本語に関する(極私的な)コラムを掲載してきました。
この度、過去記事(50本ほど)も併せ、より多くの方にお読み頂けるようにしようと思い、noteを開設しました。

1本目として、本日10月9日という日に思ったことをコラムにしましたので、そちらを掲載します。
学術論文を書いていた頃、読みやすさだけには定評がありましたので、少々(たっぷり?)長めのときもありますが、お付き合いを願っておきます。
それでは、以後よろしくお願いします。

アントニオ猪木一周忌に寄せて~世間と闘う覚悟

本日10月9日は、生きていたらジョン・レノンの83歳の誕生日でした。私は1976年生まれで、リアルタイムでは全く間に合っていない世代なのですが、それでもジョン・レノンから受けた影響は計り知れないものがあります。
もしジョンが生きていたら。それはあまりポジティヴな未来を想像できない妄想で、それゆえ人は神格化という作業に走る傾向があるのだと思います。
だからこそ、記録を精査し、記憶を相対化する必要がある。そんな思いが、「忘却の蜃気楼(ミラージュ)」(2021年12月第2回番外公演にて上演)を書いた根底にあります。
なぜこんなことを申し上げているかというと、先日一周忌を過ぎたアントニオ猪木さんについて、私なりにひとつの結論にたどり着いたからです。そしてそれは、演劇というものの在り方についての結論でもあります。そんな訳で、今回は「アントニオ猪木一周忌に寄せて~世間と闘う覚悟」というお話をしたいと思います。

猪木さんが常々言っていた「おめぇら怒ってるか?」「怒りを体現しろ!」という言葉が、私は理解できませんでした。プロレスラーにとって対戦相手とは、日頃寝食を共にし、一緒にトレーニングし、共に試合を作り上げる「仕事仲間」「同僚」「先輩後輩」です。別に憎くもない相手に怒れと言われても怒れません。もちろん人間ですから、相手の好き嫌いはあるでしょう。ですが、毎日その感情に従って試合をしていたら、ただのケンカになってしまいます。プロレスはケンカではありません。だから猪木さんの言う「怒り」とは、プロレスとは闘いであるというケーフェイ(プロレス業界の裏符牒)でいうところのアングル(設定、仕掛け)だと思っていました。
しかし猪木さんが亡くなってからこの1年で、アントニオ猪木という人がこれほどまで世間に認知されたスーパースターだったのかと思い知らされる出来事が多々ありました。新宿京王百貨店の専務発案による企画展などがその一例です。
「猪木のライバルを三人挙げるなら?」と問われた有田哲平さんの名解答中の名解答=「ジャイアント馬場・借金・世間」がよく表しているように、猪木さんにとって「しょせんプロレスなんて~」という世間こそが倒すべき敵であり、また怒りの対象でもあったわけです。そんな世間に対し、いかにプロレスが凄いか知らしめる。これこそが闘魂の原動力であり、この1年の世間の動向を見ていると、猪木さんは生涯をかけて長い試合を闘い抜き、世間というライバルに勝利したんだなぁとしみじみ思うのです。
それと同時に、闘魂の意味が本当に腑に落ちて理解できました。

私は何に怒っているのか? やはり世間に対して怒っています。「演劇なんて~」「しょせん小劇場は~」「だから舞台は~」という世間の目に怒っている。しかしそれだけではなく、そういう世間の見方に利ありと思われるのも仕方ない、覚悟なき同業者にも怒っています。
藝人にとって、最も重要なこと。藝人が藝人であるたった一つの条件。それは「愛される努力を怠らないこと」です。その努力ができない者はこの業界にいてはいけない。少なくとも、お金を取ることは許されない。私はそう考えています。偏狭かつ独善的な発言であることを承知の上で申し上げますが、正直覚悟の足りない人が多すぎます。
怪しげな台詞廻し、凡庸な台本、同じ手を繰り返す冗長な殺陣、付け焼刃のダンス、ただ唄っているだけの歌……etc。これでは世間に見下されても反論できません。
だから技術を磨き続けるしかないし、仕掛け続けるしかないのです。世間を驚かせる発想、世間を楽しませる工夫。根底にあるのは世間に負けない強いハート。つまり燃える闘魂です。

具体的に申し上げます。
弊団は、2023年下半期から来年にかけ、波状攻勢に出ます。今秋~冬シーズンは連続ワークショップとその修了公演を開催し、来夏には2回目となるあうるすぽっと公演が控えています。
育成に重きを置くべきだと考えるようになったのは、覚悟と技術のある仲間を増やしたいからです。言うまでもなく、世間と闘うためです。

そもそも日本の藝能史において、役者は「賤業」とされてきました。幕藩体制が固まっていく中で、体制の庇護下に入ったジャンルもありますが、芝居の代名詞である歌舞伎は体制側からすれば取り締まりの対象であり、規制すべきものでした。そうした体制への怒りが当時の歌舞伎役者にはあったはずです。今ではすっかり体制の庇護下に入ってしまった歌舞伎ですが、本来「歌舞伎」とは「傾く」こと=命を張って当世風最先端を進むことでした。文字通り命懸けだったのは、幕府の弾圧で捕縛された俳優が何人もいることでもわかります。それでも命懸けで芝居を続けた先人のおかげで今があるわけです。
今の日本では幸いなことに、芝居に命を懸けるといっても、驚異的なスタントなどを除けば、直接的に生命・身体の危機にさらされることはありません。それが覚悟の欠如を生んでしまっている一因として挙げられるはずです。

WSでは、こうした覚悟を持つことも涵養していきたいと考えています。もちろんニーチェが言う通り、「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」のであり、作用には必ず反作用が伴います。私のこの(偉くもないのに偉そうな)発言は、そのまま私及び私の団体に返ってきます。それは大いに望むところです。お金を頂く以上、真剣勝負ですから。

これがアントニオ猪木一周忌に際しての、私なりの哀悼の意の表明です。
これから朗読パンダにかかわる皆さん、どうか覚悟を持って門を叩いてください。道は険しい、しかし門は広く開かれています。
これから朗読パンダをご覧になる皆さん。どうか真剣勝負のシビアな目でご観劇ください。
私も自分の発言には責任を持ちます。
お蔭様で朗読パンダは旗揚げ8年、私も47歳となりましたが、世間に勝つその日までまだまだ闘魂が下火になる気配はありません。
ジョン・レノンとアントニオ猪木への感謝とともに。

大塩竜也(実は猪木信者ではなく馬場派)

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