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いつまでヒロシマを名乗るんだ

広島が好きだ。何より住みやすい。
都会と言うほど都会でなく、田舎ってほど田舎じゃない。
ショッピングモールも沢山ある。
ハイブランドは無いけどアウトレットもある。
海があり、山があり、川があり、うまいものがある。
中国地方で一番大きな都市であり、
主要都市である福岡も大阪も朝出たら昼までには着く。
瀬戸内海のように住人の気質も温厚だ。
そりゃあまあ、広島弁はきつく聞こえるが。
好きな球団は言わずもがな、広島東洋カープ。
樽募金のみならず、沢山のドラマを抱える市民球団を皆愛している。
そんな我が愛する広島だが、気に入らない部分もある。
戦争が絡むと途端に価値観がバグる所だ。

記憶に新しいであろう、東京オリンピック。
IOCのトーマス・バッハ会長が広島を訪れた時も、
バッハはぼったくり男爵だの何だのと炎上の材料もあったものの、
「核兵器廃絶への言及が無かった」と言う点が強く取り沙汰された。
広島で期待されていたのはオリンピックがどうこうではなかった。
被爆地ヒロシマに対してどういうリアクションがあるかどうかだった。

2023年の5月に行われたG7サミットもそうだ。
広島の街が前代未聞の厳戒態勢。橋や道路は軒並み封鎖。
さらにはウクライナのゼレンスキー大統領まで来るってんだから、
そりゃあもう上を下への大騒動だ。
誰かの忘れ物の菓子箱を厳重に爆破処理した、なんて話もあった。
しかし、広島に集結した全国の警察官の尽力や市民の協力もあり
すべての日程が安全に執り行われた。
事故も事件も起きなかったこのサミットは成功だったと思われた。
しかし被爆者団体は核兵器廃絶へのメッセージが薄かった事に
大層お怒りになり、サミットは失敗だったと嘯いた。
そして広島のメディアは、それを拡散していた。
広島と言う町は、こういう町である。

子供の頃から大人になっても、平和や核兵器の話が付きまとう。
小学生の頃は、夏場のクッソ暑い中全校生徒が体育館に集められ
戦争体験者の話を灼熱の中で聞かされる。
原爆投下日時にはサイレンが鳴り、黙祷する慣わしがある。
他県に出るとサイレンも無く、誰も黙祷しない事に驚くのは
広島県民あるあると言うか、夏の風物詩だ。

8月6日は特段用事がなければ中区に近づくべきではない。
デモ隊や街宣車が大量に集まり、右左バランスよく舌戦を繰り広げている。
主義主張を拡声器を使ってべらべらと、とにかくやかましい。
静かに祈ることも出来ないのか、お前らは。

平和記念日のテレビは一日中原爆の話だ。
最近は大分少なくなったとは思うが。
俺が子供の頃ははだしのゲンのアニメが深夜に放送されていた。
比喩でもなんでもなくトラウマ物だ。
未だに写実的に描かれた原爆投下時の酷い映像が脳裏に浮かぶ。

そして何より、誰もこの空気に異を唱えさせない。
平和は何にも替え難い尊い物。疑ってはならない。否定してはならない。
もし異を唱える者がいれば、それは平和への敵対者である。
狂人であり、如何様に批難しても許される。なぜなら平和の敵だからだ。
被爆者の声も、何よりも尊重すべき物である。
なぜなら彼らは平和の代弁者だからだ。それを否定する事は許されない。
否定する者は平和の敵である。悪様に叩いてよろしい。
……そして、そんな空気を醸造しているのは在広メディアだ。
ラジオも、テレビも、新聞も。全て平和の信奉者である。
そんな思考停止的な土壌も相まってか、広島は日教組が活発な地域である。

俺は「広島の主要な宗教はカープじゃけぇ」と冗談めかして言うが、
広島の主要宗教は「平和」だと思っている。思うだけだ。
そんな事大っぴらに言えるはずもない。言った瞬間変人扱いか村八分だ。
運が良ければ「ちゃんと勉強してなかったんだな」と
可哀想な物を見る目を向けられるだけで済む事もあるかも知れないが。
んな訳あるかい、ワシゃあ昭和の頃から生まれも育ちも広島じゃ。
他県民よりよっぽど勉強させられとる。

原爆が落とされて、今年で79年になる。来年で80年だ。
晩飯時にニュースを見ていると、
「被爆者の高齢化が問題になっている」なんて当たり前の話を聞く。
当然だ、平均年齢が若くなったらどっかで原爆が落ちたって事だ。
誰でも一年一回歳を取る。そりゃあ高齢化もする。しかし、
「そんな長い間日本は非戦闘地域のままだったんだねぇ」
とはならない。
「被爆者が歳をとったからいつか戦争を語り継げなくなる、どうしよう」
となる。何故前者の論調にならないのか。
答えは簡単。被爆者とその団体が怒るからだ。
どこかで紛争のある限り、平和を説かねばならないと信じているのだ。
それで本当にいつか戦争が、核兵器が無くなると信じているのだ。

個人的には、被爆者が他国に乗り付けて平和を説いたとて
それが戦争回避や核軍縮に繋がるとは思えない。
核や兵士は非常に重い経済的コストを払って維持している。
もうこれは、感情論で止められる物ではない。
国はヒッピーやニューエイジの集団ではないのだから
当然国益や仮想敵国やコストを考えて動いている。
いっせーのせで捨てましょうってのは難しい話だ。
捨てたはずなのに隠し持ってる国が撃ったらえらい事になる。
多分、外交官100人以上積んでも比肩し得ない
世界規模の超大物にあらせられる天皇陛下や上皇陛下から
「戦争とか核とかヤメにしませんか?」
とのお言葉を賜ったとて、止められはしないだろう。
それが、おおよそ80年前の被害者が何人か出張った所で止まるだろうか。
世界唯一の被爆国である事に驕っている節はなかろうか。
でもそんな事は思ってても言えない。何故なら、ここはヒロシマだからだ。

もうすぐ80年だ。まだ80年じゃない。もう80年だ。
これ、いつまで続くんだ?
見ての通り、世界が平和になる兆しは全くない。
いつまでこの「ヒロシマ」を続ければいいんだ?
被爆者がいなくなるまでか?
被爆二世がいなくなるまでか?
255年を迎えてオーバーフローするまでか?
広島や日本、もしくは人類が滅亡するまでか?
憲法9条が世界規模の規範になるまでか?
人間が高度なAIに乗っ取られて自由が無くなるまでか?
核兵器以上の大量殺戮兵器をどこかに撃ち込まれて
新たにノーモアなんちゃらを標榜する国が現れるまでか?

俺たちはいつまで平和を希求すればいい?
いつまで被爆者の反応におもねり続ければいい?
戦争の悲惨さを訴え続ければいつか世界平和が来ると
ありもしないお為ごかしをいつまで子供達に伝えればいい?
当事国の大使館に直接言えば良い物を、広島が平和の窓口と言わんばかりに
ガザ侵攻の是非を広島市に問うような謎行動をいつまで看過すればいい?
いつまで平和に引っ張り回されないといけないんだ、この町は?

なあ、広島よ。
夏暑く、冬寒く、雨が酷く、観光資源がバラけてる安芸国よ。
川ばかりで交通の便が悪く、三角州で地下鉄も掘れない不便な町よ。
それでも心の底から愛してやまない、我が故郷よ。
いつまでヒロシマを名乗るんだ。
いつになったら広島になるんだ。
夏になるたび辛いんだ。重いんだ。
ヒロシマの抱える重さと、ヒロシマと関係ない人の考える重さ。
その差が開きすぎてて、辛いんだ。
平和を求める真人間でなければ生き辛くてたまらないこの町が、
時々、とんでもなく嫌になってしまいそうになるんだ。

その重荷を皆で分かち合うつもりは無いのか?
ヒロシマやナガサキばかりでなく、みんなで背負えばいいじゃないか。
なんなら「ニッポン」じゃないか。何でどこも他人事なんだ。
もう80年だぞ。何でお前らばっかり背負ってんだ。

平和を諦めろと言ってる訳じゃない。
戦争を求めてる訳じゃない。
悲惨な出来事を無かった事にしたい訳じゃない。
だけど、広島が未来永劫ヒロシマであり続ける必要は本当にあるのか?
受けた傷を見せて平和を迫らずとも、理解を求める事は出来ないか?
だって、そうじゃないか。
これじゃあヒロシマが、いつまで経っても消えない焼印みたいじゃないか。

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