春の散歩と掴めぬ焦り

特定を怖がっていてもどうしようもないし、何より焦りが大きくなっていく。

だから私は、とにかく吐き出そうと考えた。ありふれた話かもしれないし、蛇口から漏れる水滴のように曖昧模糊として要点を掴めない文章になるかもしれないが、noteの公式が最も大事なこととしてとにかく気軽に書くことを挙げているので(そりゃあ公式サイドは記事が生まれないとどうしようもないからかもしれないが)、今は頭を空っぽにして指に全てを託して書き連ねようと思う。

そもそも話

前提として、私は20代の半ばで数年勤めた会社を退職した。数日前の話だ。引き止めてくれる人、涙まで流してくれる人、私の意思が硬いことを知って頑張れと言ってくれる人、いろんな人がいた。仕事を辞めることはもう数年前から悩んでいたし、世の中のほとんどの仕事と同じくその全てを楽しめるわけでもなかったので決意が揺らいだわけでもなかったが、それでも人間関係は素晴らしかったし、ネガティブな感情で退職を決めたわけでもなかった。

ちょっと恥ずかしいが、私には諦めきれない夢があったのだ。

私がいた職場は割と専門的な知識や技能が必要で、私も大学で専攻した分野がそのまま活かせる夢のような環境だった…というと少し誇張が過ぎる感もあるが、それでも国内にそんな仕事があり、しかもそこに採用されるなんて大学4年の私からしたら完全に宝くじを当てたのと同じ感覚だった。その一方で私は海外、特にアメリカに留学したいという夢もあり、入社試験を受けた時期に同時並行でアメリカの大学院にも出願していた。今考えればその時の出願は留学が目的化しており、運良く合格しても私の人生においては良い影響を及ぼさなかった気がするのだが、結局幸か不幸か大学院は不合格だった。

当たって砕けろ的な出願と奇跡的環境の仕事への棚ぼた的採用というぐちゃぐちゃとした時期を経て、結局私は仕事も悪くないだろうという考えで就職したのだった。というか、あまりにもバタバタして少し疲れていたのかもしれない。兎に角、私は卒業後の食い扶持を手に入れたのだ。

しかし、果たしてこれで良かったのかと思うタイミングはあるものだ。特に定年まで40年あるということを考えるとその思いは強くなった。そうした逡巡の後、私はもう一度留学するという決断を下した。

その間に、私は学生時代から付き合っていた人と結婚し、子宝にも恵まれた。というか、先月生まれたばかりでもうそろそろ1ヶ月になろうというところだ。つまり私は、妻と子を連れて留学しようとしているのだ。

予想に反して、無謀だとかやめておけとか言われることはなかった。勝手にしやがれと思われていたのかもしれない。まあ確かに、逆の立場だったら深く考えず応援していただろうと思う。

最近の焦燥感

そして今の私がある。大学院には合格した。進学する大学の先生から推薦状を書いていただいたが、それは心温まる応援と言えるようなものだった。子供もどんどん大きくなっていて、妻の体調も順調に回復しているようだ。でも私は焦っている。

理由の一つは、応募した国内の奨学金に受かるかどうか心配しているからだ。応募書類は気合を入れて準備したし、あの書類で落とされてもしょうがないと思える。それでも、受かっていないとやばいという囁きが聞こえる気がする(まじで病んでいるわけではありません、念のため)。もう一つは、進学する大学院は州立で、成績がいいと州出身者と同じ安い学費が適用されるのだが、どうやら州外の人間のための高い学費が適用されるのではないかと懸念しているからだ。担当者にメールで聞いてはいるが返信がなくヤキモキしている。もう少し待てば返信があるし、州外の高い学費が適用されてもなんとか策を練るだけの話なのだが、ここでバタバタしてしまうのが私なのだ。

そうした焦りは他のマイナスな、暗い、後ろ向きな考えを呼び込む。負のスパイラルのど真ん中にいる感じだ。

例えば、仕事を辞めれば自分はなんでもできると思っていた。確かにそうだ。現に私はこうやって取り止めもないことを書き殴っているし、やろうと思えばユーチューバーにだってインスタグラマーにでもなれるかもしれない。でもそれは、私が何者でもないからなのだ。社会人経験を数年やっただけのただの人間。なんの武器も持たない、素っ裸の人間。良く言えば自分の可能性、お世辞を抜けばなんでもない自分を認識せざるを得ないから私は焦る。20代の半分をこえ、未だに私は何も持っていないのだから。

そしてもう一つ、それは息子の存在だ。文句なしに可愛いし、少しクーイングをしたり大人の表情を真似するだけでとんでもなく貴重で偉大な進歩に感じられる。寝て起きて泣く、その生活と対照的に私は焦る。何もない父親でいいのか、本当にこんな人間のままでいいのかと。

そんなことを考えながら、今日初めて息子と共に散歩した。家の前の道を数分、抱っこ紐に息子を括り付けて。今日はとんでもなくいい天気で、雲ひとつない快晴だった。鬱屈した思春期みたいな私の気分も少し晴れた。そこで私は思い立ったのだ。ひとりでため込んでもモヤモヤしたままだし、言語化すれば多少は心が軽くなるかもしれない。

だからこそ私はここに自分の場所を作った。今は特に焦っているし、自覚できる程に悲観的になっているからこんな調子だけど、私も発信したい。息子の成長も、妻との何気ないエピソードも、私の留学生活も、なんでも。

noteというプラットフォームは他の人の記事を読んで学ぶこともできそうだ。何にもない空っぽな自分に、色んなものを詰め込む過程を記していければと思っている。

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