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ベンサムの功利主義

功利主義とは、我々人間が取り得る行動や考えはその行為がどれだけの利益・損害をもたらすかによって決定されるという思想概念であり、イギリスのジェレミ・ベンサムが最初に提唱した考えである。

彼は著作『道徳および立法の諸原理序説』において功利主義を初めて導入した。この本の日本語訳を図書館で見かけたので借りて読んだうえで私なりにその考えの根源を総括してみた。

まず『道徳および立法の諸原理序説』は題名にもあるように立法に関してその妥当性・根拠について考察した著書であり上巻と下巻に分かれている。彼は法を作る・運用するための原理として功利主義を取り入れた為に、その内容は上巻の最初の数章に偏在して記されている。
時間の都合上全てを読むことが出来なかったが、ここではもっとも重要だと思われる第1章と第2章の内容の一部を取り上げたいと思う。

・目的 

彼によれば人間は苦痛と快楽によって"支配されている"という。
これは我々人間が取る行動のほとんどはその結果として自身が苦痛を受けるか快楽がもたらされるかによって決定される、という事である。そして本書の目的はこの事実・原則を確認する事にあるとしている。

・功利性の原理

第一章では功利性の原理と呼ばれる用語が多数登場する。
まず、幸福を与えるか不幸を減らすような特性を功利性と呼び、
人々の幸福を増大させるか、妨害させる傾向のあるあらゆる行為の是非を判断する原理を功利性の原理としている。
功利性の原理は原則のようなもの(数学でいう公理)にあたるので、その正しさ証明をするのは不要であり不可能であるとしている。ただしその後には功利性の原理に反するように見えるいくつかの実例を取り上げており、それらに対する反論を述べている。

・功利性の原理に反する考え

彼によれば功利性の原理以外に共感と反感の原理禁欲主義の原理があるとしている。
禁欲主義の原理は功利性の原理と考えが似ているが、幸福を減らす行為に価値を置き幸福を増やす行為はすべきではない行為だとするものである。この部分では功利主義と正反対である。
ベンサム曰く禁欲主義に走るのは宗教家と哲学者が多いと指摘しており、その理由について一つには目先の幸福を享受した場合その代償として極めて大きな不幸が降りかかるという恐れを持っているためであると考察している。
(美味しいからとポテトチップスばかり食べていると太ったり気持ちが悪くなる、みたいな感じだろう)
ただし宗教家と哲学者についてはこの原則の適用範囲や解釈が異なり、哲学者に関しては快楽の種類によってその妥当性を判断しているとしている。逆に宗教家は厳しく自らを律するためにより禁欲の度合いが高くなる傾向になるようだ。この快楽の質という点については功利主義の考えをより発展させた思想家J.S.ミルが深く掘り下げている。

功利主義に基づいた場合行動がもたらす結果によってその是非を決定するいわゆる帰結主義であるが、共感と反感の原理はそうではなく行動そのものを善悪の判断基準とする原理だという。言い換えるとその行為自体を誰かが憎むかそうでないかという点によって決めてしまう、いわば感情論のような原理である。
個人の主観によって判断が大きく左右されるために、特に司法の場においてこの原則が適用されると厳しい結果が下されたり、逆に温情が下されたりする事が少なからずあるとしている。

・ベンサムの反論

ところが上に挙げた2つの原理に関しては、功利性の原理で説明することが出来るという主張をベンサムはしている。

まず禁欲主義の原理に関して、哲学者も宗教家も常日頃から苦痛を求めている訳ではなく、状況によっては苦痛を遠ざけるような行動をするという。
哲学的な目的を持った禁欲主義というのは、スパルタ教育で有名な古代ギリシャの都市国家スパルタで導入された。しかし兵士に過酷な訓練を行ったのは国家の存続、言い換えれば国民に利益をもたらす状態を保つ、という目的を持っていたためであり、実際は功利性の原理が適用されたものだという。

また宗教家はより厳格な禁欲主義を信条に掲げることが多いが、苦痛が善であるからといっても、同意もなしに他人を傷つけたりはしない上に多くの人が苦痛に感じるような行為(強盗や放火など)を推奨するような事は当然ではあるが全くもって無い。結局のところ快楽の享受に対する"神"からの罰を恐れるが故に、功利性の原理を(苦痛=善と考え)誤って適用させたものであると評している。

共感と反感の原理については、内的な感情だけを根拠として他の原理を否定するだけで客観的な説明をする事が出来ていないため到底原理とは呼ぶことが出来ないとしている。
その上で反感や憎しみが大抵苦痛を伴う行為自体やそれを実行した人に向けられるという前提から、ある行為に対して反感の感情を根拠にその行為をやめさせようとする動機は幸福の増減を元に行為の良し悪しを判断する功利性の原理を適用させたものだと言えるという。共感と反感も結局のところ功利主義をもとに考えることが出来るためそれを否定する根拠にはなり得ないと主張している。

・まとめ

以上の反論から、ベンサムは一見すると功利性を否定するような考え方であっても根底ではこの原理を適用させたものだと言えるので、これを否定する事にはならないと指摘している。ただし功利性の原理は快楽=善、苦痛=悪という構図で常に正しく適用されている訳ではないとも言っている。
ベンサムはこの次に快楽や苦痛の種類やその量をどのようにして測定するかを具体的に記している。快楽の量という観点から功利性を考えるベンサムの主張は一般に量的功利主義と呼ばれ、その一方でベンサムの考えを一部引き継ぎながらも快楽の性質一般をより重視し、質的功利主義を構築したのがミルである。ミルの質的功利主義についてもまたまとめたいと思う。

参考
[1] . 中山元 訳(2022) . 『道徳および立法の諸原理序説 上』. ちくま学芸文庫

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