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京都エッセイ④大学デビュー失敗!

 京都に来た理由は大学進学。京都エッセイを書くのに大学の話は避けられない。そのはずが第4回までのらりくらりとかわしてきた。

 が、ついに話をしなければならない。

 書きたくない、というわけではなかった。個人的になかなかな大学生活を過ごしてきたと思っているので、面白いものが書けると自負しているし、それほどまでに魅力的な人々で溢れている。前回のT先輩もその一人だ。

 ではなぜ書かなかったのか。それは読んでみるとわかると思う......。
 僕の通っていたのは京都芸術大学(当時は京都造形芸術大学なのでところどころ造形と略すことがあるかも)の文芸表現学科というところ。

 芸大なのにも関わらず、絵ではなく文章を学ぶ学校だ。面接や初対面の多くの人にこの説明をしなくてはいけないくらいポピュラーな学科ではない。ここに進学したいと決めたとき、家族は普通に反対した。

 芸術的センスがあるわけではない、その後の就職はどうするのかといった当然のお言葉に行ってみたいというガキみたいな(当時はガキだったけれども)回答でよく許しを得たものだ。

 実際は京都に行ってみたいというのと、一人暮らしがしたい、国語が得意で好きなのでそれくらいしか進路が浮かばないというだけだったのだが、最終的には卒業し、教員賞を二ついただけるようになるので、ちゃんとやり遂げるわけだが。

 文芸表現学科が何をするところかというと単純明快。

 文章について学ぶのである。

 小説、詩歌俳句、Webや紙媒体の記事など幅広く、一年生のときは全体的に行う。

 僕自身は全てが未体験だった。だから全てが楽しかったし、全てが苦痛だった。

 前者は知らないことを知ることができることで知的好奇心が刺激されて、後者は周りに対する劣等感がゆえ。

 周りは僕より読書量があり、コミュニケーション能力があり、共通の趣味があった。

 田舎では同年代で僕より本を読んでいる人はいなかったため、どこか自分は本を読む才能があるのだと思っていた。だが、それは井の中の蛙。

 地元では友達が少なかったのもあって急にできるはずもなく、できても持続することが難しかった。誰もがアニメやライトノベルの道を通っていて、名作と呼ばれるものの全ては履修済。加えて彼らは優しい。自分が勝てるところなんて一つもなかった。 

 極めつけに、下の名前の読みが同じ名前の学生がいて、呼びにくいからと自分は名前を別の読み方をしたふうに呼ばれるようになった。

 僕が今まで過ごした17、8年間の全てが否定された気がした。日に日にささくれていく心、やさぐれつつも高校まで真面目に学校に通っていた経験から休むことはできず、1〜6限までパンパンに入れていた授業は全て通いきった。

 おかげで学内評価はまずまず。しかし大学で大事なのは単位を取ることだけでないということを知った。僕が劣等感を抱いていた彼らは大学の空きコマを利用してバイトしたり、友人と遊んだりしていた。ますます友達の間で距離ができていく。

 他の生徒より早く大学に来て、遅く帰って寝る。望んでいた一人暮らしはとてもさみしかった。家で一人で過ごすことが、社会に触れていないことが胸を強く締め付けた。

 そこから僕は少しおかしくなった。元は暗い性格ではなかったが、やさぐれていくうちに塞ぎ込んでいく。それを防ぐためにわざと気丈に振る舞った。授業は他の友達と合わせて空きコマを入れた。授業よりも友達を優先した。事あるごとに何かしら奢った。自販機に行くときは必ず人数分飲み物を買ったし、幸せになる方法的な本を買って一つ一つ試すようにした。一人のときはアニメを履修して合わせるようにした。

 努力の結果虚しく、すでにできたグループに混ざることはできず、どこかあぶれた状態で同じ空間にいるようになった。そのうち自分はこれだけしているのにという気持ちが湧いてきて、人に強くあたるようになった。いわゆる逆張り的なことをし始めたのである。

 その時代に出会い、お世話になった人とは今も交流があるが、会うたびに「お前は昔は尖ってたなぁ」と言ってくれる。

違う。

 これは逆張りではなくて本当に違う。
 本当はただの『痛い』やつだったのだ。


※この大学デビュー失敗については長くなったので次回に続きます!

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