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こどもの日

いつものように近所のゴルフ練習場で午前の基礎練習をして身体をほぐし、併設のカフェテリアで昼食をとっていると、「今の日本が良くないのは、子供は地域で育てるもの、という意識がすっかり無くなってしまっていることなのよ」と話す初老の女性の話し声が聞こえてきました。窓辺からは日の光が差し込んでおり、その磨き抜かれた窓越しに艶やかな黄緑色の今にもこぼれ落ちてしまいそうな葉を風に揺らす木々が見えます。

毎年、こどもの日を迎えると、私は切なさというか、チクッとさされるような罪の意識を覚えます。我々夫婦は30代後半で結婚したため、子供を授かるには時間の猶予があまりありませんでした。妻はどうしても子供が欲しいというので、私の方は申し訳程度だったとはいうものの夫婦で不妊治療までして、可能性ある僅かの時間に賭けていました。一方、私の本心は、できるものはできるし、授かることができないのであればそれも仕方がない、何より、妻との二人の時間をもう少し楽しみたいという思う気持ちもあって、妻の思いに正面から向き合えておりませんでした。恐らくそんな私の優柔不断さが今の状態を招いたのだと思っています。

しかし、確かに、自分たちには子供はいないけれども、周りには、子供たちが少なからずいます。私の方は、マンションの廊下やエレベーターで遭遇したり、道すがらや電車で乗り合わせて目があった時に声を掛けたり、微笑み返すくらいですが、妻はメキシコではカサ・オガール(Casa Hogar)という恵まれない子供たちを預かる福祉施設に定期的に手伝いに行っていたし、帰国してからもユニセフのボランティアをして積極的に子供に関わっているな、などと取り留めのないことをぼんやり考えておりました。

「自分の子供は自分のもの、よそ様の子供はよそ様のもので自分とは関係ない、という感覚なのよ。でも、昔は長屋のような環境にあって、何か悪さをしたりすれば、他人の子供でも叱ったり、逆にその子の母親が具合が悪い時には代わりにご飯に招いたりして助け合ったものなのよ」と話が続いています。

そういえば、こどもの日と言えば、鯉のぼりを真っ先に思い浮かべるのですが、何故かここの近所では見かけません。マンションが多い地域で、安全上の問題で外に出して飾らないのでしょうか。一方、近所のお寺の奥さんの話だと、豊津の和菓子屋さんの柏餅は評判で、5月5日に買いに行くと、早朝から並んでも2時間待ちだとか。大阪は花より団子ということなのでしょうか。何れにしても、個々の家庭で子供たちの成長を祝っていることは間違いなさそうなので安心しました。

そんなこんなで、自分たちも、子供がいないながらお祝いしたいな、と思っていたら、妻がいつの間にか柏餅を買ってきていました。洋菓子のチェーン店で食パンを買いに行ったついでに購入したとのことですが、皮がもちもちで餡の甘みが慎ましく、思いがけず子供の日を味わうことができました。

向き合うタツノオトシゴ (沖縄:美ら海水族館)

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