見出し画像

靴磨き

正直なところ、私はつい数年前まで、靴磨きをしたことがありませんでした。そもそも、私は面倒くさがり屋で、服は脱いだら脱ぎっぱなし、物もなかなか所定の位置に片付けることができず、散らかりっぱなし、とルーズ極まりありません。それを尻ぬぐいのようにして後を追いかけて片付ける妻にいつも叱られています。そんな私が何故靴磨きを始めたのでしょう。

メキシコ赴任が終わることが決まり、後任がメキシコに来た頃のことでした。私の赴任にあたっての責務はメキシコでの新会社設立に際し、管理面の様々な仕組みを整備し、会社の諸活動を円滑に行うことができる基盤を構築することだったのですが、力及ばず、特に管理数字を収集・集約する部分について、かなり手作業的な、属人的な判断を要する部分が残ってしまって、すっきりシステムにまで落とし込めていない状態でした。そんな混沌とした状態での人事異動だったものですから、引継ぎにも相当な時間を費やすこととなりました。

後任には引継ぎ後にもかなりの苦労を負わせてしまうことが予想され、その罪滅ぼしという訳でもなかったのですが、自宅に招いて食事をし、せめてこれまでの労だけでもねぎらうおうとしたのです。メキシコでの我が家は、少なくとも見た目には日本では望むべくもない恵まれた環境でした。元々地域一帯を治める大地主の家屋があった広大な敷地(アシエンダ)をベースに建てられた高層コンドミニアムで、その大地主が使用していた家屋や穀物庫の一部を食堂、応接間やジム、ジャグジールーム、回廊といった共有スペースとして生かしたり、庭の木々や芝生をそのまま居住者の憩いの場として転用したり、芸術家の手になるオブジェを所々に配したりと、まるで美術館のような雰囲気でした。もしかして、彼もこのような環境を気に入り私のコンドミニアムも引き継いでくれれば、彼だけでなく今後引き纏めるであろう彼の家族も皆が癒されるのではないかという思いもありました。

さて、その彼を自宅にお招きしたのですが、何よりも印象に残ったのが、彼の靴だったのです。我が家ではメキシコでも室内では靴を脱ぎスリッパで過ごす様式を貫いていたため、彼を迎え入れる際にも靴を脱いでもらったのですが、その靴が文字通り光り輝いていて、一瞬何が起こったのかわからなくなってしまった位でした。もしかするとメキシコ赴任のために新調したばかりの靴だったのかもしれないのですが、私の目にはとても磨き込まれ、手入れが行き届いているように映り、脇の靴箱にあった私の靴との対比に愕然としてしまったのです。

彼はこざっぱりとして清潔な感じの人ではあったのですが、物静かで口数も少なく自己主張をするタイプではなかったため、彼の内なる意志を代弁するように光り輝くその深い焦げ茶色の靴を見て、自分は今後靴磨きをせねばならない、と何故だかわからないのですが、強く決意しました。

これには、靴というものに、その少し前から興味を持ち始めていたという事情もあったのかもしれません。直接には指導を受けた訳ではなかったのですが、このメキシコのプロジェクトについてかなり上の方の立場から、さり気なく気に掛けて頂いていた役員が、非常に靴にこだわりを持ち、大切にされているという噂を聞いておりました。出張で少しでも時間があると街の靴屋に立ち寄られること、お気に入りの靴屋には木型を所有されており、出張のタイミングに合わせて新調されるというようなことであったかと思います。

その役員は生来の人好きで、様々な立場の人々との関係を築いていき、いつの間にか各現場の隅々のことまでを知り尽くし、そして自然に回りにプラスの影響を及ぼしていくようなタイプの人でした。恐らくそのような在り方を支える土台のところに、靴の存在もあったのではないかと若輩ながら愚考しています。私にとっても、自分に合った靴を履く、自分を行きたい場所に送り届けてくれる靴を大切にする、という姿勢は大事なのではないかと丁度思い始めていたのだと思います。

という訳で、その翌日から靴を磨き始めました。昔靴を買った時についてきたシューズクリーナーと妻の古いストッキングを使用して。もう既にメキシコの乾燥した大地で傷つき、ひび割れもひどい悲惨な状態の靴達でした。持ち主のケアがないとここまで傷つくものかと、見て見ぬふりをしていた自分のずぼらさ、鈍感さ、気遣いのなさに愕然としました。しかし、その一方でいくら悲惨な状態だからと言ってすぐに買い換えようとは思いませんでした。何しろメキシコで苦労を共にしてきたことは間違いなく、時、既に遅いながらもむしろ恩返しをすべき相手であるような気がしたからです。幸い、見た目は元には戻りそうにないにしろ、丈夫さという意味ではまだまだ持ちそうだったのです。それからというもの、クリームの付け過ぎには気を付けながら、日本に戻った今でも、週に一度コンディションを見ながら磨き続け、そして日々お世話になっています。

思えば、メキシコ生活を共にした靴達は我が分身のようなものです。傷つきながら、しかし壊れることなく、ここまで何とか過ごしてくることができました。この歳月に感謝しながら、間もなく大阪を離れ、そして東京の地に戻ってからも、物理的にどうしようもなくなるまでは磨き続け、そしてお世話になり続けようと思っています。履けなくなる日が先か、こちらが定年になる方が先なのか、それくらい靴は強かに、そして力強く私を運び続けてくれています。驚くべき忍耐力、生命力です。私も負けないように頑張ります。


妻が整えてくれた靴磨き用品箱

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?