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筋肉痛と鳥のさえずり

約2か月ほど前、やるべきことは全てやったと思える状態で挑んだゴルフコンペで、結局今までと同じようなスコアしか出せず、失意の内に帰宅しました。そんな私を、妻は、「日本人はスコアのことしか話しをしないじゃない。あの人のスコアはどう、それに比べて自分のスコアは3つ下だったとか、ベストスコアから10打も悪かったとか、まだ100が切れないとか・・・。そんなのどうでもいいじゃない、皆でゴルフをしていること、そのものが楽しいんじゃないの?」と、慰めなんだか馬鹿にしているんだか良くわからないコメントで迎えてくれたのでした。

元々私はスポーツ全般があまり得意でなく、人には向き不向きがあり、いくら練習しても努力が成果に結びつくとは限らない、ということは百も承知なのですが、それでも、ゴルフに関しては諦めきれません。海外にいる時は、毎週末ラウンドするのが当たり前で、コース慣れしていたことが大きかったこともあると思うのですが、今より少なくとも15打位良いスコアで回れていた筈なのに、日本に戻って来てからは、いくら練習しても、そして、自己流に陥ることを避けるべく、時々レッスンプロに見てもらってさえいるのに、この体たらくで、「人には向き不向きがある。だからもっと違う自分に合ったことに時間を費やした方が良いのでは」という自分の内なる声にもはや屈っせざるを得ない心境に追い込まれてしまいました。

そんな時に、ネットで「100切り保証。1ヵ月で達成できなかったら全額返金」とのゴルフスクールの宣伝が目に飛び込んできたのです。もちろん、そんなうまい話がある訳ない、というのはこれまでのゴルフ経験から嫌というほど良く分かってはいるのですが、藁にもすがる思いである自分にとって、この宣伝文句は効きました。無料体験があるというので、早速そのレッスンを受け、結局はそのレッスンを受け持ったプロの私に対する姿勢に、最後の望みを託しても良いのではないか、という閃きのようなものを感じ、いや、魔が差して(?)入会することとしたのです。

もうこれで駄目だったら、ゴルフは辞めないにしろ、妻の言に従って、スコアには全くこだわらず、迷惑を掛けずに同伴者と楽しくラウンドすることのみに集中する道を選ぼう、という背水の陣で今は臨んでいます。レッスンに全神経を集中し、講師から言われたことは細大漏らさずノートに書き取り全て実践しようと努力する、もし仮に仕事の都合が付いてチャンスが生まれれば、平日でも1コマ(50分)練習に行く、というような地道な努力を重ねているのです。

そんなことを続けてきた結果、つい先日、突然、左ももの付け根と左腰のあたりに痛みを覚えることとなってしまいました。屈んで足元のものを取るのも容易ではない位なのです。それは、負担が少しづつ積み重なった結果であったように思います。今まで黙って耐えてきた筋肉がもう我慢の限界を超えて如何ともし難い状態となり悲鳴を上げたということなのでしょう。一方鈍感な私はそれまで全く痛みも何も感じていなかったので、まさに青天の霹靂でした。ああ、何ということでしょう。

実は前にもゴルフで似たような経験をしたことを思い出しました。マレーシアで30代後半で初めてゴルフを開始し、現地のレッスンプロに指導を受け始めて、人様に大きな迷惑は掛けずにラウンドできるようになり、ようやくゴルフの楽しさが少しずつ分かるようになった頃でした。ラウンドの後でも近所の練習場に直行してレッスンを受けたり、自主練習をしたりと、強欲な私は、早く上達して会社のコンペで優勝できるような腕前になりたい、と先を急いだ結果だったのでした。

50にもなってまた同じような轍を踏むことになるとは。全く成長の無い自分にはほとほと呆れます。更に呆れるのは、このような状態になってもなお、これまでの体得したスキルを何とか忘れないよう痛みをこらえて騙し騙し練習をしようとする自分です。この抑えきれない、如何ともし難い感情はどうしたらよいのでしょう。

家で鏡の前に立ち、エアゴルフでこれまで習ったフォームを確認することで、何とかはやる気持ちを抑え込むことに注力して3日ばかり経った今朝、聞きなれない鳥の囀りが聞こえてハッとしました。高原で良く聞くような囀りがどうしてこのような都会のマンション街で聞こえるのでしょう。自分の欲望を良く抑えたご褒美なのでしょうか、或いは、自分の分をわきまえて、適材適所で今後の人生を進みなさい、という警告なのでしょうか。

こじつけも甚だしい、ただ単に、たまたま高原にいた鳥が都会に迷い込んで鳴いただけで、筋肉痛なのに欲を抑え込むことに四苦八苦しているお前とは全く関係のないことだ、とお叱りを受けそうですが、私はここに、この鳥の囀りが何を意味していたのかを解明すべく、責任を以て引き続き未熟な自分と向き合いながらゴルフ道を全うして行くことを誓いたいと思います。
因みにこの高原の鳥は、今はもうどこかに姿を消し、いつも通りカラスがいるばかりの元の風景に戻ってしまいました。

カラスが導きの神 (熊野本宮大社)



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