「書を捨てよ、町へ出よう」感想:満たされた瞬間に、俺は死ぬんだよ

寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」をようやく読んだ。

少し前に「書を捨てよ、町へ出よう」の演劇版を見る機会があって、その後すぐに本を買ったのにずっと放置していたのを、ようやく。相変わらず読書モードに入ればサクサクと読んでしまう割に、一冊を読むのに数ヶ月かかってしまったりする性格は変わりない。

一読して、正直、前半の章はあまり自分の心には響かなかった。

「あれ、こんなもんか。」

それぞれの描写には好感が持てる。

賭博狂いの人々、競馬好き、長距離トラックのドライバー、一点豪華主義であれ!サッカーが野球より優れているのは「玉」が大きいからである。

寺山修司氏の、日常の一つ一つへの観察眼の鋭さ、そこから自分の想像へと縦横無尽に行き来する表現にはうっとりとさせられた。

現実と想像の垣根は、そう簡単に超えられるものではない。なぜなら、我々は、「テレビと現実をごっちゃにしちゃいけません」、と小さい頃から教え込まれているのである。そんな残念な我々の、居酒屋のあとのジャケットのタバコの臭いみたいに染み付いて消えない、退屈な価値観を簡単に飛び越えてみせる。その想像力の豊かさに、平凡な日常を軽く吹き飛ばす希望を見出さざるを得ない。なるほど、裏表紙に書いてある「必要なのは想像力!」というコピーに嘘偽りはなかった。

さて、本書の読みどころはやはり後半の「ハイティーン詩集」と「不良少年入門」であると思う。

「ハイティーン詩集」に関しては、もうこれは読めとしか言いようがない。結局、こういう青臭いものが好きだ。いつまで俺はこれを好きだと言っていられるのだろう。ずっと好きでいたい。心の中だけは少年でありたい。これを好きだという感性を持っている人は僕に連絡をください。きれいな女性だと嬉しいですが、太った汚い童貞でも俺はとても嬉しいのです。

「不良少年入門」の中で、寺山氏は独特な自殺観を提示してくる。この自殺観に、深く共感を覚える。

「自殺学入門」と題して、さんざん自殺を勧めてきたかと思えば、「ノイローゼで首を吊った」だとか、「生活苦と貧乏に追い詰められてガス管をくわえて死んだ」のは病死とか他殺のたぐいであって、自殺ではないと言ってくる。「何かが足りないために死ぬ」やつには「自殺のライセンス」も与えられないというのである。寺山氏が言うには、「家庭は幸福で、経済的にも充足しており、天気も晴朗で、小鳥もさえずっている。何一つ不自由がないのに、突然死ぬ気になる。」これこそが「自殺」であるという。

これに深く共感し、普段自分が「死」というものにかかえているモヤモヤを、少し理解できた気がした。俺は毎日なんとなく死にたいと思うのだけれど、それは「自殺願望」といったような強固なものではなく、「希死念慮」といったほうが正しいのかもしれない。いや、「ハワイに行きたい」くらいの願望である。(実際は俺は全くハワイなんか行きたくない。そんなものに金を使うくらいなら家でコーヒーと酒を飲んで本を読んで寝ている。)

それだけ毎日死にたいと思っているのに、どうして生きているのかといえば、生活が「満たされていない」からだ。現状に何一つ満足なんかしてない。今の状態で、たとえ自らの手であったとしても命を絶つのは、なんだか癪だ。きっと、それは「社会によって」自分が殺されるという事実が嫌だったのであろうと、本書を読んで理解できた気がした。「満たされないために死ぬ」のは「社会的他殺」であって、「自殺」ではない。それだけは嫌だ。

だから、俺はたまに、「満たされた瞬間に、俺は死ぬ」と口走る時がある。自分の生活が満たされてようやく、本当の「自殺」、「人生を虚構化する儀式」が出来て、そうするだろうということだ。

でもね、寺山氏は後記にちゃんとこう書いている。

「じぶん、というどくりつした存在がどこにもなくて、じぶんはたにんのぶぶんにすぎなくなってしまているのです。じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんもきずつけたり、ときには殺すことになる。」

うん、そのとおり。これだけ自殺を煽っておいて、こんな現実的なことをさらっと言ってのけるのだから、「自殺学入門」の章は面白い。

だから、きっと俺は、ずっと満たされないモヤモヤを抱えながら、それをエネルギーにして生き続けると思う。満たされても、「じぶんはたにんのぶぶんにすぎなくなってしまている」のだから、「自殺」なんてロマンティックなものはできない。自分で命を絶ったとしても、それは「病死」か、「他殺」か、はたまた「殺人」か。

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勧君金屈巵 満酌不須辞

花発多風雨 人生足別離

この杯を受けてくれ どうか並々、注がしておくれ

花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

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