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ワーグナー:ジークフリートのラインへの旅(楽劇「神々のたそがれ」から)

演奏者 University of Chicago Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 公開者情報 Chicago: University of Chicago Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 備考 Performed 31 October 2004. From archive.org 「ジークフリートのラインへの旅」は、リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」四部作の最終作、「神々のたそがれ」からの有名な間奏曲です。この楽曲は、楽劇の序文(プロローグ)と第1幕の間に位置しており、主人公ジークフリートがライン川への旅を始める場面を音楽で描写しています。 この間奏曲は、ワーグナーの「無限旋律」技法を駆使した作品であり、連続する楽節が流れるように展開されます。楽曲は、夜明けを表現する静かで神秘的な序奏から始まります。この部分では、フルートやオーボエなどの木管楽器が優美に奏でられ、次第に音楽は盛り上がりを見せます。 ジークフリートのテーマは、英雄的で活気に満ちた旋律で表現され、彼の冒険への期待感と活力を象徴しています。このテーマは金管楽器によって力強く演奏され、楽曲全体の勢いを増します。 ライン川のテーマは、ラインの流れとその美しさを描写しており、ハープや弦楽器を中心に構成されています。この部分は、水の流れや波の動きを思わせる軽やかで流れるような旋律が特徴です。 全体として、「ジークフリートのラインへの旅」は、ワーグナーの楽劇における重要な技法である「ライトモティーフ」を巧みに用いています。各モティーフは特定のキャラクターや概念を表し、楽曲を通じてそれらが絡み合いながら展開されます。これにより、聴衆は音楽だけで物語の進行やキャラクターの心情を感じ取ることができるのです。 この間奏曲は、ワーグナーの楽劇の中でも特に情緒的で描写的な部分として高く評価されており、単独のコンサートピースとしても頻繁に演奏されます。ワーグナーの緻密なオーケストレーションとドラマチックな構成が、この曲を「神々のたそがれ」、そして「ニーベルングの指環」全体の中でも際立つ名場面の一つにしています。 ### ハーモニーとオーケストレーション - **ハーモニー**: ワーグナーの音楽は、伝統的な和声からの逸脱で知られています。この曲でも、不協和音の使用や解決されない緊張感を通じて、物語のドラマとジークフリートの未知への旅立ちを表現しています。 - **オーケストレーション**: ワーグナーは大編成のオーケストラを用い、豊かな音色とダイナミクスを創り出しています。特に、金管楽器の使用はワーグナーの特徴であり、力強さと華麗さを楽曲に付与しています。 ### モティーフの使用 - **ライトモティーフ**: 物語のキャラクターや要素に関連付けられた短い旋律(モティーフ)を用いる技法です。この曲ではジークフリートのテーマやライン川のモティーフが顕著で、これらは物語の進行に合わせて変容し、リスナーに深い印象を与えます。 ### ドラマチックな表現 - **プログラム音楽の要素**: この間奏曲は、具体的な情景や物語の展開を音楽で描写しています。夜明け、ジークフリートの冒険心、ライン川の流れなど、音楽を通じて視覚的なイメージが強く喚起されます。 ### 作曲技法 - **無限旋律**: この技法では、旋律が休止することなく流れるように展開されます。これにより、曲に断続的な区切りがなく、一つの長大な楽想として聴くことができます。 ### 文化的・歴史的重要性 - **「ニーベルングの指環」における位置づけ**: 「ジークフリートのラインへの旅」は、「ニーベルングの指環」の大団円へと導く重要な楽曲です。物語のクライマックスに向けての心理的、感情的な準備を聴衆に提供します。 総じて、「ジークフリートのラインへの旅」は、ワーグナーの楽劇作品の中でも特に感動的で、技術的に洗練された部分です。音楽が物語を語り、感情を表現するワーグナーの能力が、この間奏曲において顕著に表れています。 Walk Into Siena チャンネル登録 https://www.youtube.com/channel/UCqAFiZznfr5Y7wgfV_sOiGQ Walk Into Siena コミュニティ https://www.youtube.com/@WalkIntoSiena/community リヒャルト・ワーグナー 再生リスト https://www.youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1ygX2hwH34t4gZVmUDL3fms オペラ(+オペレッタ)再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1wJOowfgVXkrWQzdaq8a5WA&si=c6Jz0Pis3rTKz9GQ クラシック全般 再生リスト https://youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1yxp2hTQ64gcreupYj8u6jd #ワーグナー #ジークフリートのラインへの旅 #神々のたそがれ

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ワーグナー:ローエングリン 第1幕 前奏曲

Description: In this video, we're taking a look at the Wagner Lohengrin Prelude, Act 1. This Prelude is a crucial part of the opera and is essential to understanding the plot and themes. So if you're looking to get a deeper understanding of the opera, be sure to check out this Prelude! It will help you understand the plot and themes better, and may even help you appreciate the music even more! 演奏者ページ Gottlob Frick (Henry the Fowler, bass) Rudolf Schock (Lohengrin, tenor) Maud Cunitz (Elsa of Brabant, soprano) Josef Metternich (Frederick of Telramund, bass) Margarete Klose (Prtrud, mezzo-soprano) Horst Günter (The King's Herald, bass) NDR Elbphilharmonie Orchestra (orchestra and chorus) Wilhelm Schüchter (conductor) Max Thurn (chorus master) Otto Franze (chorus master) 公開者情報 RCA Victor, 1955. LHMV 800. 著作権 Public Domain - Non-PD US 備考 Source: Internet Archive 『ローエングリン』(独: Lohengrin)は、リヒャルト・ワーグナーのオペラ。台本も作曲者によるもので、ローエングリンの伝説に基づき、10世紀前半のアントウェルペンを舞台とする。以降に作曲された楽劇(Musikdrama)に対し、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品である。第1幕、第3幕への各前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。 作曲及び初演の経緯 ワーグナーの自伝『わが生涯』によれば、1839年から1842年にかけてワーグナーはパリに滞在し、クリスティアン・ルーカス(Ch. Th. L. Lucas)の編集した、1838年出版の『ヴァルトブルクの歌合戦』(Wartburgkrieg)に触れて歌劇『タンホイザー』の着想を得る。このとき、論文の続きにローエングリンにまつわる叙事詩についての説明があり、これを読んだことが発端とされる。 1843年、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴォルフが編纂した『オランダ伝説集』が出版される。このなかにコンラート・フォン・ヴュルツブルクによる『白鳥の騎士』が含まれており、ワーグナーはこれを読んだと考えられている。また、ルートヴィヒ・ベヒシュタインのメルヘン集に「白鳥にされた子供たちの物語」があり、このモチーフもワーグナーは利用することになる。 1845年6月、マリーエンバートに温泉治療のために滞在中、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルチヴァール』やアルブレヒトの『新ティトゥレル』の翻訳・再話、作者不明の叙事詩『ローエングリン』に付せられたヨーゼフ・ゲレスの長大な序文(100頁近い「論文」)などを読んで、歌劇の構想を固める。同時に、これらの知識は後の楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』や『パルジファル』の基盤ともなった。また、ヤーコプ・グリム『慣習法令集』や同『ドイツ伝説集』から、オルトルート像を創造したとされる。 1845年8月、台本の散文スケッチ完成。このときのスケッチには、第3幕でゴットフリートの姿に戻る白鳥の歌も書かれていたが、後にこれは取り消される。 1845年11月、前作『タンホイザー』のドレスデン初演。この直後に『ローエングリン』台本も完成する。同月、ワーグナーは友人たちを集めて『ローエングリン』の台本朗読会を開く。このとき同席した友人には、建築家のゴットフリート・ゼンパー、ピアニストのフェルディナント・ヒラー、作曲家のロベルト・シューマンらがいた。朗読は友人たちに感銘を与え、シューマンは、この台本が従来の番号付きオペラでは収まらないことを理解したという。 1846年、春から作曲にかかる。3ヶ月でスケッチが完成し、9月からオーケストレーションにとりかかる。しかし、ドレスデン歌劇場の仕事のために中断を余儀なくされる。 1847年、8月に全3幕のオーケストラ・スケッチが完成。 1848年、1月から4月にかけて総譜を浄書。 1849年、ゼンパーや無政府主義者ミハイル・バクーニンらとともにドレスデンの5月蜂起に参加。しかし革命運動は失敗し、指名手配されたワーグナーはリストの助けを得て、スイスのチューリヒに亡命する。 1850年、リストの尽力によって、『ローエングリン』がヴァイマルで初演の運びとなる。ワーグナーはなんとか初演を見たいと潜入を画策するが、リストに制止されて断念。この前後、『ローエングリン』の初演を巡って、ワーグナーとリストは頻繁に手紙を交わしている。結局ワーグナーが全篇上演を見ることがかなったのは1861年のことで、ヨハン・シュトラウス2世がワーグナー紹介に努めたウィーンでの宮廷歌劇場による舞台であった。 初演 初演は1850年8月28日、フランツ・リストの指揮によりヴァイマル宮廷劇場で行われた。 日本での初演は1932年12月18日、東京音楽学校秋季大演奏会でのクラウス・プリングスハイム指揮、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒらの出演による演奏会形式のハイライト上演である[7]。 『東寶十年史』(1944年発行)の綜合年表86頁によれば、1940年12月4日に日本劇場でドイツのテノール歌手カール・ハルトマン出演、東京交響管弦楽団の演奏による上演が記録されているが、「一場」と書かれており、舞台形式による全曲演奏かは不明である[8]。 舞台形式による本格的な初演は1942年11月23日、東京歌舞伎座で行われた藤原歌劇団の公演とされている。演奏は東京交響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団。現在の同名の団体とは別)、指揮マンフレート・グルリット、主役のローエングリンは藤原義江が演じた[9]。堀内敬三訳の日本語訳詞で歌われたが、戦時中3時間を越える上演は禁止されていたため、内容を縮小して上演された。 演奏時間 演奏時間は最終決定稿で約3時間30分(各幕60分、80分、70分)。 第3幕は慣習的なオーケストラの経済的事情による約5分間のカットは無しで計算。 更に約5分を要する現在では全く演奏されない初稿の「グラール語り」も省く。 楽器編成 フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(3番はイングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット3(3番はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ(第3幕で一時的に3人:2対と一個)、シンバル、トライアングル、タンブリン、ハープ、弦5部(14型) 舞台裏または舞台裏に吹奏楽のバンダ:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、3オーボエ、3クラリネット、2ファゴット、3ホルン、12トランペット、4トロンボーン、中太鼓、ティンパニ(1個)、シンバル、トライアングル、ハープ、オルガン。 いわゆる史上最初の完全な三管編成であるが、これによって同じ楽器で同じ音色による三和音が単独で可能となる画期的な試みとなった。 主な登場人物 ローエングリン(テノール)白鳥の騎士。名前と氏素性は秘密だが、第3幕で明かされる。 エルザ・フォン・ブラバント(ソプラノ)ブラバント公国の公女。 フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵(バリトン)ブラバント公国の実権をねらう。 オルトルート(メゾソプラノ)フリードリヒの妻でラートボート家の子孫。魔法使い。 ハインリヒ・デア・フォーグラー(バス)東フランク王ハインリヒ1世。 ハインリヒ王の伝令(バス) ゴットフリート(歌わない)エルザの弟。公国の世継ぎ。 ブラバントの貴族4(テノール2、バス2) 小姓4(ソプラノ2、アルト2) 構成とあらすじ 第1幕 第1場 前奏曲。アントウェルペンのスヘルデ河畔。ハインリヒ王がハンガリーとの戦いのために兵を募る。そこへフリードリヒが現れ、ブラバント公国の世継ぎゴットフリートが行方不明になり、ゴットフリートの姉エルザに弟殺しの疑いがあるとして王に訴える。王はエルザを呼び出し、釈明を促す。 #ローエングリン,第1幕前奏曲,#wagner,#ワーグナー,#Act 1Prelude

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『ワーグナー:ローエングリン 婚礼の合唱』(Wagner, Lohengrin "Bridal Chorus")

In this video, we'll be singing the famous "Bridal Chorus" from Wagner's opera, Lohengrin. This masterpiece is a must-see for any fan of classical music, and will leave you with goosebumps. If you're curious about this opera, or want to learn more about Wagner's work, then this video is perfect for you. We'll be singing the entire song, from start to finish, so you can learn and enjoy it like a pro! ローエングリン 『ローエングリン』(独: Lohengrin)は、リヒャルト・ワーグナーのオペラ。台本も作曲者によるもので、ローエングリンの伝説に基づき、10世紀前半のアントウェルペンを舞台とする。以降に作曲された楽劇(Musikdrama)に対し、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品である。第1幕、第3幕への各前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。 第3幕への前奏曲 ト長調、三部形式。壮麗で演奏効果の高いこの曲は、『ヴァルキューレの騎行』などとともにワーグナーの代表的なオーケストラ・ピースとして独立してよく演奏される。またこの曲も吹奏楽編曲による演奏がよく行われる。演奏会用の場合、原曲の最後に「禁問の動機」が付け加えて奏されることも多く、あるいは『婚礼の合唱』が続けられることもある。 婚礼の合唱 (Brautchor) 三部形式。いわゆる「ワーグナーの結婚行進曲」として、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』(『夏の夜の夢』の劇付随音楽から)と並んで名高い。しかし、オルガンなどに編曲されるのが一般的であるため、原曲が管弦楽付きの合唱で歌われることはあまり知られていない。 婚礼の合唱 『婚礼の合唱』(こんれいのがっしょう、ドイツ語: Treulich geführt)は、リヒャルト・ワーグナーが作曲した合唱曲。オペラ『ローエングリン』第3幕第1場において歌われる。 フェリックス・メンデルスゾーンの『結婚行進曲』と並んで結婚行進曲として知られ、現在も結婚式においてオルガンなどで演奏されることが多い。 音楽学者三宅幸夫によると「むしろドラマの悲劇的結末を予感させる性質をもった音楽[2]」であり、実際に劇中においてこの場面で結婚した2人は最後には別れることになるので、ドイツでは結婚式にこの曲をオルガンで演奏することを禁止する教会もある。 #BridalChorus,#婚礼の合唱,#結婚行進曲,#lohengrin,#wagner,#richardwagner

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ワーグナー:ジークフリート牧歌

演奏者ページ Carl Schuricht (conductor) 演奏者 Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks 公開者情報 Guilde internationale du disque M-2246, 1962 著作権 Creative Commons Zero 1.0 - Non-PD US 備考 Collection personnelle. Version masterisée. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 《ジークフリート牧歌》(ドイツ語: Siegfried-Idyll)は、リヒャルト・ワーグナーの器楽曲。室内オーケストラのための作品で、音詩もしくは一種の交響詩と見なされるが、特定の筋書きや情景が意図されているわけではない。 概要 1870年に、妻コジマ・ワーグナーへの誕生日およびクリスマスの贈り物として準備された。同年12月25日に、スイス・ルツェルン州トリプシェンの自宅(現在、リヒャルト・ワーグナー博物館となっている)で非公開初演が行われ、事前に作品の存在を知らされていなかったコジマをいたく感激させた。本作品はまた、前年(1869年)に息子ジークフリートを産んでくれたコジマに、ねぎらいと感謝を示す音楽でもあった。 ワーグナー夫妻の私的な団欒の音楽だったため、とりわけコジマは出版を渋ったが、1878年に出版されるとたちまち人気を呼び、オーケストラの標準的なレパートリーに含まれるようになって、ワーグナー家の家計をある程度まで潤した。 原題は『誕生日の交響的な祝賀として彼女のリヒャルトが彼のコジマに贈る、フィーディーの鳥の歌とオレンジ色の日の出をともなうトリプシェン牧歌』(独: Tribschener Idyll mit Fidi-Vogelgesang und Orange-Sonnenaufgang, als Symphonischer Geburtstagsgruss. Seiner Cosima dargebracht von Ihrem Richard)であった。フィーディーはジークフリートの愛称であり、鳥の歌や日の出はワーグナー夫妻にとって私的な意味のあるエピソードだったらしい。 ワーグナーの楽劇《ジークフリート》は、1876年まで初演されていなかったが、それと共通する素材が《ジークフリート牧歌》のなかに含まれている。以前には、楽劇に使うつもりであった素材が本作品にも利用されただけのことと見なされていたが、現在ではまったくの正反対であることが分かっている。ワーグナーは、未完成の室内楽曲から旋律素材を《牧歌》に用い、その後さらに楽劇の中で、ジークフリートとブリュンヒルデの愛の場面にも転用したというわけである。 作品はホ長調により、大まかにソナタ形式を踏まえながら、自由にいくつかのエピソードが挿入されて構成される。 非公開初演の様子 1870年12月25日の早朝、弟子のハンス・リヒターが事前にチューリッヒのオーケストラから選んだ楽人達はワーグナー邸に到着した後、台所でチューニングを行い、コジマの寝室脇の曲り階段に音を立てない様に譜面台を並べて準備を始めた。ワーグナー自身は指揮のため階段頂上に陣取り、楽人たちは階段上に順番に席を占めたが、最後尾のチェロとコントラバスは曲り階段のためワーグナーからは見えない状況だった。また、リヒターはヴィオラとトランペットを掛け持ちで演奏することになっていた(トランペットの出番は10数小節しかなく、ヴィオラはもう1人奏者がいた)。このため、彼はワーグナーから楽譜をもらった12月4日から毎日、軍楽隊から楽器を借りて兵舎で練習を行った。 演奏は午前7時30分から始まり、コジマが大変驚いた上にさらに感激したことは前述の通りで、演奏はその日のうちに数回繰り返された。また、オーケストラが階段上にいたため、長女イゾルデ(当時5歳)と次女エヴァ(当時3歳)はこの曲を「階段の音楽」と呼んだ。演奏の出来は完璧だったとのことである。なお、リヒターは楽人選抜のためにコジマの目を盗んで時々チューリヒへ行ったり、人気のない兵舎へトランペットの練習に行ったりしていたため、一時コジマから品行を疑われていたが、この日真実が明らかになったことでコジマの信用を取り戻した。 編成 管楽器はほとんどの楽器が1本ずつの8パートで、若干拡張されてはいるものの実質的に1管編成といえる小編成である。さらに弦楽器は分割(ディヴィジ)がなく各パート1人ずつでも演奏できるなど、十三重奏の室内楽として演奏可能なほどにコンパクトに作曲されており、前述のエピソードからも初演時はこれに近い少人数で演奏されたことがうかがわれる。この小規模な編成は、後世のシェーンベルクの室内交響曲やヴェーベルンの交響曲の元となった。 フルート、オーボエ、クラリネット2、ファゴット、ホルン2、トランペット、弦五部 演奏時間 約21分。 #wagner,#ワーグナー,#siegfried,#ジークフリート牧歌

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ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲

Prelude (Act I) Complete Performance #298646 - 13.85MB - 11:09 - 6.5/10246810 (8) - !N/!N/!N - 9364×⇩ Play OGG file (audio) Cypressdome (2013/10/8) 演奏者ページ Fulda Symphonic Orchestra (orchestra) 演奏者 Simon Schindler (conductor) 公開者情報 Fulda: Fulda Symphonic Orchestra, 2003. 著作権 Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 [tag/del] 備考 Recorded live March 9, 2003 at the Grosser Saal der Orangerie. #ワーグナー,#トリスタンとイゾルデ,#TristanundIsolde,#RichardWagner,#リヒャルト・ワーグナー,#クラシック,#richard_wagner

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ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

Vorspiel (Act I) For Organ 演奏者 Benjamin Intartaglia 公開者情報 Benjamin Intartaglia 著作権 Creative Commons Attribution 3.0 [tag/del] 備考 Live concert, April 2010. Cavaillé-Coll organ of the Temple de Pentemont, Paris #マイスタージンガー,#ワーグナー,#クラシック,#meistersinger

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ワーグナー:「ローエングリン」よりエルザの大聖堂への行進 Der Zug zum Münster von Lohengrin For Piano

演奏者ページ Peter Bradley-Fulgoni (piano) 公開者情報 Peter Bradley-Fulgoni 著作権 Creative Commons Attribution-NonCommercial-NoDerivs 4.0 [tag/del] 備考 Recorded 2015 in St. Paul's Hall, Huddersfield University. (Peter Hill, sound engineer) #lohengrin,#wagner,#richard,#richard wagner,#opera

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ワーグナー:ニュルンベルグのマイスタージンガー 前奏曲 For Organ

Vorspiel (Act I) For Organ 演奏者 Benjamin Intartaglia 公開者情報 Benjamin Intartaglia 著作権 Creative Commons Attribution 3.0 [tag/del] 備考 Live concert, April 2010. Cavaillé-Coll organ of the Temple de Pentemont, Paris

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ワーグナー:ニーベルングの指輪~序夜「ラインの黄金」

Orchestral Selections 演奏者ページ University of Chicago Orchestra (orchestra) Barbara Schubert (conductor) 公開者情報 Chicago: University of Chicago Orchestra 著作権 Creative Commons Attribution Non-commercial No Derivatives 3.0 [tag/del] 備考 Performed 31 October 2004. From archive.org #ニーベルングの指環,#クラシック,#ワーグナー,#der ring des nibelungen,#オペラ

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リヒャルト・ワーグナー:『トリスタンとイゾルデ』(Tristan und Isolde)

00:00 「前奏曲」 10:58 第1幕第1場 17:26 第1幕第2場 27:36 第1幕第3場 49:21 第1幕第4場 57:38 第1幕第5場 01:25:28 第2幕第1場 01:41:39 第2幕第2場 02:26:16 第2幕第3場 02:51:57 第3幕第1場 03:47:41 第3幕第2場 03:57:57 第3幕第3場 フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団  (S)キルステン・フラグスタート (T)ルートヴィヒ・ズートハウス他 1952年6月10〜21、23日録音 Tristan and Iseult https://en.wikipedia.org/wiki/Tristan_and_Iseult トリスタンとイゾルデ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%83%87 リヒャルト・ワーグナー再生リスト https://www.youtube.com/playlist?list=PLTtHiFCVwL1ygX2hwH34t4gZVmUDL3fms #tristan und isolde #richard wagner, #トリスタンとイゾルデ

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『歌劇「タンホイザー」 序曲, バッカナール(パリ版)』 リヒャルト・ワーグナー

マックス・ゴバーマン指揮 The Vienna New Symphony 1960年(?)録音 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg)は、リヒャルト・ワーグナーが作曲した、全3幕で構成されるオペラ。WWV.70。一般的には『タンホイザー』(Tannhäuser)の題名で知られている。序曲、第2幕のエリザベートのアリア、「大行進曲」、第3幕のヴォルフラムのアリア「夕星の歌」は、独立してよく演奏される。 概要 アメリカ海兵隊演奏。 『タンホイザー』序曲 メニュー0:00 1995年5月録音。 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 ワーグナーが5番目に完成させたオペラ(未完の『婚礼』を除く)で、ワーグナー作品目録では70番目(WWV.70)にあたる。副題に『3幕からなるロマン的オペラ』(Romantische Oper in 3 Aufzügen)という題が与えられている。 前作『さまよえるオランダ人』の持つ番号形式を本作ではこれを脱却し、またワーグナー自身の言う「移行の技法」が随所に巧みに用いられていることが特徴である。 舞台は13世紀初頭、テューリンゲンのヴァルトブルク城。 作曲の経緯 『タンホイザー』が着想されたのは1842年(29歳)に遡る。当時ワーグナーは同年の4月にパリからドイツへ帰郷しており、ドイツのドレスデンで『リエンツィ』と『さまよえるオランダ人』の上演の機会を探していたが、この時期からすでに『タンホイザー』の散文の草稿を着手していたとされる。 1842年6月にワーグナーは場所を移して、ボヘミアの山岳地帯のアウシヒにて散文の草稿を仕上げる作業を6月28日から7月6日にかけて行い[1]、宮廷歌劇場の指揮者としての仕事もあったため一時中断をしたが、翌1843年5月22日に散文の草稿を韻文化した。また韻文化した草稿に音楽を付加するための小スケッチ類を多く書いたのち、夏にテプリッツに場所を移して、1843年初秋に作曲に着手した。第1幕は11月にテプリッツで、第2幕は翌1844年10月15日にドレスデンで、第3幕は12月29日に、序曲は1845年1月11日にそれぞれ作曲を終わらせ、4月13日に全体の総譜を完成させた。 なお当初『ヴェーヌスベルク』という仮題をつけていたが、知り合いの医師からの助言で現在のタイトルに改題している[注釈 1]。 初演 1845年10月19日にドレスデンの宮廷歌劇場でワーグナー本人の指揮で初演された。表面的にはある程度の成功を収めたものであったが、優秀な歌手を揃えた上演であったにもかかわらず、聴衆の反応は冷淡であった。『リエンツィ』のような作品を期待していた大半の聴衆は、新作の『タンホイザー』の内容を理解できなかったことが要因であった(終幕においてヴェーヌスが姿を現さないこと、エリーザベトの葬列が出されなかったことが挙げられる)。 上演2日目(12月27日)には観客が半分に満たず、3日目(12月28日)にはそれを上回ったものの、8日間上演されたのちに打ち切られた[3]。ただし1850年代中頃までにはドイツ各地の歌劇場40か所で上演されている(ベルリンは1856年1月7日)[1]。 「パリ版」による初演は、1861年3月13日にパリ・オペラ座で行われた。 各国での初演 1853年1月18日にリガで行われた公演は本作初の海外初演である(ドレスデン版による)。1854年11月25日にプラハ、1859年4月4日にニューヨーク(メトロポリタン歌劇場での上演は1884年)、1866年1月13日にオーストリアのテメシュヴァール(現在はルーマニア領)、1876年5月6日にロンドンでそれぞれ行われた。 パリ初演 1861年3月13日のパリ初演の告知 1861年にナポレオン3世の招きによって実現したパリでの初演はオペラ史上最も大失敗を引き起こしたものとして知られる。ワーグナーは2年前の1859年9月にパリに引っ越して住んでおり、目的は『トリスタンとイゾルデ』の主役を歌える歌手を探すために転居したものだった。1860年1月から2月にかけて、パリのイタリア座で行われた自作の演奏会を開催し、『さまよえるオランダ人』の序曲や『トリスタンとイゾルデ』の前奏曲などを披露した。この演奏会で多くの芸術家たちから支持を集めたが、新聞などからは敵視され、加えて同地で自作のオペラを上演することを切望していたワーグナーは、この新聞批評によって望みが失われたことにひどく落胆したといわれる[3]。 その最中、ナポレオン3世から『タンホイザー』をオペラ座で上演するように勅命が降り、この思いもしない事態にワーグナーはそれに応えるべく矢継ぎ早にオペラの添削とフランス語訳に着手した。この勅命が下りた理由にはパリ駐在のオーストリア大使の妻パウリーネ・フォン・メッテルニヒ侯爵夫人によるものとされている。夫人はワーグナーの崇拝者であり、パリ上演のために口添えをしたことが下りたことに繋がったといわれる[3]。ただしそれは「外交戦略」の一つとしてであった。 「パリ版」の改訂を終えたのは1861年1月のことで、上演のためのリハーサルは「春の祭典」120回、「ヴォツェック」の150回よりも多い、197回にわたって行われたと伝えられる。3月13日にナポレオン3世の臨席のもと初演を迎えた。だがオペラ座の予約観劇者で会員でもあるジョッキークラブの若い貴族の面々は、かつてバレエの挿入を要求した際に拒否されたことに対するワーグナーの態度に激怒していて、公演を妨害しようと企み、大きな嘲笑や怒号を行った。これにより初日の公演は収拾がつかない状態に至った。 2回目(3月15日)と3回目(3月25日)から徐々にエスカレートしていき、ジョッキークラブの貴族たちは仲間を呼び寄せて、ラッパや狩笛、鞭などを持ち出して妨害工作を行い、喧騒をきわめた末、公演が続行できない事態にまで発展した[3]。 この事態を知ったワーグナーは支配人に書簡で、自らの取った態度と習慣に従わなかったことの非を認め、『タンホイザー』の公演を撤回するに至った。 日本初演 日本においては、1920年(大正9年)12月29日に帝国劇場において、山田耕筰、小山内薫、近衛秀麿らが中心となって結成された日本楽劇協会により山田の実姉であるガントレット恒の渡欧資金募集の一環で、ドビュッシーの『放蕩息子(英語版)』とともに第3幕第1場と第2場を上演したのが、日本における部分初演であった。指揮は山田、合唱指揮に近衛、「演技指導」が土方与志といった顔ぶれで、30日に再演ののち、1921年(大正10年)1月17日と18日には大阪市立中央公会堂でも上演された。[4] 登場人物 人物名 声域 役 1845年の初演者 タンホイザー テノール ヴァルトブルク城の騎士。劇中ではハインリッヒ ヨーゼフ・アロイス・ティハチェク (Josef Aloys Tichatschek) エリーザベト ソプラノ ヘルマン1世の姪 ヨハンナ・ワーグナー (Johanna Wagner) ヴェーヌス(ビーナス) メゾソプラノ ヴェーヌスベルクに住む快楽の女神 ヴィルヘルミーネ・シュレーダー=デフリーント (Wilhelmine Schröder-Devrient) ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ バリトン ヴァルトブルク城の騎士でタンホイザーの親友 アントン・ミッターヴュルツァー (Anton Mitterwurzer) ヘルマン1世 バス テューリンゲンの領主 Georg Wilhelm Dettmer ビーテロルフ バス ヴァルトブルク城の老騎士。歌合戦でタンホイザーと対立 Johann Michael Wächter ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ テノール ヴァルトブルク城の騎士。歌合戦でタンホイザーと対立 Max Schloss ハインリヒ テノール 書記 Anton Curty ラインマル・フォン・ツヴェーター バス 吟遊詩人 Karl Risse 若い羊飼い ソプラノ Anna Thiele 4人の侍童 ソプラノ その他:テューリンゲンの騎士たち、伯爵たち、貴族たち、貴婦人たち、老若の巡礼者たち、ジレーネたち、ナヤーデたち、ニンフたち、バッカスの巫女たち、優美の三美人たち その他(パリ版で追加された登場人物):少年たち、クピドたち、サテュロスたち、ファウヌスたち 演奏時間 「パリ版」や最終稿の「ウィーン版」で約3時間10分(第1幕:約70分、第2幕:約70分、第3幕:約50分)。「ドレスデン版」はバレエが無いため第一幕が約5分短い。 楽器編成 オーケストラ・ピット 木管楽器:3フルート(ピッコロ持ち替え)、2オーボエ、2クラリネット、バスクラリネット、2ファゴット 金管楽器:4ホルン、3トランペット、3トロンボーン、テューバ 打楽器:ティンパニ(パリ版以降はヴェーヌスベルクで一時的に3人の指定があるが実際の上演では一人で済まされる場合が多い)、タンブリン、バスドラム、シンバル、トライアングル その他:ハープ、弦五部 バンダ(舞台上) コーラングレ、4オーボエ、6クラリネット、4ファゴット、12ホルン、12トランペット、4トロンボーン、スネアドラム、シンバル、タンブリン あらすじ 版について 1845年の初演時に聴衆が内容を理解できなかった点などを考慮して、ワーグナーは改訂を施しているが、「ドレスデン版」と「パリ版」を含め4つの稿が存在する[1]。 パリ版(1861年版) 1859年にパリを再訪した際、ワーグナーにナポレオン3世から『タンホイザー』上演の勅命が降りた。ワーグナーは、台本をフランス語に訳すだけでなく、音楽にも改訂を施した。主な改訂内容は、第1幕冒頭のヴェーヌスベルクの部分を改訂して「バッカナール」と称するバレエ音楽をつけ加えたこと、および第2幕の歌合戦の場面からヴァルターのアリアを削除したことである。 バッカナールの追加は、当時パリで流行していたグランド・オペラの慣行にならい、バレエの挿入を劇場側が上演条件として課してきたためである。ワーグナーも念願のパリでの成功の為に要求を受け入れたが、妥協し切れず、通例の第2幕ではなく第1幕にバレエを挿入した。このことは踊り子目当てに第2幕からやってくる貴族達には受け入れられず、当時の政治対立も絡んで妨害工作にまで発展し、上演3日で打ち切られる事態になった。しかしこの大失敗、スキャンダルが逆にワーグナーへの注目を集め、これを機にフランスの音楽界や文壇にも圧倒的な影響を及ぼすことになる。この際に使用された版が狭義の意味での「パリ版」であるが、これは今日ではほとんど演奏されない。この時点で序曲はまだオペラ本体から分離された形であった。このパリ版は170回以上の練習を費やした事でも有名で「ヴォツェック」の150回や「春の祭典」の120回よりも遥かに多い。 改訂によって『トリスタンとイゾルデ』以降の、より色彩的かつ迫真的なものに変貌を遂げた音楽が盛り込まれたが、このことは『タンホイザー』作曲当時の音楽との様式上の不統一を生じることにもなった。ワーグナーはその後も作品に手を加え続け、1867年にはミュンヘンで台本をドイツ語に再訳して上演した。