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『稲盛和夫一日一言』5/17(水)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5/17(水)は、「現場には神がいる」です。

ポイント:仕事の現場には神がいる。壁にぶち当たって万策尽きたときは、いったん冷静になって、もう一度周囲を冷静に観察し直してみる。すると、神の声が聞こえてきて、解決のヒントをささやきかけてくれる。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、現場には神が宿っているとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 仕事の現場には、神がいます。例えば、どんなに工夫をこらし、試行錯誤を重ねてもうまくいかず、壁にぶち当たって万策尽きたと思えることがあります。
 しかし、もうダメだと思ったときが実は始まりで、そういうときはいったん冷静な気持ちに戻って、もう一度いまいる場所から周囲を観察し直してみることです。

 すべての要素を一つひとつ洗い直し、また素直な目ですみずみまで見直してみる。これには物理的に再点検してみることで初心に帰るという意味もあるのですが、実はそれ以上のものです。いってみれば、現場や製品に対して、改めて目を向け、身を寄せ、心を添わせ、耳を傾けるという行為なのです。
 そうすると、神の声が聞こえてくることがあります。現場や製品のほうから、「こうしたらどうだ」と解決のヒントをささやきかけてくれるのです。私はそれを「現場や製品の語りかける声に耳を傾ける」といっています。

 答えは常に現場にあります。しかし、その答えを得るには、心情的には仕事に対する誰にも負けない強い情熱や、深い思い入れを持つことが求められます。
 技術者らしくない、非科学的な言い方かもしれませんが、こちらの思いの深さと観察の鋭さに応じて、無機質であるはずの現場や製品にも「生命」が宿り、無言の声を発する、いわば「心に物が応える」、そうした瞬間を経由していくことで、物事は成就していくのではないでしょうか。
(要約)

 『稲盛和夫一日一言』の8月に、「有意注意」という言葉が出てきます。「意をもって意を注ぐ」、つまり目的をもって真剣に意識や神経を対象に集中させる行為です。
 この「有意注意」は、あらゆる状況の、どんな些細な事柄に対しても、自分の意識を「意図的に」凝集させるということです。したがって、本来観察するという行為などは、この有意注意の連続でなければなりません。ただ漠然と対象を眺めていたり、注意力にムラがあるようでは有意注意とはいえないのです。

 そして、有意注意が習慣化されてくると、物事の本質や核心がつかめ、的確な判断を下すことのできる力が備わってきます。その有意注意の機能の中心にあるのが「集中力」です。そして、その集中力は、思いの強さ、深さ、大きさから生み出されてくるものです。

 自身が持つ思いの力を知り、それを意図的に活用できるようにする。それには、誰にも負けない強い情熱や、深い思い入れを持つことが必要です。
 何かしら困ったことが起こっても、「現場」や目の前の無機質である「物」のおかしなところのほうから勝手に自分の目に飛び込んできて、イレギュラーな部分を訴えかけてくれる。そうした摩訶不思議とも思える現象が起こるほど、「ど真剣に」仕事にも人生にも取り組んでいきたいものです。


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