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『稲盛和夫一日一言』 11月15日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11月15日(水)は、「短所も将来役に立つ」です。

ポイント:長所だけでなく、短所と見えるものですら、その人の将来にとっては役に立つものになり得る。慎重で臆病な人間をよく育てていけば、いずれ素晴らしい人材に転化する。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「臆病さに裏打ちされていない勇気は単なる蛮勇にすぎない」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 今までだれも試みなかった前例のないことに挑戦するときには、周囲の反対や反発は避けられません。それでも、自分の中に「できる」という確固とした思いがあり、それがすでに実現しているイメージが描けるならば、大胆に構想を広げていくべきです。

 構想そのものは大胆すぎるくらいの「楽観論」に基づいて、その発想の翼を広げるべきであり、また周囲にも、アイデアの飛躍を後押ししてくれるような楽観論者を集めておくのがいいと思います。

 つまり、新しく難しい仕事に取り組むときには、頭はいいが、その鋭い頭脳が悲観的な方向に発揮されるタイプよりも、少しばかりおっちょこちょいなところはあっても、私の提案を「それはおもしろい、ぜひやりましょう」と無邪気に喜び、賛同してくれるタイプの人間を集める。
 構想を練る段階では、実はそれくらい楽観的でちょうどいいのです。

 私は「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」ことが、物事を成就させ、思いを現実に変えるのに必要だと説いてきました。

 そのことについては、冒険家の大場満郎さんからお聞きした話が参考になるでしょう。大場さんは世界で初めて、北極と南極を単独で徒歩横断した人です。その冒険に京セラの製品を提供したことから、そのお礼にと大場さんが私を訪ねてきてくれたことがありました。

 私は開口一番、命がけの冒険を辞さない大場さんの勇気を称えたのですが、大場さんはちょっと困ったような顔でそれを即座に否定され、「いや、私に勇気はありません。それどころか、たいへんな怖がりなんです。臆病ですから細心の注意を払って準備をします。今回の成功の要因もそれでしょう。逆に、冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます」と話されました。

 それを聞いた私は、どんなことであれ事をなす人物は違うものだ、人生の真理というものをその掌中にしっかりと握っておられると感心しました。
 臆病さ、慎重さ、細心さに裏打ちされていない勇気は、単なる蛮勇にすぎないのだと、この稀代の冒険家は言いたかったのでしょう。
(要約)

 今日の一言には、「勇気がないというと一見、欠点であるかのように聞こえる。しかし、臆病なるがゆえに、いざというときに備え、周到な準備をする」とあります。大場満郎さんの話は、格好の実践例ではないでしょうか。

 京セラフィロソフィに、「真の勇気を持つ」という項があります。

 仕事を正しく誤りなく進めていくためには、要所要所で正しい決断をしなければなりませんが、その決断の場面では、勇気というものが必要となります。しかし、そこでの勇気とは蛮勇、つまり粗野で豪傑と言われる人の持っている勇気とは違います。
 真の勇気とは、自らの信念を貫きながらも、節度があり、怖さを知った人、つまりビビリをもった人が場数を踏むことによって身につけたものでなければなりません。
(要約)

 この項目の紐解き講話で、名誉会長は次のように解説されています。

 リーダーには「怖がり」という資質がどうしても必要です。新しい事業を展開するにしても何をするにしても、小心で、最初はビビッてしまうようなタイプの人が、経験を積んでいくことによって、つまり「場数を踏む」ことで度胸を身につけていく。そのような人こそが、真の勇気を持った人なのです。(要約)

 京セラ社内のフィロソフィ研修でこの項目を学んだとき、小心者の私は内心「やった」と思いました。「自分も経験を積んでいくことによって、ビジネス社会をたくましく生き抜けるだけの度胸を身につけることができるかもしれない」と思ったからです。

 残念ながら、未だ本質的に小心者であることに変わりないようですが、京セラ在籍中に数々踏ませていただいた「場数」は確実に蓄積され、退職後の現在も、日々の判断の基軸となってくれているように思います。


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