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『稲盛和夫一日一言』 12月6日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 12月6日(水)は、「正しい道義」です。

ポイント:多くの人々の力を結集しなければならないとき大切になるのが「正しい道義」。志を持ち、ひたむきに努力を続ける人の周りには、自然と志を同じくする人たちが集まってくる。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)のプロローグで、上質な日本人の存在について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 かつて日本の社会のいたるところに、上質な人間がいました。

 たとえ経済的に豊かではなくても、高邁(こうまい)に振る舞い、上に媚(こ)びず下には謙虚に接し、自己主張することもなく、他に善かれかしと思いやる、そうした美徳を持つ日本人がたくさんいました。
 また、そのような人々によって構成されていた集団も、自ずから高い品格を備えていました。そのような上質な人間に支えられていたからこそ、今日までの日本経済の発展があったのだと思います。


 しかし戦後60年、日本人は確かに物質的には豊かさを得ましたが、逆に精神的な豊かさを急速に失いつつあるのではないでしょうか。
 進みゆく心の荒廃こそが、日本人をして、その質が劣化してしまったように見せ、また現代の日本社会に混迷と混乱をもたらしている真因なのです。

 今こそ、日本人一人ひとりが、精神的豊かさ、つまり美しく上質な心をいかにして取り戻すかを考えなければなりません。年齢を問わず、すべての日本人が、改めてその品格、品性を高めることができれば、日本は世界に誇る上質な国民が住む国として、再び胸を張れるようになるはずです。私は、それこそが、真の日本再生であると考えています。(要約)

 そして、「今、なぜ西郷の思想を問うのか」ということについて、名誉会長は次のように続けられています。

 そのようなことを思うとき、かつて、とびきり美しく温かい心を持った、一人の上質な日本人がいたことを思い起こすのです。それは、西郷隆盛です。西郷の生き方、考え方こそが、日本人が本来持っていた「美しさ」「上質さ」を想起させるのです。私が「尊敬する人物、理想とする人物は?」と問われてすぐに頭に浮かぶのは、西郷です。

 明治政府における西郷の偉業の一つに、廃藩置県の断行があります。
 当時の日本は、王政復古、版籍奉還を経て立憲君主国家への道を踏み出したものの、幕藩の力は以前として強く、封建体制から脱しきれずにいました。
 その中、西郷は「議論は尽くした。反対はあろうが、この改革を断行しなければ日本に未来はない。後に問題が生じたら、自分がすべてを引き受ける」との決意と覚悟を示し、旧来の枠組みを排する廃藩置県を断行します。

 西郷自身、武士の出身であり、かつての主君や仲間の生活を一変させる改革を断行するにあたっては、おそらく逡巡や躊躇もあったはずです。
 それでも西郷を突き動かしたものは何だったのか。それは、日本という国を正しい方向へと導かねばならないという「大義」であり、その「大義」に基づく「信念」でした。その信念が西郷に「勇気」を与えたのです。

 そうしたとてつもない器量の大きさ、身を処する潔癖さ、何にも増して、その徹底した無私の心といった西郷の人間としての魅力は、時代を超え、私たちに「人間としてのあるべき姿」を今なお鮮やかに指し示してくれます。
 我々日本人は今こそ、そのような西郷の生き方、哲学、行動をしっかりと記憶に留め、新しい時代を切り開いていくべきではないでしょうか。
(要約)

 書籍『人生の王道』は、「無私」「試練」「利他」「大義」「大計」「覚悟」「王道」「真心」「信念」「立志」「精進」「希望」の12章から構成されています。

 「南洲翁遺訓」の中でも特に私が心に留めているのが、遺訓二六条です。

 己れを愛するは善からぬことの第一也。修業が出来ぬのも、事の成らぬも、過ちを改むることの出来ぬも、功に伐(ほこ)り驕慢(きょうまん)の生じるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。

訳:自分を愛すること、すなわち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は最もよくないことである。修業ができないのも、事業の成功しないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも皆、自分を愛することから生じることであり、決してそういう利己的なことをしてはならない。

 自分だけよければいいと考えて行動するから、他人の協力が得られない。考え方を「利他」に変えれば、他の人からの信頼と協力が得られ、事業であれ人生であれ、必ずうまくいく。
 とても国家大計を語ることはできませんが、「利他の心」を忘れることなく反省ある日々を過ごしていければと思っています。


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