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『稲盛和夫一日一言』 3月22日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3月22日(金)は、「寝ても覚めても思い続ける」です。

ポイント:強烈な願望とは、「寝ても覚めても忘れない」ほどの強い願望のこと。寝ても覚めてもそのことばかり考えているという状態が、「強烈な願望を心に抱く」ということ。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)「第1章 思いを実現させる」の中で、思うことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私たちは、人生で起こってくるさまざまな出来事に対して「世の中は思うようにはならない」と、ついそんなふうに見限ってしまうことがあります。
 しかしそれは、「思いとおりにならないのが人生だ」と考えているからであって、そう考えているとおりの結果を呼び寄せているだけなのです。

 人生はその人の考えた所産であるというのは、多くの成功哲学の柱となっている考え方ですが、私もまた自らの人生経験から、「心が呼ばないものが自分に近づいてくるはずがない」ということを、信念として強く抱いてきました。
 つまり、実現の射程内に呼び寄せられるのは自分の心が求めたものだけであって、まずは思わなければかなうはずもない。

 いいかえれば、その人の心の持ち方や求めるものが、そのままその人の人生を現実に形づくっていくのであり、したがって事をなそうと思ったら、まずこうありたい、こうあるべきだと思うこと。それも誰よりも強く、身が焦げるほどの熱意を持って、そうありたいと願望することが何より大切になってきます。

 心が呼ばなければ、やり方も見えてきませんし、成功も近づいてきません。だからまず強くしっかりと願望することです。そうすれば、その思いが起点となって、最後には必ず成就します。
 誰の人生も、その人の心が描いたとおりになります。思いはいわば種であり、人生という庭に根を張り、幹を伸ばし、花を咲かせ、実をつけるための、もっとも最初の、そしてもっとも重要な要因なのです。

 ただし、願望を成就につなげるためには、並みに思っているだけではダメで、「すさまじく思う」ことが大切です。漠然と「できればいいな」と思う程度の生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにして、身体を切れば血の代わりに「思い」が流れ出る。
 それほどまでにひたむきに、強く一筋に思うこと。そのことが物事を成就させる原動力となるのです。

 しかし、同じような能力を持ち、同じ程度の努力をしていても、一方は成功するが、一方は失敗してしまうといったことがあります。その違いはどこからくるのでしょうか。得てして人はその原因を運やツキのせいにしがちですが、その違いはそれぞれが持つ願望の大きさ、強さ、深さ、熱量といったものの差からきているのです。

 寝ても覚めても思い続ける、思って、思って、思い抜くということは、そう簡単にできることではありません。強烈な願望を持続させ、ついには潜在意識にまでしみ込ませるほどでなくてはならないのです。

 本気で何か新しいことを成そうとするならば、まずは強烈な願望を持つことが不可欠なのです。
 不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても、目標を達成させる唯一の方法なのです。
(要約)

 また2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「強烈な願望を抱き、理知的に考え尽くす」の項で、強烈な願望を実行に移す際に大切なこととして、名誉会長は次のように述べられています。

 何かを成そうとするときには、心の底からほとばしり出てくるような、強烈な願望を持つことが大切です。

 一般には、経験や技術など有利な条件が揃ってから着手しようとします。しかし、人間とは「まず思う」ことが動機になります。そしてその思ったことを実行に移していく。それが物事を成し遂げることになるのです。
 また、その強烈な思いがあればこそ、実行へ移す段階で、あらゆる方法を考え、戦略、戦術を練って、すべての才覚を駆使することができるのです。

 何かを達成しようとするときには、まずは強烈な願望を抱き、それを実行する段階では、理知的に頭で十分考え尽くすことが大切です。(要約)

 何かを成さんとするとき、「まず思う」ことが動機になり、同時に「強烈に思い続ける」ことが、その後の実行段階においては成就に向けた原動力、推進力となっていく。

 名誉会長は、「本当に成就させたければ、次から次へと湯水のごとく方法論が思い浮かんでくるはず」とも言われています。
 「そうすればいいのかわからない」と頭を抱えて煮詰まってしまっているようでは、またまだ「寝ても覚めても思い続ける」という状態にまで至っていないということではないでしょうか。

 「強く」思う、その強さの度合いに応じて、具体的な方法論も出てくるはずだと考え、この先もさまざまな課題に取り組んでいきたいと思っています。


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