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みんなの正解を私の正解にしなくていい

転職活動が終わって、新しい場所で頑張ることが決まった。

まだ、転職することは上司以外には打ち明けていないのだけど、はっきりと心境の変化を感じる出来事があった。

楽しそうに仕事の話をする同僚を目の当たりにしても、病まなくなったのだ。


今まで、仕事が好きな人を目の前にすると「私も好きそうにしなきゃ」と身構えている自分がいた。次の目標を語り合って、その気持ちに嘘はなかったと思いたいけれど、でもやっぱり本当はしっくりきていなくって。

しっくりしていないことを認めたくなかった。
というか、「楽しい」って思えない自分がおかしいと思っていた。
高校生の頃からの夢の業界に入って、社会貢献度も高くて、こんなにも素晴らしい人たちが働いている職場。

こんなに一貫性のある人生を歩んでて、夢を叶えているのに「楽しい」と思えないのは、自分が未熟だから。
もっと成長して、ミスも少なくなって、仕事をどんどん回せるようになったら面白いと思えるようになるのかもしれない。
この辛い修行時期を乗り越えたら、「あちら側」にいける。
そんな風に思ってたんですね。

でも、3年を過ぎてもやっぱりしっくりこない気持ちはぬぐえなくて、新しい道を進むことになった。
夢だったこの業界から一旦身を引く。
いざそう思ったら思ったで、すん、と冷静になる自分がいた。

この仕事がしっくりこなかったのは、私が劣っていたからではない。
反対に、この仕事を楽しいと思える人たちも本当に心から楽しいと思っているし(もしくは嫌な仕事をカバーできるだけのやりがいを実感できている)、私もみんなもそれぞれ違ってきっと同じように素晴らしい。
ということが、なんだか突然すっと分かったのだ。

転職活動中にこんな言葉に出会ったのも大きい。

仕事は作業や。
せやから、自分が仕事で幸せになりたかったら、自分が一番好きな
「作業」を選ばんとあかん。

どんだけでも続けられる一番好きな「作業」を仕事にするんや。
それが仕事の正しい選び方や。
夢を叶えるゾウ(著:水野敬也 出版:飛鳥出版)

大学時代に、本が好きで本屋で働いたけど、きれいに本を陳列したり、方向音痴なのにお客さんと一緒に本を探したり、急いでレジしたりという作業は壊滅的に好きではなかった。

それと同じように、この業界には憧れていたけれど、広くたくさんのことに気を配って、臨機応変なトラブル対応をして、素早く効率的に物事を進めるという「作業」は、きっと向いてなかったと思えるようになったのだ。

深く物事を考えて、1対1の関係を大切にして、自分自身も知識を深めて、そして何よりも文章を書くという「作業」。それが、きっと、私の好きな「仕事」だ。
そして、きっとそれは記者という職種で叶えられるのだと思う。

みんなの正解を私の正解にしなくていい。私のなかの5歳児が「コレむりー!」と言ったら、たぶん無理なのだと思う。

そして同時に、「作業」という概念を知ったことによって、この業界が好きで、世界を知ることが大好きで、この業界で働く人たちが好きな気持ちにも嘘はなかったんだと気づいた。
道を外す自分をなんだか許すことができたのだ。

今までの道を否定するようで怖かった。正直、高校生の頃の自分にゴメンと言いたい気もする。
でもその代わり、私は私にあってる「作業」に出会えなかっただけで、自分の「好き」という気持ちで動いてきたのだと胸を張って言える。

来週も転職の準備は続く。
退職するためにこんなにたくさん面談をしなければいけないことは知らなかったけど……感謝と自信を込めて、今の気持ちを伝えていきたい。

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