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忘れたくない時間

10年以上の付き合いになる友達に会った。
彼女と会うのはコロナウイルスの影響もあって久しぶり。数年前から会う頻度が高くなり3か月に一度ぐらいで会っていたのが、今年は先日で2回目。改めて今年は人との関わりが少なくなっていたことに気づかされた。コロナウイルスによって人間関係にも変化が起きたというのを雑誌やネットで何度か目にしたけれど、元々狭く深くの友好関係だったわたしにはあまりそこまでの変化はなかったからあまり共感することはなかった。たまに自分の友好関係の狭さに驚くことがあるから、そろそろいろんなコミュニティに入っていくようにしたいな、なんて人間関係も整理しよう、断捨離しようなんて言葉が飛び交っている中、正反対のことを考えてた。そもそも人間関係も整理・断捨離ってなんだか自分たちは商品みたいだな。

中学・高校時代の学生の友達って不思議だなぁって思う。いつ出会っても、すぐにそのころにタイムスリップできる。あのときの自分を客観的に見ているような、録画していたビデオを見ているような感覚。まだ色褪せていないように思うのはわたしがまだ20代だからなのか。どんどん出てくる思い出は、楽しい思い出が多い。当時の割合はどんなものだったのか思い出せないけれど、苦しかった記憶を脳内が綺麗に整えてくれているのかもしれない。きっとそのころはすごく悩んでいた問題も今ではかわいく思えるような内容だったように思える。それはわたしたちが大人になったからなのか、10代の制服を着ていた学生時代という当事者にはもうなれないからなのか。少し寂しくもあるけれど、あの頃から“悩む”ということにはずっとつきまとわれていたんだなと、ときめきよりも汗の分量が多い青春時代を思い出した。

10年前のわたしが、今のわたしを見たらなんて思うのだろうか。
歳を重ねるたびにふと思う。想像していたものに近づけているのだろうか。頭に浮かんだところで、想像と重なる部分の方が少ないことに気づき目をそらした。

落ち込むことが多くあったからか、その日は自然と口からでる言葉もいつもより悲観的なものになっていた。
「なんもないよ、ほんと」
口に出してから、しまった、と思った。何悲劇のヒロインぶっているんだ、と。せっかく久しぶりに出会ったっていうのに暗い話ばかりして、貴重な時間をつぶしてしまっている。慌てて、「でも!丈夫な身体は健在だからね、うん」と歯切れの悪いあとづけをした。なかなかにひどい。いい歳をして友達相手に気を遣わせるようなことを言った自分を恨んだ。
「うん、それが一番だよ」
うつむきかけていた頭を起こして向かいの彼女を見ると、いつものように優しい笑顔でうんうんと頷いていた。それが一番で、生きている限り大丈夫と、言われたようだった。ふと脳内で半沢直樹の奥さん上戸彩さんが演技していた花ちゃんの台詞が流れた。大袈裟化もしれないが、そうだ、大丈夫だ、って気づけた。

悲観的な考えは、あたりまえと思っていた考え方自体も忘れさせる力がある。想像以上に強い力で、底のない谷に落としていこうとする。だからそこから抜け出す方法を知っておくことが大切だ。
例えばそれは、よく眠ることかもしれない。お腹いっぱいまで甘いものを食べることかもしれない。感動する映画を見て思い切り涙を流すことかも。カラオケで腹から声を出して喉が枯れるまで歌うことかも。友達と笑って話すことかも。お笑いを見て腹筋が痛くなるまで笑うことかも。ひとりの部屋でラジオに耳を傾けることかも。そうやっていくつもの方法でこれからも乗り越えていくし、生きていく。

たった2時間のごはんの時間。でもその時間が大切なことを教えてくれた。

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