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清濁併せ呑む宝塚ファンへ

現役生徒の転落死により、宙組大劇場公演を中心に多くの公演中止が発表された。

宝塚歌劇団についての週刊文春記事はあの一件から毎週上がり、ランキングでも上位に多くの記事が上がっている。


宝塚に限らずエンタメ業界全体に言えるが、権力を持つ人間に対して表に出る人間が目立ち過ぎる。そのため、スターより遥かに発言権のある上層部が透明化されがちだ。

本音はそこを踏まえて、もっと権力者に踏み込んだ内容が出るのが望ましい。残念ながら現状は、生徒と元生徒のリークを集める方針のようである。

ただ文春の書き方に問題が無いとは言わないまでも、個人ではなく劇団の体制そのものを批判している。

そして今までも今も、組織的な問題を個人の問題に矮小化しているのはファンだと感じている。


まずは「25歳が飛び降り」という情報のみだったため、様々な憶測を呼んだ。

そして詳細が分かるにつれ「○○さんじゃなくて」「○組じゃなくて」”良かった”というのが滲み出るような、おぞましい……ファンというのも憚られる存在も炙り出されている。


今回音楽学校でも飛び降りがあったとして記事になっているが「当時の予科本科=○期と○期が悪い」とまとめてしまうファンは多そうだ。

不当退学で劇団を訴えた裁判の時も、本題はそっちのけでいじめ裁判とすり替え、特定の期だけの問題に落とし込めた。

今回の記事になった元音校生も退学したとあったが、本当に本人の意向なのか疑いが残る。


中学卒業後すぐ宝塚に入った生徒は、タガが外れやすい。見るからに幼い中卒本科生が、年上を厳しく叱る姿は印象的だ。上層部は「度胸がある」と評価してしまう。

その結果、上位の成績で入団する。
歪んだ成功体験を積んでしまい、負の連鎖が起こる。


中卒本科生が高卒予科生にどんな理不尽を強いてもいい状態は、宝塚と世間にある「逆転パワーバランス」の象徴といえる。
幼くても本科生に絶対的権力がある生徒側に対し、社会人側は「弱い年下が強い年上を指導してる」意識が根を張ってしまう。いじめやパワハラがより認識されにくく、エスカレートの要因となる。

もちろん音楽学校の本科生でも、叱るのが強制というわけではない。いわゆる叱るキャラと、叱らなくても許されるキャラはあると聞く。

しかし叱る、それもより理不尽にキツく、予科生から恐れられる程であれば、成績順位には明らかに有利に働くであろう。


理不尽な虐めやパワハラを行うほど成績は優秀となり、初舞台や配属後の扱いも上げる。

それはもう許されない時代であり、変わるべき点だ。

しかし善悪も常識非常識も一般社会とは違う基準だからこそ、異質な世界観が出来ている現実もある。
実際に舞台上で同期~予科本科同士でのシーンには、2期以上離れた相手とのシーンには無い「何か」がある。
絆というのは、波風立てず無難な距離感では生まれない。音楽学校での生活は宝塚にとって欠かせない、大切で素晴らしいものもたくさん生んでいる。

だからこそ少女達のタガが外れ、暴走しないように大人達が制御しなければいけない。

トップスターでさえ組織の中では生徒で若い。本当の権力者、責任者、長年の構造的な問題にいい加減、向き合うべきである。


今もまた「宙組問題」として片そうとしているファンの動きがある。問題の中心にいる娘役の月組移動が騒がれたのも、やはり月組ファンは他人事だったからであろう。

他組のファンは「宙組だけが悪い」、宙組生のファンは「加害者と思われるジェンヌだけが悪い」、そのジェンヌのファンは「移動予定の娘役だけが悪い」……その「悪い者」を排除すれば済むのか。


おそらくしばらくは続報がある。
今回ばかりは切り捨てずに、全て自分事、贔屓事として考える時がきたのではないか。

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