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舞台が空虚で不気味

まず上記の通り、宝塚の演出家というのはそこまで割りの良い立場ではないと思っている。

礼真琴のプライベート写真流出をきっかけに、週刊文春では短期間で多くの宝塚関連記事が掲載された。

25歳娘役の転落死~2023年中は毎週である。しかし真偽に関わらず、タカラジェンヌへの制裁は表立ってはいない。


唯一即制裁退団となったのは、演出家原田諒だ。当時ルール違反への制裁対応が無いことに疑問を持つ層に「セクハラは許せない」とアピールする意図はあっただろう。

実際に世論は落ち着きをみせ、ファンは宝塚の信用が上がった。制裁のある事例と無い事例が出来ることは、かなり有効なパフォーマンスだ。


自責の念に駆られた自主退団なら完璧だったのだ。問題は不当解雇として、演出家側が抗議したことだ。そして去年末に最大物演出家が、ほぼ同じハラスメントを告発された。

トップスターの男役に「丸顔」「足が短い」と身体的特徴を批判した内容まで同じである。コンプライアンス問題はもちろん、一連のパワハラの源流にも思われる。


しかし既に決まっているトップコンビ退団公演の担当を外すわけにもいかない。退団フラグはあるが人気ミュージカルの大半を手掛けた演出家を、以前のように切り捨て出禁に出来るはずもない。

そんな中で公演中に担当演出家原田諒が解雇となった『蒼穹の昴』が、WOWOW番組「宝塚への招待」にて放送されることが発表された。現役スターがほぼ出ていないような作品が続いていたが、以前のように戻る1発目だ。原作があるにしてもこれはもう和解というか、一連のハラスメント問題の結論に思える。

週刊文春も2024年に入ってからは宝塚の記事を紙面掲載していないようだ。リーク分では内容的にも人物的にも、最大物演出家がピークではあるのだろう。


他の週刊誌では遺族との面談で宙組の組織変更やパワハラを認めたと掲載があったが、公式HPでは否定した。

生徒個人名を出して叩く内容はやり過ぎであり、夢を売る商売にとって死活問題であることは間違いない。

しかし文春砲が止まってみて、見えないけど裏では色々な思いがあって~というストーリーに救われていたのを自覚した。

それなりの規模の企業にいれば、社員が自殺したと聞くことはある。残念ながら年間何万人もが自死を選ぶ国では、業務が止まるほどの衝撃は無い。

でもそれはほぼ会ったことがない人や、ビジネス上の表面的な付き合いの場合である。


宝塚では、同期や予科本科(102期~104期)が音楽学校で密な時間を過ごす。
まだビジネスではない、海の物とも山の物ともつかない頃だ。宝塚人生の基盤を共に過ごすことで、組を越えて生まれる深い絆。

その絆を端から端まで持っているからこそ、舞台という虚構に「本物の感情」が生まれ感動出来る。

同期や予科本科として過ごした仲間が自殺を選び遺族が批判しているのに、平然と宝塚の舞台に立てるのは絆の否定だ。

宝塚は同期シーンなど内輪ネタも多い。ある意味では芝居としての精度より、現実とリンクした「生感」で成り立っている。
そんな夢を見れる要素の根本を否定して進む舞台に、贔屓目に見ても人としての信頼性が崩れてしまう。


コロナの時とは状況が逆である。コロナ禍では客含め社会全体が不安で、演者の安定感に現実を忘れさせてもらうニーズがあった。
一方自死の衝撃が強い現在は、客側より演者が不安定でいなくてはおかしい。

多くの宝塚ファンにとって、故人の名前<宝塚の1生徒という意味が大きい。しかし同期や予科本科(102期~104期)のタカラジェンヌにとっては「仲間の自殺」であり、そうでなくてはいけない。

ファンや学年の離れたジェンヌが乗り越えても、仲間だけはしつこすぎるほどに引き摺り続けるのが美談だ。あっさり切り替えて舞台に立てるドライさは、宝塚が売ってきた絆のストーリーと噛み合わない。

客やスタッフより非情な「仲間」は口先だけで綺麗事を言っても、ただの人でなしであり気持ち悪いのだ。

もちろん大人なので学年が離れていれば、ビジネス関係が勝る。切り離して割り切れるのは分かる。

しかし少なくとも音楽学校を共に過ごしたはずの人物は、通常に戻ろうとすればするほど気持ち悪い。笑顔だけ張り付けて動く、心の無いロボットのようだ。
ロボットが人間に近付きすぎると起こる「不気味の谷」現象は、人間がロボットに近付きすぎても起こっている。


現実に絆があると信じていた人々が、非情で虚無な対応でやり過ごしたこと。

文春の過剰なまでに煽る大味な記事に、この「気持ち悪さから目を逸す」効果は確かにあったのだ。

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