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異邦人 カミュの描く不条理とは?

カミュの異邦人といえば不条理。でも読んでいくと不条理ってどこが?と初めて大学生のときに読んだときには思いました。太陽のせい、とは何だかよくわからないけどゴダール映画みたいにお洒落な意味かしらん?とか。
 しかし幾つか評論を読むと、面白さ100倍です。太陽のせい、までには幾つかの段階があります。
1  お母さん問題
母性神話にも通じますが、主人公は別にお母さんを大切に思っていない訳ではないけれど、マザコン的なところがありません。それじゃダメ、お母さん大事でしょ、もっとベタベタしてあげて、というのが、周囲の評価です。それに反抗し躊躇っている主人公は冷たい共感性の乏しい人間として、裁判官をはじめ、裁判の傍聴人に思われてしまいます。

2  正々堂々の決闘文化のかけちがい
 主人公は友達の抗争に巻き込まれますが、あくまでヨーロッパの決闘のルールに則って戦うことを友達に求めます(ドストエフスキーの悪霊やカラマーゾフにリアルな決闘シーンがあり、参考になります)。決闘のルールは同じ条件の武器で戦うことです。
 一回戦は友達がずるして武器を使おうとしたので、ダメだと止めたのですが、敵が先に武器を使い、友達は大怪我します。
 二回戦は敵が武器を使ってきたら、お前がこの銃で援護してくれ、と友達は主人公に頼みます。
そして敵は武器を出してきたように見えます。何か武器らしきものがキラリと光りますが、この日は炎天下で目の中に汗が入るやら陽炎やらでよくわかりません。でも友達も守らなければ、と銃を出します。威嚇射撃をしようとしたのですが、目に汗が入り、しかも角度的に太陽と敵が重なり(フライを捕ろうとしたときにボールが太陽と重なって見失ってしまった外野手のように)、狙い(はっきりと敵に当たらないけれど威嚇できるところ)がつけられないまま、撃ってしまいます。
何たる不条理。まさに太陽のせい。フランス領アルジェリアの海辺の太陽のせいです。
3 神様を信じないと重罪?
そして牧師が神への懺悔を求めますが、主人公は神様を、キリストを信じていません。それってダメなことなの?と主人公は問いますが、やはり裁判官や傍聴人はとんでもない奴だと。
お母さんを(極端に)大切にせず、神様を信じないからといって罪が重くなるなんて不条理じゃない?と主人公は問います。
 それにしても、新潮文庫の解説での語り手の謎については痺れますね。なるほど、と。カミュもすごいけど、訳者もすごい❗

我々に降りかかる不条理に対してどう振る舞うか、人はどう人と協力して解決できない不条理に応じるか。それが次のペストで描かれます。異邦人は個としての反抗と躊躇いが描かれていますが、ペストは仲間との青春群像劇。どちらも面白いですが、やはり異邦人で不条理の感じを味わうと、ペストはより面白く読める気がします。



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