生活保護世帯から東大で博士号を取るまで④

何があっても勉強だけはやめちゃいけない

既に書いたことは私に起こったことのごく一部で、私が夢を諦める理由としては十分すぎる困難が他にもたくさん生じました。

でも私は、何があっても勉強だけはやめてはいけないと思いました。
これをやめたら、本当に終わってしまうという気がしました。

だから、小さな畳の部屋に折りたたみ式のテーブルと丸イスを置いて、とにかく机にかじりついていました。

予備校代もなかったので、自分で勉強計画を立てて実行しました。
好きな数学の勉強を我慢して、文系科目の勉強にもかなり時間を割きました。

その結果、模試で良い成績を取ることができたので、それを地元の自習塾に持って行って特待生で入れてもらいました。
ここは自習スペースとしてしか使いませんでしたが、家は電気が止まるような状況だったので、勉強するには大変ありがたい環境でした。

受験直前の東大模試の結果

無事合格、しかし…

実は、進学費用以前に問題になるのが受験費用です。
試験の費用はもちろん、東京までの旅費も問題になります。
ここでも家計にかなりの無理を強いることになりました。

滑り止めを確保する余裕はないので、前期も後期も東大一本、浪人なしの一発勝負でした。
落ちたら死ぬしかないと思っていました。

結果、無事合格しました。
やっと何かを成し遂げたような気がしました。
しかし、まだ問題は山積みでした。

まず、先に述べたような事情により、銀行口座が作れないという問題が生じました。
給付型奨学金の内定ももらっていたのですが、これではそれを受け取ることもできません。

また、私名義の携帯電話料金の滞納も放置していた問題でした。
携帯電話自体は、離婚した父親に頼んで彼の名義で契約してもらいましたが、
私名義の請求はどうやら法的にも有効なようでした。

銀行口座に関しては、高校の校長先生(どうやら偉いらしい)と一緒に地元の銀行に行ったら作ってもらえました。
(一人で行った時には門前払いだったのに!)

携帯電話料金に関しては、実は今でも何とかなっていません。
当時高校生の私は一人で無料の弁護士相談も訪ねましたが、弁護士に言われたのは「どうしようもない」ということでした。

とはいえ、銀行口座が作れたおかげで奨学金は受け取れるようになりました。
これは、他の人には当たり前のことかもしれませんが、私にとっては幸運でした。

そもそも、給付の奨学金を貰えたのも幸運だったのです。
選考を通過したことはもちろん、応募できたことでさえそうなのです。

というのも、私の高校は、私の一つ上の代まで入学時に文理選択をする方式でした。
私がその方式で受験していたら間違いなく理系を選んでおり、
文系限定のこの奨学金は応募もできなかったでしょう。

私は必死で努力しましたが、それでも、運良く前に進めただけなんだと思います。

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