『そうだアメリカ、いこう。』と、思い立った日々を回想してみたら意外とアツ苦しかった
『そうだ京都、いこう。』これはJR東海の名コピー。
『そうだアメリカ、いこう。』これは中二病をこじらせた高校卒業後の僕の進路。
大道芸に魅せられて以降、思春期で中二病真っ最中だった僕は
世界一のクラウンに、おれはなる。
車(crown)ではなくて、
ピエロ(clown)のこと。
これ以外の将来は考えていなかった。
それと同時に、割と現実を見ていたので、勝負するなら10代。そして、他の人がやらないことをしよう。これが高校で進路に悩んだ末にだした結論。
それで『そうだアメリカ、いこう。』
そのために、日本で1年実績を積むため大阪に移り、語学学校のクラスが終わると、大阪市内にあるショーレストランに飛び込みで行ったり、大阪城や心斎橋筋、神戸のMosaicで大道芸する生活。
僕の芸が気に入らなかったのか、外国人観光客にツバを吐かれたり、酔っ払いに小銭を投げつけられたこともあった。怖いお兄さんにも絡まれた。意外と普通のことなので、なんともなかったけれど、周りの大阪人に話したらウケたのと、好きなことをやれて、自分の芸で一週間外食できるほど稼げていたので、10代の自分にとっては満足だった。
それはそれは楽しかった。
そして渡米当日、入学する大学も決まり、営業用の自作PVをCD-Rに焼いて、スーツケースに大量の商売道具(ボール、クラブ、ドンキで買ったマジックセット)と少しの着替えを詰め込んで、飛行機に乗り込みアメリカ行きの片道切符で留学が始まった。
ゲートを通る時、見送る家族を振り返ってはダメだと気持ちを高めるためにMr.childrenの「星になれたら」をひたすらリピート。
(同じ年代の人の鉄板)
期限は2年。
その間に学校を卒業して、次のステージに繋がらなければ帰国する。
ダラダラ続けないという意思決定。(後になって思うと、夢へのこの意思決定は効果絶大だったので、おすすめ。)
どうやって切り開いていけばいいのか、未知の世界だし、頼みの綱はmixiで頑張って探し当てた日本人俳優、ただ一人。10年前ですから…
だけど、決めたのであれば、腹をくくってやるしかない。
その結果、2年後に夢破れ、ハリウッドにかすり傷だけ残して(だと、信じてる)帰国。
敗因としては、3つ。(詳しくは長くなるので後日書きますね。)
・燃え尽き症候群
・現実に幻滅
・金銭的な問題
「ハリウッドで俳優やりてー」って言ってるだけは本当に時間が勿体無い。やりたいなら、恥を捨てて挑戦したほうがいいし、違うと思ったら引き返す勇気は絶対必要。当時一緒にやっていた人を映画やCMで観ると「おっ!がんばってるな」って思うから、成功できる人は成功できる。
ただし、彼らも日本での生活を捨てて、身一つで挑戦し続けているのは確か。
そして、帰国3週間後に「ここしかない」と入社した営業会社では
「ぞすッッ!!!!限界突破!!」
っと、比較的スムーズに日本社会に馴染み(?)、社会人生活が始まりましたとさ。
おしまい。
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長文、お付き合い頂きましてありがとうございました。
転職面接でこの話をすると、面白がってくれるか鼻で笑われるかのどちらかなので、自分と合う企業を探す手段として割と気に入っています。中途半端に大きい企業は毛嫌いしますが、業界の超大手かベンチャーには意外とウケがいいのが面白い。
あと、入門編程度にしか情報共有できないし、古い情報でよければ、
「ハリウッドでどうやってエージェント探したの?」
「どうやってオーディション受けていたの?」
「ビザは大丈夫だったの?」
「アメリカ怖くないの?」
「英語話せるの?」
「ジャグリング見せてー」
「マジック教えてー」等
なんでも受け付けますので、もしあればお気軽にDMくださいな。
このnoteを読んで僕のことをご存知の人がいましたら「今、元気でやっている」とだけ伝えておきます。byebye
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