見出し画像

【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (1) 道を歩いていて

(以前、「巡礼の迷路」として公開していたものの加筆改訂版の再掲です)

いつの世にも、いずこにも、思い込みの激しい人間はいるものである。
 
ちょとした出来事、ちょっとした光景が、偶然なにかの拍子に彼らの脳裏に強く焼き付けられる。すると、抗えないと彼らが勝手に思い込む衝動に突き動かされて暴走する。それが恋愛沙汰となると事はやっかいで、その独りよがりの暴走が、相手を周りを巻き込み、古今東西、数々のドラマを生んでいる。
 
この小説は、主人公シンイチの5年にわたる「巡礼」の物語。1989年に始まる物語。
ある女性への一途の思い込みが動かした、毎年一度のメキシコ詣でのお話。
 
もう四半世紀前になってしまった時代の話だが、彼の地の90年代の混乱の時代を背景に、タコスあり、ラテン歌謡への偏愛もありの奇妙な物語をお楽しみあれ。
 
 

成田を土曜日の正午すぎに飛び立ったアエロメヒコ57便は、13時間を経て、目的地の空港へと下降を始めた。

窓の外には、三方を山に囲まれた標高2200メートルの巨大な盆地のメキシコ・シティが広がる。人口1000万人近い巨大都市。その混沌とした大都市に彼女は住んでいた。
 
「森くん、また今年もメキシコか。好きだねえ、タコス。タコス巡礼の旅」
佐藤課長代理が、顔をくしゃくしゃにして笑いながら、シンイチが出した5日間の休暇願いにハンコを押して返してくれる。

「しかし、趣味もここまでくると、いずれ会社辞めて店開いちゃうとか?でも飲食は厳しいよ、君も食料輸入商社にいてお客さんと付き合ってて、そこらへんよくわかってると思うけど」と、ちょっと真顔で聞く。

「はい。よくわかっております。あくまでもこれは趣味ですから」シンイチは答える。
「あっちの本場の美味いタコスを日本で再現して食べるための、メキシコ詣でなんです。2年前に会社で1年留学させてもらったときに、トウモロコシのトルティージャの奥の深さに目覚めて、去年の訪問ではとうもろこしのプレス機械を手に入れたし、今年は、知り合いにサルサづくりの名人を紹介してもらう予定なんです」
 
こんな口から出任せの嘘がよくつけるもんだとシンイチは思う。
 
もちろん、タコスは嫌いじゃない。

マイース(とうもろこしの粉)からプレスしたてのトルティージャをさっとフライパンで焼いたのを片手に取って、シンプルに刻んだ玉ねぎに、焼いた肉、そして野菜がたっぷりはいった辛いサルサをかけて、かぶりつく。それは、もうこれは究極の体験だとシンイチは思う。

とうもろこしの香ばしい香り、肉と玉ねぎの旨味を、さわやかなシラントロ(コリアンダー)とグリーントマトがたくさんはいったサルサ・ベルデが引き立たす。日本ではアメリカ経由のタコスが幅をきかせてしまっているが、本場のタコスは、あの小麦粉の硬いシェルでチーズとかサワークリームがはいっているスナックとしてのアメリカ式のとは別物で、あくまでもおかずを挟む主食の炭水化物として、その料理のバラエティはほぼ限りなく存在する。

15世紀末のスペイン侵略よりももっともっと前、紀元前から何千年も現地の豊かな食材を生かして育まれてきた料理、メキシコ料理。メキシコで食べる家庭料理は、レストランの料理ともまた違って、いろんな食材の旨味をひきたてる調理法が工夫してあって美味しい。

でも、毎年同じ頃に有休と旅費と往復計26時間のフライトをかけて「メキシコ詣で」している理由は、まったく別にあった。
 
佐藤課長代理が「巡礼」とはよく言ったもので、ある意味、シンイチのメキシコ詣では、奇跡が起こることを信じて信者がすがるようにする苦行のような、そんな繰り返しなのかもしれなかった。

巡礼はスペイン語で言えばペレグリーノだが、でもタコスのための巡礼、ペレグリーノ・パラ・タコスじゃなくて、自分のはもっと切実な思い、自分の人生でとても大事なことのための巡礼、そう、我が人生のための巡礼、ペレグリーノ・パラ・ミ・ビダなんだと、誰に聞かれるわけでもないのに、毎回休暇を申請するたびに、シンイチは自分に言い聞かせてきた。
 
メキシコと日本の時差は13時間。直行便フライトも飛行時間は13時間くらいである。なので、土曜日正午すぎに成田空港を発つ直行便のアエロメヒコは、13時間後の同じ日土曜日の正午くらいにメキシコ・シティに到着する。これだと、最初にフルに週末が使える。
 
イミグラシォン(入国管理)を通って、1週間の滞在なのでたいした荷物もないが、アドゥアナ(税関)に列んでボタンを押してランプが緑ならそのまま入国となる。これは、税関でのちょっとした汚職がひどかったので80年代に導入されたランダムなチェック方式だという。

緑がともったのでさっさと入国すると、怪しげな運転手やら観光客客引きの人壁をすり抜けながらメトロつまり地下鉄の入り口をめざす。深夜はともかく、13時間たっぷりと休息して、まだ時間は早い午後の土曜日なので、スリが多いというメトロもさして気にならない。

二度、違う路線を乗り継いで、40分くらいで目的の駅、ラ・バシリカ(寺院)に着く。まだ午後2時、ごちゃごちゃした通りを10分ほど歩くと、いつもの定宿にたどり着く。宿はファックスで予約してあった。
 
家族経営のゲストハウスのような宿、オスタル・ルルデス。

通りに面した入り口を開けると、フロントに見覚えのある顔がみえる。
「ケ・タル?ホアキン!ケ・オンダ(ホアキン、元気?)」と声をかける。

「オー、シン!レグレサステ!(シン、戻ってきたか!)」満面の笑みをうかべて店番の顎ひげのホアキンが握手の手を差し出してくる。
「(我がバンドのメインボーカル、ホアキン!元気だった?)」シンイチはその手を堅く握って聞く。
「(ぼちぼちね。懐かしいよな、トリオ・ロス・アロマンティコス!)」
「(へへへ、時間あったらラファも呼んで演奏しようよ)」
「そうだね」そういうと、ホアキンは、フロントの奥のスタッフ部屋のほうに大声で声をかける。「アブエリータ、ジェゴ・エル・ハポネス!(ばあちゃん、ハポネスが着いたよ!)」

シンイチがチェックインの用紙を記入していると、奥から、白髪の70歳すぎくらいの小太りのメキシコ人女性が出てくる。
「アイ、シンイーチ、ケ・メダ・グスト・ベールテ!コモ・テ・ア・イド?ビエン?(また会えて嬉しいわ!元気だった?)」
熊のハグのような強いハグと両頬に老婆のキスの嵐。強烈だったが、シンイチはその歓迎がけっして嫌ではなかった。
 
留学の最後に下宿を引き払って帰国までの2ヶ月と、1年前の訪問時の1週間もここに滞在した。なんてことはない安宿だが、比較的清潔で、ロケーションも地下鉄の駅の近くでばっちりだった。

宿のオーナー一家の息子ホアキンがギターがとてもうまいと聞いて、同級生のラファエルと3人でバンド演奏も何回かやった。往年のボレロのバンド、トリオ・ロス・ロマンティコスをもじって、ロマンティックならぬ、クールに非ロマンティック、トリオ・ロス・アロマンティコスと称して演奏したが、演奏曲はどれもこてこてのラテンの「ロマンティック歌謡」ばっかりだったが。

メキシコの聖地、聖母グアダルーペ寺院の近くにあるのに、「ルルデス」、つまりフランスのマリア信仰の聖地ルルドのスペイン語読みとなっているのもちょっとおかしかった。
 
「うちの下宿の近くにね、ルルドっている安宿があるの。スペイン語読みだとルルデス、オスタル・ルルデス」
そう、このホテルは、最初は麻里に教わったんだとシンイチは思い出す。。
 
麻里は普段は口数少なく静かだが、自分の研究分野になると饒舌になる。
「観光ガイドとかに書いてる聖母マリアの世界三大奇跡は、フランスのルルド、ポルトガルのファティマ、そしてここメキシコのグアダルーペとなっているけど、ファティマは20世紀、ルルドも19世紀なのにくらべて、ここグアダルーペの奇跡は1531年12月。コロンブスが新大陸を発見したほんの40年後の話なの」

「意思国(いしくに)みつける、1492年コロンブスのアメリカ大陸発見か。メキシコ人は、それはアメリカ大陸がコロンブスを発見した年だ、とかジョークを言うけどね」とシンイチ。

麻里はジョークには無反応で続ける。
「キリスト教の布教、どんな宗教の布教でも、やっぱり、奇跡って大事なのよね。具体的な奇跡を目の当たりにして、人は信心深くなる。難病が治ったり、水の上を歩いたり。

処女受胎でキリストを産んだマリアは、それが故に人間の原罪が無いの。なので永遠に死なない。そう、人間は原罪がゆえに、限られた命で死ぬのね。その永遠のマリア様がときどき現世に現れてくれて困った人たちを助けてくれる、そんな民間崇拝がある。それがマリア信仰で、後日、バチカンでも認められるようになっていくの」

彼女のマリア崇拝の話は始まるといつも止まらない。

「その救済の仕組みが、泉が難病を治癒してくれると村全体が治療の場となったのがフランスのルルドだとすると、それは宗教学的だけじゃなくて社会学的にもおもしろい研究対象なの。

メキシコの場合は、スペイン侵略後たった40年くらいで、スペイン侵略前の土着のアステカやマヤの神様たちに絡めて、褐色の肌をしたメキシコ人のマリア様が現れたとされた背景には、もちろん植民地政府やカトリック教会の意図があったはずなのね。なので、歴史的にも、文化人類学的にも非常におもしろい研究対象なの」

「それで、その宿、オスタル・ルルデスも泊まってシャワー浴びると奇跡が起こって腰痛が治るとか?」シンイチがまた軽口を挟むと、やっと麻里は笑う。

「ないないない。たんなる安宿ね。感じがいい家族が経営だけど。うちの下宿から歩いて5分なの」
 
麻里に会ったのは、その年から2年くらい前、日本では昭和が終わって平成が始まった1989年の春だった。

彼女を初めて見たときのその瞬間の映像は、シンイチの網膜に焼付けられたように刻み込まれ、それは目をつぶればいつも目の前に再生できて、片時もシンイチの脳裏から離れることはなかった。
 
シンイチの会社派遣の1年間のメキシコ留学もあと残すところ3ヶ月となったある週末、同級生のラファエルとその彼女のピラールが、コヨアカン広場の近くのディスコテカに踊りに行こうとシンイチを誘う。

3人で、タコスを立ち食いできる屋台みたいなタケリア(タコス屋)で、くるくると炭火の前でゆっくり回ってほどよく焼けた肉塊を削ぎ落としてくれた肉と、細い日本の青ネギみたいなセボージャを数本いれたタコス・アル・パストールをささっと食べる。もちろん、グアカモレと備え付けの定番サルサ・メヒカーナをたっぷり入れて。ピカンテ(辛い)、でも美味い。タケリアは日本でいうとラーメン屋のようなもの。ささっとランチで食べてもいいし、夕食でも、飲み会後の深夜の締めで寄ってもいい。
 
「ピカ・リカ?ベルダー?」ピラールが笑ってシンイチに聞く。美味しく辛さがくるでしょというような意味。

「(今夜はさ、彼女がいない帰国がせまったシンに、かわいいメヒカーナの彼女を見つけるお手伝いだよ)」とラファエルが笑う。

「オー・アミーゴ・ミオ、エストイ・ヨランド(友よ、涙出るよ)」とシンイチはおどけるが、ちょっとわくわく期待したりもしていた。
 
ディスコテカとラフェルがいっていた店は、ディスコというより、バーで踊れるスペースがあるところだった。

アルカーノというのが店名。生バンドの演奏がある日もあったが、スペイン語のポップスのレコードをかけている時もあった。
 
店にはいると、既に音楽がガンガンかかっていて、7、8人の男女が踊っていた。

あれ、これジプシー・キングス。たしかフランス在住の変ななまったスペイン語で唄うジプシーの兄弟のバンドの曲だとシンイチは思った。なんで、メヒコ(メキシコ)の曲じゃないのかな。メヒコにもいい曲いっぱいあるがなあと思い、ピラールにきいてみる。

「(理由?かんたんよ。ジプシー・キングスが去年くらいから全世界ヒット中なの。いま、フランスでもスペインでもこういうディスコいったら絶対かかってるわよ。去年のモザイクっていうアルバムけっこういいわよ)」
ピラールがそういう間もなく、カミナンド・ポー・ラ・カジェ、「道を歩いていたら」というそのアルバムからのナンバーがかかってきた。ジプシー・キングスにしては静かなバラード。たった4行の俳句のような短い歌詞をなんどもなんども繰り返す不思議な歌。
 
「道を歩いていたら」(歌詞訳)
「道を歩いていたら
君を見た
ある日恋に落ちた
君と」
シンイチはこの曲、よく覚えていた。道を歩いて君を見たら、恋に落ちた。それだけの歌詞。人生、出会いってそんなもんかなと。
 
「バモノス・ア・バイラール!(踊ろう!)」と二人は言うが、シンイチはちょっとこのビールを全部飲んでからねと、二人を先に行かせる。
二人は、ジプシー・キングスの歌で、ノリノリ楽しそうに踊っている。店もだんだん混んできていた。
 
人混みの中に、日本人っぽい、東洋人の女性がぎこちなく踊っているのが、シンイチの目にはいってきた。

メキシコ人女性数人の友達と踊りに来ているという感じだった。

長い髪をアップにして、あまり化粧気のない顔に楽しそうな笑みを浮かべて、その女性は音楽に合わせて体を揺らしていた。

薄いグリーンのワンピースがとても似合っていた。

それを、シンイチは見ていた。彼女も視線に気がついたのか、シンイチのほうを一瞬ちらっと見る。
 
すると、その瞬間、その女性の周りの映像がぼやけてみえる。
 
急に視野が縮んで、周りが霞んでいく。
目を擦る。
 
ぼやっと霧のように外郭がぼけた視野の真ん中に、はにかみながら踊ろうとしているどの女性の姿が、はっきりと見えている。

すると、今度は画像がスローモーションに画像処理されていく。映画のワンシーンみたいに。

幻覚?

へんな麻薬がビールに紛れ込んだか?ラファエルの悪戯か?アステカの強烈な惚れ薬かなにかなのか?とシンイチ瞬時に変な想像をする。

網膜にくっきりと刻み込まれる映像。
 
でも、なぜか、だんだんと腑に落ちてくる。

これは「道を歩いててひと目見て惚れた」やつに違いない。

そんな妙な悟りがシンイチの頭の中を駆け巡って、染み渡っていく。思い込みが加速して行って、一足飛びに結論にたどり着く。

探し求めていた。

やっと会えた。

自分は今、この姿を自分の両眼の中に納めるために、今生を与えられこれまで生きてきたと、そう思う。

大袈裟な結論。

でもなぜか、しっかりとそれが腑に落ちていく。
 
曲が変わる。

今度は、同じジプシー・キングスのアルバムの、「ソイ」(自分は)という曲。

アップテンポの曲。なぜか、サビの短い部分で、踊っているみんなが、キャンプファイヤーの高校生みたいに、大声で歌詞を叫んで合唱して盛り上がっている。
 
「イ・ポルケ・ヒタノ・ソイ
コモ・ロ・ピエンソ・ボイ
エス・ウナモール、ミビーダ」
 
ギターの間奏中、いんちきフラメンコ振り付けで踊るやつがみえる。シンイチもビールを置いて、踊りに入っていく。
 
「イ・ポルケ・ヒタノ・ソイ
コモ・ロ・ピエンソ・ボイ
エス・ウナモール、ミビーダ」
 
何度も何度も、踊りながら叫ぶ。
 
「それは僕が自由気ままなジプシーだから
思ったとおりに、行動してる
これは愛、人生最愛の君よ」
 
既に仲良くなっていた、ラファエルたちとその女性たちの踊りの輪にはいっていく。

いっしょに叫んで、踊って、笑う。

こてこてラテンの無邪気なノリ。みんな、きゃあきゃあ騒いでいる。踊りながら、シンイチの目は、ずっと東洋人の女性に釘付けだった。
 
歌が終わる。

笑って顔合わせる。
 
「(おい、シン。メヒカーナじゃなくて、おまえにハポネサ(日本人)みつけたよ)」、
どうだ、といわんばかりにラファエルが言う。

「(こちら、マリ、こちら、シン)」ピラールがかしこまって紹介する。
 
これが、シンイチのタコス巡礼、5年間のお話の始まり。

(続く)
 


(続く) 全15話



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?