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【短編】アンデスの雪解け 世界の中心から一番遠い所でニヤリと眠る


チンボラソ山(エクアドル) 赤道直下の山
海抜高度で見た場合世界一高い山はエベレストであるが、赤道地域の方がエベレストのある場所(北緯28度)よりも地球の半径が大きく水面も高い。このため、標高ではチンボラソの6,268mよりエベレストのほうが約2,580m高いが、地球の中心からの距離ではチンボラソが約6,384.4km、エベレストが6,382.3kmとなり、約2.1kmチンボラソの方が離れている。(Wikipedia)

大学の1年先輩にNさんという人がいた。ひょろっと背が高くて、短髪なのにボサボサの髪で、細長い顔がいつも日焼けしているような人だった。

日焼けの訳は、たしか登山部で結構山登りしていたから。当時、僕は中南米を研究するという学科にいて、そこの1年先輩だった。

その研究室は、先生が現地主義で、学生もどんどん現地へ行って来いという感じだったので、僕がその研究室にはいったときに、多くの先輩達がなんらかの形で中南米渡航経験者だった。遺跡の発掘の手伝いだったり、文化人類学のフィールドワークの手伝いだったり、あるいはそういうのがないと、単に数ヶ月バックパックして回っていたりと。

先生たちもけっこう眼光鋭く、学問には厳しいという感じで、学生たちもまじめに学者になろうとしている人もいて、研究室に出入りしている先輩たちは、なかなか賢そうで、こちらがアホなことを聞くと冷ややかな目でみられそうな感じもした。研究室には、スペイン人の詩人やらアルゼンチン人の日本文学研究家やら謎のメキシコ人やらも出入りしていて、ちょっと緊張して研究室に足を運んでいた。そんななかで、全然そんな緊張感がなかったのがNさんだった。

授業の合間に研究室をのぞくと、ひょろ長いNさんがソファで居眠りしていたりした。いつも、へらへらっとした感じで、ちょっとおもしろいことを自分で言うと、牛乳瓶の底のような眼鏡の奥の目が、ニタニタっと笑っていた。

「N君は中南米、行く国ごとになにか盗まれたり、だまされたりしてるから。真似しないように」とNさんと同学年の女性で、アルゼンチンの農場になんだかんだ長居して半年くらい住んでいた先輩がNさんを前にして僕らに言う。

Nさんは、ニタニタっと笑って、「そうなんだよな。なにかスラれたりしちゃうんだよな」。ペルーのリマだったかでは、パスポートがはいった財布を飲み屋でスラれたとか。後でその飲み屋にいったら、お金が抜かれた財布がでてきて、ちゃんとパスポートは入っていたとか。

「そういえばカウンターでひとりで飲んでたら、やたらフレンドリーな女性が隣に座って話かけてきたんだよな」と笑いながら話す。「なんかやたらフレンドリーでべたべたタッチしてきて、肩に手をまわしてきたりとか、こっちもまんざらじゃなかったんだけど、お酒のんで楽しくすごして、酔ってあんまり覚えてないんだけど、ビール代もおごってくれたんだよね」「でもあとで思うと、あれ、スリだったんだよなあ」と笑う。

「Nさん、だめだなあ」と後輩の我々も笑う。なんとも脇が甘くて、たしかにこの人だとスリとか詐欺師とかには大人気だろうなという、ゆるゆるな感じの人だった。

なぜか、その頃、僕は、バックパッカー貧乏旅をするなら、この人がお師匠さんだなと思った。

大学3年の夏に3ヶ月ちょっと南米をうろつく計画をたてているとき、Nさんに根掘り葉掘り、いろいろ話を聞いた。安いホテルの見つけ方、移動は長距離バスがいい、お金はドル札を持っていってそれをこまめに闇レートで現地通貨に替えるのがいい、などなど。

「でもね」とNさんはニヤニヤしながら付け加える。「あんまり準備万端じゃないほうがおもしろいんだよね。ハプニングとかあって」

「それでおもしろいやつとの出会いがあったりするんだよ。ハプニングがきっかけで」と笑う。

貰ったアドバイスが役に立ったかどうか、よく覚えていないが、僕の旅はつつがなく、スリにも会わず、唯一、マチュピチュに行く電車の駅でバックパックが鋭利なナイフで知らない間にすっと切られていたぐらい(中にはみかんとか、洗濯物とかだけで被害無し)。

たしかに、Nさんの言う通り、予期せぬハプニング、おもしろい人との出会いにつながったというのはあった。マチュピチュに向かう電車で、向かいに座った欧州からの旅行者が僕のバッグが切られたのを見つけてくれて、裁縫セットを貸してくれた。その人物とは、その後何十年もいろいろと交流がある。

     *     *     *     *     *

その後、大学を卒業して、Nさんは商社マンになった。

僕もその後、中南米の発電所とか鉄道とかのプロジェクトにかかわる仕事をする会社にはいった。卒業後も、年に1回くらいは、まだ20代で独身の卒業生が集ったりすると、Nさんもみかけたが、あいかわらず、「どう元気?」と、ニタニタっと笑っていた。

20代後半に、Nさんはその商社の仕事でどこかアンデスの国の駐在になった。けっこうみんなも色んな国にばらばらと散らばったりして飲み会も減っていった。いまみたいにインターネットがあるわけでないので、音信は、電話で話したり、はがきや手紙で近況を聞いたのが、仲間内で伝わってくるくらいだった。今思うと、当時はどうやって連絡をとっていたのか不思議な気持ちになる。

こんな便りもあった。Nさんと同期のMさんがニューヨークに滞在していた時、クリスマスの近いNYに、南米に駐在していたNさんがひょっこり現れたという。

Nさんは一枚の写真を見せて、「近々、結婚することになった」と笑う。年齢的に30歳手前くらいの頃か。写真には、若いコロンビア人美女が彼の横に微笑んでいたという。

その翌年、突然、訃報が届く。

Nさんがエクアドルの標高6千メートルのチンボラソ山に登山して、遭難した。捜索隊をだしたが見つからなかったと。

チンボラソ山は、赤道あたりにある高山で、標高はエベレストより数千メートル低いが、遠心力なのか、地球が赤道あたりでより太いので、チンボラソ山の山頂は地球の中心から一番遠い地点になるとある(wikipedia)。

まだ雪解け前の冬山の登山だったのか。大規模な雪崩も発生していたと聞いた。遺体は見つかっていないらしい。コロンビアーナのフィアンセはどうしたのだろう。

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後日談。

それから4、5年後、僕は仕事でベネズエラのカラカスに出張した。ある電話交換機導入のプロジェクトで、商社の人もいた。たまたま週末をはさんだ出張だったのだが、その商社の人が、カラカスから飛行機で1時間くらいのカリブ海にロス・ロケスという国立公園があってとてもきれいなので週末いきませんかとお誘いあり、ひとつ返事で参加。商社のひと2名とうちの会社の先輩と僕で、プロペラ機に乗ってその島へ。とてもきれいな島で、シュノーケリングをしたら、日焼けで真っ黒になった。

帰りがけだったか、最後のカラカスでの晩飯の席だったか、その商社がNさんが居た会社だと思い出し、「御社にNさんっていませんでした?大学の先輩なんです」と聞くと、「えっ」と。

「あの話しは社外秘なんですよね。彼は、会社に届けずに休暇中に登山して、遭難して、会社としても捜索とかいろいろ大変だったといってましたよ」

「現地の登山仲間と2人で登ったらしいんだけど、1人は調子悪くなって途中で引きかえしたのに、彼は1人で登っていったらしい。雪がふり始めていたとか。それでおそらく足をすべらしてクレバスの中に落ちてしまったらしい。氷の穴だから危険だし、雪だし、捜索は打ち切られたと聞いてます。この件、新聞とかにもでてないはずです」

「そうだったんですか。遭難したとだけ、たぶん誰かが家族から聞いて、同窓生から伝え聞いて知っていました。クレバスでしたか。それでは見つからないですね」

とくにそれ以上話しが続くこともなく、それでこの話題は終わって、他の他愛のない会話となった。

僕の酔った脳裏には、一瞬、クレバスに落ちた、登山装備のNさんの姿が浮かんだ。でもすぐに画像はすうっとズームアウトして、白い頂のアンデスの高山の全景になっていって、それも、雪が舞う中で、霞んでいって、消えてしまった。

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さらなる後日談。

それからさらに25年くらい年月が過ぎて、大学の恩師が80代で亡くなられた時、教授を偲ぶ会というので同窓生が集まって、会の後、6、7人で軽くビールを飲んだ。

「そういえば、Nだけど、地球温暖化のせいか、氷河が溶けて、彼の遺体が25年くらいして見つかったとか聞いたよ」と先輩が、なんとも驚きのことをさらっと言う。

「ニュースにもなってないし、家族が彼と親しかったやつに話したのを伝え聞いたので、詳しくは聞いていないんだが」と。

なんと言っていいかわからず、「不思議なこともあるもんですね」と、ビールを飲む。沈黙する。みんな「不思議だな、それ」と言う。「Nらしい、かもね」

すると、今度は、しっかりとズームアップした画像で、クレバスに落ちて氷漬けになっていて25年間、ぜんぜん年をとっていない30歳のNさんの姿が脳裏にはっきりと浮かんできた。

フル装備の登山服姿で、雪焼けの顔に、スキー帽を被っている。

牛乳瓶の底みたいな眼鏡の奥の目は、ニヤリと笑っている。

懐かしい、人懐っこい、とてもいい笑顔で。

(タイトル写真は、Noteクリエーターのペルー?の写真を拝借)

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