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Youは何しに地の果てのモンテビデオに

1. ウルグアイ  2. モンテビデオでの出会い 3. Youたち   (3900字)

1. ウルグアイ

1984年7月の話だから、もうずいぶん前のこと。

南米の国ウルグアイは、当時はまだ1972年から続いていた軍政下にあった。学生のとき、夏に3ヶ月南米をバックパック旅行したとき、1週間ほど滞在した。後で知ったのだが、奇しくも僕が旅行した翌月の8月に、軍事政権は、翌年1985年の総選挙実施と民政移管に合意している。

ウルグアイはサッカー好きなら知っている国だろうが、小さな国で、本当に日本からは地球の反対側。アルゼンチンよりさらに東にある。首都モンテビデオは、ブラジルの方から流れてくるラプラタ(Rio de la Plata)の大河の河口を挟んで、ブエノスアイレスの対岸にある。河といっても、もう湾のように巨大で、東京湾にたとえたら、ブエノスが横須賀でモンテビデオが木更津のような位置関係。

たしか(かなり記憶曖昧)、ブエノス都心から市内の路線バスに乗って小一時間で、ラプラタ河に面したフェリー乗り場に行って、そこから数時間のフェリーでラプラタ河を横切って対岸へと移動した。南半球は7月は真冬。肌寒く、空もどんよりと曇っていた。ラプラタ河は、濃い茶色の広大な大河で、この色が噂に聞いた肥沃なテッラ・ロッサ(赤い大地)の土の色で、上流のブラジルとかに豊かな農産物をもたらしている母なる大地の色なんだろうなと思った(もしかしたら普通の単なる土砂か、河が汚染されていただけなのかもしれないが)。

対岸についたら既に夕方で暗くなってきていたので、さらに首都に向けて移動するのは断念。そのフェリー乗り場の街で一泊する。

当時はオンライン予約もないし、地球の歩き方の本もまだ南米版がなかったので、"South American Handbook"というイギリスの出版社が出している4センチくらいの厚さのガイドブックを東京の丸善で買って、メキシコ中米の部分と南米の部分で真っ二つにして、南米部分を持って旅行を始めた。当時、バックパック宿で会ういろんな国の旅行者の多くがそれを持っていて、"the Bible" (聖書)と呼んでいる人もいて、こっちは真っ二つにしたのだったので、なんともバックパッカーの聖なる書を冒涜してしまったかなと思ったが、「南米だけ動くならそれグッド・アイデア」とか言われた。

というのは、結構、1年かけて南北米大陸を走破するとかいう猛者たちがいたということもあった。当時は南米の経済破綻で年間数百あるいは数千%のインフレで、USドルの現金を持って移動していればかなり安く過ごせたというのもあった。

フェリーで移動中に、そのバイブルを隅から隅まで一生懸命読んで、ウルグアイという国がどんな国なのか、これからの移動手段や、宿はどこにしようか目処をつける。

2.モンテビデオでの出会い

国境の街で一泊して、翌日朝にバスに乗って、首都モンテビデオに向かう。たしか、数時間で首都に着く。

首都モンテビデオは、特に軍政でピリピリしていということはなくて、とても小綺麗なヨーロッパの小都市のような街という印象だった。幸いとても良い天気で、青い空に港町らしく海から潮風が吹いていたが、冬なのでかなり寒かった。なんだか、北欧の街にまよいこんだような気分もした。

バイブルで目処をつけていた安宿に荷物を置いて観光でもしようと、宿をめざしたが、途中ちょっと道に迷ってしまった。道行く人に地図をみせて道を聞く。初老の小柄なおじいさんが、親切に宿までの道を教えてくれる。

どこから来たのか?というので、ハポン(日本)だ、と答えると、「ハポン!」と驚いたようにニコニコ笑う。あたかも生身の日本人をみたのが人生で初めてだというように。隠居の老人なのか、暖かそうな毛糸のセーターを着て、新聞片手に散歩しているという感じだった。今思うと、ジョー・バイデンみたいな人の良さそうな、白髪の笑顔の爺さんだった。

それで無事に宿について、午後は観光をしたが、今でも覚えているのは、博物館と、たしか建国の英雄みたいな人物の墓(墓というより地下モニュメントのようなもんだったと記憶)。軍政だなと思わせたのは、けっこうそういう政府施設の警備が自動小銃もった兵隊みたいな人たちが警備していたこと。かつては、「南米のスイス」とか呼ばれたこともあったようだが、他の南米諸国の例にもれず、20世紀はやいうちから民主主義が定着していたものの、ポピュリスト躍進から汚職もはびこり都市部の反政府ゲリラが社会不安を煽り、結局70年代には軍によるクーデターで経済成長で共産化を防ごうという長期の軍政になってしまった。そして、軍政も長引くと、人権弾圧やらいろいろな重たい問題を抱えていく。原油価格下落で経済も破綻し、反政府デモも起こる。

ふらっと入った街のカフェとかレストランは、アルゼンチンといっしょで、コーヒーは結構おいしく、パンや肉料理が美味かった。分厚いステーキが数USドルで食えて、あまり美味くないワイン(当時は南米はまだ欧州の技術がくる前のレベルの低いワインが多かった)にテーブルに置いてあるソーダ水をシューッといれてワイン・クーラーにして飲んでUS1ドルとかだったのが、貧乏旅行者には嬉しかった。

3日目、街をまた一人うろうろしていると、遠くから大声が聞こえてきた。「ハポン!

見ると、大通りの反対側に、あの道を教えてくれた爺さんが、同じくらいの年配の奥さんらしき女性といて、手を振っている。

道を横切って会いに行くと、ニコニコと、その奥さんらしき女性に、おそらく「これが話ししていた数日前に会った日本人の旅行者だよ」とか説明している。

僕はまだ日本で3ヶ月スペイン語の授業をとっただけで、南米3ヶ月の最初の2週間目だったのでスペイン語は片言だったが、たぶん、モンテビデオ観光楽しんでますよ、もうこんなとこ行きましたよ、みたいな立ち話をしたはずである。すると、爺さんが、奥さんとなにかしゃべった後で、身振り手振りを加えながら、「今晩、家で晩御飯を食わないか」というようなことを言ってくる。紙に住所を書いてくれて、午後8時にここに来てくれという。もちろん、喜んでと答える。

南米の晩飯時間は遅い。夕方シャワーを浴びて髭そって、持っていた中で一番まともな服に着替えて、爺さん宅へと向かう。紙には、ペレスという名前があった。ペレス爺さんか。

それは街中のアパート街のなかにあった。小さく、質素ながらも、よく掃除されて小綺麗なアパートだった。爺さんと奥さんに加えて、もうひとり30代くらいの女性がいた。

ワインと煮込みのような手料理をご馳走になって、いろいろ、片言で話をした。奥さんだと思った人は、"novia" 「ガールフレンド」だと言うので聞くと、爺さんは奥さんに死に別れて、近年そのガールフレンドに会っていっしょに住んでいるという。30代の女性は、爺さんの娘さんで、いったん結婚したが離婚して今はとりあえず爺さんのところで住んでいるという。小柄なイタリア人みたいで、静かできれいな人だった。

やはりインフレが年間数百%あった当時は経済危機下で、年金生活者の生活は決して楽ではなさそうな感じであったが、慎ましやかに生きている、というのが伝わってきた。まあ、よく片言でいろいろ意思疎通ができてたもんだと思うが、案外どうにかなるもんである。

旅というのは不思議なもので、こんなひょんな出会いがあると、メインの観光名所の記憶よりも、食べた名物料理よりも、そうした出会いのほうが深い想い出になって、その街を思い出すと必ずその出会った人たちの顔が浮かんでくる。

ペレス爺さんとは、その後帰国してから2度ほど航空郵便での手紙のやりとりをした後は疎遠になってしまって、それから既に30年近くが過ぎている。でも今でも、サッカーでウルグアイがでてくる試合をみると、必ずウルグアイを応援してしまう。

3.Youたち

近年、日本のTVで番組で「Youは何しに」とかで、日本に来た外人旅行者と日本人の交流のエピソードをみると、そんな自分の出会いの記憶が蘇ってくる。

数年前、京都のパブ立ち上げを手伝ったが、ワーキングホリデーで日本に来ていたパブで働いていた若者たちとビールを飲みながら語ると、彼らの若さと、無計画でモラトリアムな貧乏旅の話が聞けて、なんだか楽しかった。つい自分の昔の旅を思い出してしまったが、決してそういうときに、年寄は昔はおれもこんな旅行をしたぞと若者相手に昔話はしてはいけないと自制している。その代わり、ビールをおごる。

おそらく、Youたちは、自分の生まれ育った地元では、ちょっと孤立しがちな「社会的なミスフィット」が多いのではないか。自分のことを振り返るとそう思う。自らの地元では居場所が見いだせず、若さ、馬鹿さを原動力に、世界をみてやろうと自分に言い聞かせて、自分探しの旅に出る。

ミスフィットで、ともすれば内向的なYouたちも、地元から遠く離れた見ず知らずの地では、自分から積極的に社交的に、片言の現地語を駆使して人々と交流しようとする。それで、いろいろ現地の人にご馳走になったりいろいろお世話になったり、いろいろ迷惑をかけたりするんだが、触れ合えた現地の人たちにもちょっとした非日常の感動を残して、そして去っていく。

このララランドの唄(↓) "Fools who dream" (夢見るアホたち)は、若き芸術家に捧げた応援歌のようなバラードだが、無計画で、人生の最短距離を歩むとしたら無駄なことばかりしているバックパッカー貧乏旅行者たちにも、同じようなことを捧げていいのではないだろうか。と、この唄のなかのフレーズ、"Here to the mess we make" (我々が起こすドタバタに捧げて)を聞いてて、そう思った。



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