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近未来SF連載小説「アフロディシアクム(惚れ薬)」No.3 リュイスの事情(2)

連載15話くらい(予定)、プロットと前回までの回はこちらのリンクに:

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パコーン。

テニスよりちょっと軽めの音が響き、四方がガラスの壁で囲われたコートの中で、パデルのラリーが続いていた。

このパデルという競技、前世紀の終わり頃にスペインで広まった後、21世紀に入ってから急速にラテン諸国でブームとなり、2036年のムンバイ・オリンピックで正式競技になって以降、2050年代の今では世界の競技人口がテニスを越えるにまでなっていた。

テニスと違って、老若男女、初心者上級者、ことなるレベルの人でも壁の反発をうまく利用してボールがアウトになること無くラリーが続くというのも人気の理由のひとつであった。

バルセロナの海岸沿いのポブレノウのマンションのパデル施設で一汗かいた後、リュイスとその日本人のパデル友達のナスは近所のバールでハモンをつまみながら冷えたカーニャ(生ビール)を飲んでいた。

「リュイス、どう、その後、おまえの惚れ薬の臨床試験は?」
ナスこと、那須泰彦、47歳、バルセロナ在住32年の日本人が聞く。

「その惚れ薬はやめてよな。恋愛感情を活性化させるホルモン調整であって、飲ませたら惚れちゃうというようなもんじゃないからね(笑)」

「わかってる、わかってる。しかし、恋愛したことない、でもその感情を知りたいという人って存在するんだなあ」

「そうだね、臨床の治験者候補は、あんまり人にいっちゃいけないんだけど、半分が芸術家というか、古今東西の恋愛が動機の過去の芸術作品に感動したものの自分でそこまでを経験したことがないという人だね。ほんとに、恋して舞い上がって飯もろくに喉を通らなくなって、それでラブレター書いたり詩人になったり、なんていうのを一度は経験してみたいっていうような人たち。

残りはいろいろだね。でもみんななんらかの自分のアセクシュアリティに悩んで、セラピストから聞いて関心をもったらしい。まあ僕らとしては、メッセンジャーRNAによるホルモン活性化が脳を恋愛感情を起こしやすい状態にすることはわかっているので、その投与がへんな副作用を起こさないかの確認が目的であって、活性化してそれぞれがどんな恋をするかなんて学術的関心はまったくないんだけどね」

「おれも手をあげたかったんだが」

「ナス、おまえには不要。小柄なルビア(金髪女性)が大好きという理由だけで海を越えて日本から来て、めでたくカタルーニャ人の奥さんを射止めているだろ」

「うん、まあね。ばつ1で二人目だけど、たしかにむらむらというと語弊あるがめらめらと沸き起こってくる恋愛感情には事足りないことはないよな。俺には恋愛バイアグラはいらないということか。そういうおまえはどうなんだい?まあ、おまえが惚れ症で、かーっと熱くなるのはよく知ってるが」

「そうだね。お前にも責任の一端があるが、婚期が遅れているのは、強烈な恋愛がうまくいかなかったという簡単な理由なんだけどね」

「すまん、それは謝る。これからもずっと謝る。おまえがパリに行くっていうもんだから、古い知り合いのパリ在住の真理を紹介したのは俺だからね」

「それはもういいんだ。もう7年もたっている。彼女に振られてから、俺もカタルーニャの独立っていう必死になるものがでてきて、それで失恋の気持ちも落ち着いたしね。。。でもね、ここだけの話、人にいえない、お前だけに言うけど、俺ね、あのストーカーのように熱くなった自分の恋愛感情が怖くて、メッセンジャーRNAでドーパミンのホルモン分泌を抑える治療を3年前からやってるんだ。認可とろうとしている治療の真逆。こっそり自分でやってみてる。それでね、以前ほど、男女関係で熱くなりすぎることが無くなった気がするんだよ」

「へえ、そうだったんだ。あの時大変だったからね。まじで、お前、自殺するんじゃないかとまで思ったよ。失踪した真理と話したらどうにかなるんじゃないかと彼女を探したが、このデジタル化の世の中でありえないんだが、ほんとに跡形もなく消えてしまったんだよね、突然。まあ、どこか山奥の修道院かなんかで偽名で尼さんになってたりするんだろうなあと修道院もあたってみたが手掛かりなし」

「もういいんだよ。不思議なことにね、すべてが遠い思い出というか、昔みた映画のシーンみたいでね。パリでの出会い、いっしょにすごした日々、あれはあれでとても美しい思い出だったと思ってる。いまはそれなりに食事して会話を楽しめる相手はいるし、セックスライフもそれなりに充実している。この人とずっとぜひと思う、結婚相手候補はいないんだけどね」

「お前もあのまま政治の世界に入っていたら、今頃、大臣か副首相かだもんな。そうしないで、惚れ薬研究者のままいて、俺なんかとパデルいっしょにやってくれてありがとう」ナスは、そういってぬるくなったカーニャのグラスをあげた。

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2049年にスペインから独立したカタルーニャ共和国では、30年以上前の独立運動でのジュンツ・パル・シ(カタルーニャ独立に一緒にYes)から誕生したカタルーニャ連合党から、党首であるジャルマー・マスが首相に選出された。2052年のカタルーニャ総選挙を経て、2053年には第二次マス政権となっていた。

独立の熱狂がだんだん収まるかと思われていたが、独立から4年目の2053年時点ではまだまだ独自のカタルーニャ文化の再興の諸策が大胆に展開されていた。何世紀もスペインへの同質化圧力で失われつつあったカタルーニャ語のリバイバル、音楽、演劇、スポーツ競技、手工芸品、ありとあらゆる伝統芸能が掘り起こされ、復元されていった。そもそも、カタルーニャがスペインの中核をなすカスティージャとは異なる出自の独自の文化を持っているという命題のもと、数千年前まで遡っての過去の歴史や建国の神話までありとあらゆる文化的再考が行われていた。

あれだけ独立への熱い思いをもっていたリュイスだったが、意外に、独立後はそうしたカタルーニャ独自の文化のリバイバルにはちょっと醒めた気持ちを感じていた。

「あ、そうか、恋愛感情をおさえるホルモン分泌抑制の治療が、おれのそうした熱もさましてきてるのかな」そんなことまで思ったが、SNSで何億回も再生された自分の国家独立へ熱弁が恥ずかしくなるくらい、数年前の自分に違和感を感じつつあった。

そんな時、リュイスは、友人ナスに勧められて読んだ、20世紀の日本の作家のバスク紀行の本のカタルーニャ語訳の本にこんな一節をみつけて、なるほどなと思ってKINDLEハイライトをつけた。

. . . 民族には民族的自尊心と独立心が異常に昂揚する時期がある。そういう時期には、その人が他のことについてどれほど知的であっても、こと自民族の古代的成立に関する核の部分になると、神話的気分を、親鳥が羽交のなかで卵のもろい殻を温めつづけるような可憐さときわどさをもって大切にし、ふと絶対化してしまうらしい。

司馬遼太郎「街道をゆく22 南蛮のみち I 」


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2053年3月のドノスティアでの学会まであと2か月、リュイスとそのチームは臨床実験の途中経過報告のデータのとりまとめで多忙な日々を送っていた。

臨床試験のこれまでの結果では、懸念すべき異常値はでてきていなかったが、いくつかの症例で、過去に多重人格的な傾向を精神科医に指摘されていた治験者に、ドーパミン分泌増加で恋愛感情が向上される過程で、その抑圧された人格についても活性化が起こっている可能性があるという報告があった。

EUと関連の欧州各国が今回の臨床試験実施国であった。リュイスは、データ分析の合間のコーヒーブレイク時に、総勢400人の治験参加者データを何気なしにブラウズしていたら、ふと、元ウェールズ、今のカムリ共和国での治験者に日本国籍の女性がいるのをみつける。

33歳、スウォンジー中央病院勤務看護師、独身、トモミ・イイノ。

イイノはかつてリュイスが好意を抱いた女性、マリ・イイノと同姓だった。

日本ではよくある名前なんだろう。リュイスは思った。

(No.4 朋美の事情 (2) へと続く)


この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとはこれっぽっちも関係ありません。医学的な知識はまったくでたらめで、SFなので政治的な内容はまったくの妄想で幾ばくかの根拠もありません。

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