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【連載小説】 「私の味(サボール・ア・ミ)」  (11)  エリカと海

麻里からの留守電メッセージを聞いたのは、米国東海岸時間で既に深夜1時だった。

時差1時間後のメキシコは今、深夜零時。麻里のメキシコの下宿のセニョーラは高齢なので電話の取りつぎはせいぜい夜10時が限界だったので、麻里に電話することは断念する。
 
メッセージからは、エリカの元彼氏がフランスで自殺したこと以外は事実はわからない。エリカがショックを受けて部屋に籠もってしまっているらしいこともわかる。エリカの実家の電話番号は知らない。
 
非常事態と思い、去年結婚したラファエルとピラールの家に電話してみる。

「(シン!夜中にどうしたんだい?タコスデリバリーしてくれとか?)」
いつものように明るいラファが電話にでてくる。まだ寝ていなかったようだ。

「(夜遅くすまない。ちょっと緊急事態。エリカがショックを受けて籠もっているらしく連絡をとりたいんだ)」

「(お、あの日墨ハーフのグアパ(美人)が?どうしたんだ?)」

「(パリ在住の元彼氏が自殺したらしいんだ。麻里からのメッセージあったが詳しくはわからない。オレ、明日朝大事なプレゼンがあって朝はばたばたして電話できない。それでエリカに手紙を書こうと思うんだが、ラファの研究室ってファックスあったっけ?)」

「(もちろん、あるよ。わかった、おまえがこれから手紙を書いて朝オフィスからファックスするから俺は明日の朝、研究室に寄ってそれを持ってコヨアカンのエリカの家に行って渡す、だな?)」

「(おまえ、いつも頭がいいやつだと思っていた。ドクトール(博士)、そのとおり)」

「ノー・プロブレマ!(いいとも)」

「(ありがたい。この恩はいつか)」

「(次回のおまえの巡礼の時にがっぽりとな。そういえば今年来てないな。アメリカで近くなったと思ったら逆に巡礼が遠のいたな。そうだ、報告。ラファエル・ジュニアがもうすぐ生まれる。男の子だ)」

「(おおお、それはおめでとう!素晴らしい)」

「(おまえにパドリーノ(ゴッドファーザー、名付け親)になって欲しい。来月生まれたら正式に頼むよ。バウチソ(洗礼)には来て欲しい)」
 
深夜2時。

明日は、朝7時に事務所へ向かってラファにこのファックス送って、それからプレゼン資料を整えて8時半には所長と取引先に行くから、今、寝る前に手紙を書き上げようとシンイチは思う。シャワーを浴びて、コーヒーを淹れる。狭いワンルームの部屋中に香ばしい香りが広がる。

最初、いつも文通に使っている薄い航空書簡のトレーシングペーパーのような便箋を使って書き始める。うまく書けない。感傷的すぎる。楽観的すぎる。励ましになっていない。

書いては丸めて捨てるのを3回ほど繰り返してから、はたと気づく。そうだ、ファックスだから普通の紙でいいんだ、むしろ普通の紙じゃないとファックスできないんだと。

A4の普通の紙に太いボールペンで書き始める。何度も丸めて捨てる。これでいくか、と思った頃には窓から見える空がちょっと白んできていた。朝6時だった。
 
「エリカ様、

ファックスで失礼。ラファエルに配達してもらいました。1週間はかかる航空書簡にくらべると超特急便です。今、金曜の明け方、おそらく今日金曜の午前中には届けられていると思いますが、すごく便利な時代になりつつありますね。21世紀はあと7年先です。

フランスの元彼氏の事、昨夜の麻里からの留守電で聞きました。

こういう時はお悔やみの言葉として何を言っても書いても、当事者の喪失感と深い悲しみは埋められないけど、僕も深い悲しみを感じています。

会ったことがなかった人だけれど、素晴らしい才能があって、あなたが惚れ込むくらいですから、かけがいのない人だったに違いありません。単細胞の凡人の僕と違って、男性にも女性にも恋愛感情が持てるあなたが好きになった人間だから、それは特別なものを持っている人だったに違いありません。
 
あなたと同い年の僕がもったいぶって諭すのはおかしいけれど、30年以上生きてきて解った人生の法則というか格言があります。それを伝えたくてファックスしました。

「人は突然、理由なく死ぬことが多い。死にはあまり意味はない」ということ。
あんまり格言ぽくないですが。

親しい人との死別は人生の中でもとても辛い重みのある出来事だけど、決して死は、神が定めた深い意味のあるタイミングや形で起こるものではなくて、多くが偶然起こるものだということ。

なのに、残された人は、その死の背景に「なぜなのか」という問いを一生自問自答して、その答えのない問いを発するごとに傷つく。

残された人は、その死を防ぐために、その人を救けるために自分はなにかできなかったのか問い続ける。

残された人は、その人が死ぬ前に話すべきだったことを沢山思い出して、伝えられなかったことを後悔し続ける。
 
たしか、ビクトル・ユーゴーだったか文豪が、人間はみな執行猶予のついた死刑囚であるとか書いてました。

私達は、死刑が確定した囚人といっしょで、それが確定したからといってすぐ執行されるわけではなくて執行に猶予がついているものの、最後には死ぬことに定め付けられている限られた一生を生きている。

私達はいつか死ぬ定めなので、死刑執行が猶予されている間、精一杯生きるしかないと思うんです。

拷問のように辛い喪失感も、エンドレスな後悔も、時が癒やしてくれます。僕にもこれまでの人生で何度かそんな経験がありました。レット・イット・ビー、ケ・セラ・セラ、なるようになる。今は思いっきり泣いて、悲しいで淀んだ体の水分を全部涙として流して、そしてシャワーでも浴びてスッキリしてください。

僕も、麻里も、あなたのために、いつでもどこでも、ディスポニブレです。スタンバイして、そこに居ます。かならず、居ます。

巡礼者が歩き疲れた脚を休ませ疲れを癒やす、巡礼の街道の宿みたいなもんです。誕生年・誕生月・星座もみんな同じという運命のくされ縁だからでしょうかね。
 
Un abrazo gigante, 巨大なハグをこめて   信一」
 
ファックスを無事に送って、午前の仕事のプレゼンのほうもどうにかこなした。
 
夕方帰ってきてから、出前のピザをビールで胃に流し込んで、追加で要求されていた資料を準備して、それを取引先へファックスする。遅くなったのでタクシーを呼んで、帰路に着く。

タクシーの後部座席で揺られながらひとり呟く。
「しかし、疲れたな今日。24時間働けますか ♪ ジャパニーズ・ビジネスマン ♪・・・。24時間どころか48時間ぶっつづけだったな・・・」
 
家に着くと、既にもう深夜だった。

誰もいない乱雑な自分の部屋に入ると、まず、暗闇に留守電が点滅しているのが目に入る。

メッセージ数を示すカウンターはメッセージ録音が13個あることを表示していた。
(続く)
 
 「アルフォンシーナと海」(歌詞部分抜粋訳)
入水自殺したアルゼンチン人の詩人アルフォンシーナ・ストルニのことを歌う、アルゼンチンのフォルクローレの名曲。

「あなたがどんな苦悩を抱えていたのか、神のみぞ知る
どんな古い苦痛があなたの声を黙らせたのか
海の貝たちの歌に誘われて安らぎを得るために                
海の底で貝が歌う歌に誘われて
アルフォンシーナ、あなたは孤独と共に行くのか
どんな新しい詩をあなたは探しにいったのか?
風と塩の古い声は
あなたの魂を破滅させてそして連れ去る
そしてあなたはあちらの方向へ行く、夢のなかのように
眠れるアルフォンシーナ、海におおわれて」


 


 


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