見出し画像

【連載小説】「私の味(サボール・ア・ミ)」  (10) 生き方の違い

シンイチの1992年の3回目の巡礼の副産物は、エリカとの文通だった。
 
麻里とは数年前からシンイチからは月一くらい、麻里からの返事は不定期で、航空便のやりとりを交わしていた。

いつもシンイチが麻里への想いを長々と伝え、それに対して、麻里からの返事は、自分の日々の日記のようなほんわりとした記述と、時に、自分の専門分野の研究がでてくる内容からなっていた。

シンイチは当初は戸惑ったが、そこには、シンイチの想いをはぐらかすような拒絶の意図もないし、恋愛中の男女の駆け引きのような心理戦もないということがわかった。

ごく自然に、生まれつきの天然の気がある麻里の存在そのものが、そこにでているだけであった。なので、その言葉の裏に隠された感情を読み取ろうとするのは意味がなかったし、そのほんわりした存在感が手紙を通じて届いてくることがむしろ嬉しかった。
 
なんともほんわり、こんな風に。
「お手紙ありがとう。私はあいかわらずです。博士論文が通って無事博士号もらったけれど、あまり生活は変わらず。引き続き、研究室で文献を読み込んだり、聞き取りのフィールドワークに出たり、時々、教授のTAで学生指導したり。日本人駐在員の中学生のお嬢さん向けに家庭教師したり。
 
そういえば、昨日、カスパールがとっても大きいものを運んできてくれました。
カスパールは3匹のうち、一番年寄りの猫。
以前書いたと思うけれど、ここの下宿の私の部屋の窓の外が野良猫の散歩道になっていて、常連さんの3匹がちょうど若者、壮年、老人だったから、私、新約聖書の東方の三賢者の名前を私が勝手につけて呼んでいるんだけど、そのメルキオール、バルタザール、カスパールの三匹のうちの一番おじいさん。立派なひげがある猫。

前、若いメキオールがスズメの死骸を私の窓のところまで持ってきて置いておいてくれた話はしたでしょ?
猫の贈り物なんて、なんだか、ちょうど偶然、私が名前を拝借してつけた、夢のお告げでイエスの誕生を知って贈り物を届けにきてくれた東方の三賢者みたいでおもしろいかなって。星に導かれて、贈り物をもってまいりましたみたいな。
若き賢人メキオールは黄金を持ってきてくれるはずなのね。スズメ。たぶん、スズメって野良猫にとっては黄金なのかしらね。

それで、今週、こげ茶のカスパール老猫が持ってきてくれたのが、聖書にある「没薬」ならぬ、けっこう大きめの「ネズミの死骸」。
没薬って、樹木から作る、昔の殺菌鎮痛剤みたいなものね。当時は命を救ってくれる大事で高価な薬だったの。ネズミは干からびてカラカラだったから気持ち悪くはなかったけど、カスパール、がんばって獲ってくれたんだと思うと捨てられなくて、カスパールにはご褒美にツナ缶あげて、ネズミはずっと窓の外にほっておきました。ツナ缶はベラクルス旅行のオニギリのツナマヨの具と同じメキシコのブランドでした。
 
さあて、あとは、新約聖書だと乳香(にゅうこう)という今だと香水みたいなものを持ってきてくれるという賢人バルタザール。

3匹のうちの黒猫くんだけど、ちょっとところどころ壮年で白髪がではじめてる彼は、なにを持ってきてくれるんでしょうね・・・いい匂いのするものだといいけれど」
こんな調子の手紙が多かった。
 
1993年にはいると、メキシコ政府は、過去数十年にわたるインフレで1ドル300ペソまで桁が増えてしまっていたペソを1000分の1にするというデノミを断行した。混乱を防ぐため新たなペソは当面ヌエボ・ペソと称されることになる。新しい紙幣と硬貨が発行されるなかで、以前、古いものも流通していた。

好調だったメキシコ経済も少しづつ変調の兆しを見せ始めていた。引き続きNAFTA期待で経常収支赤字を上回る直接投資を中心とする資本が流入して外貨準備は積み上がりペソの強含みを支えていたかのように見えたが、その実態は、短期的な資金がドルを売りながら高いペソの金利を求めて流入する所謂キャリー・トレードも増加していて、それは不安定なものであった。ひとたび不安が広がれば逆流を起こして、ペソ暴落を招きかねないような。
すでにデノミ後に1ドル 0.32ペソ近辺で固定されていたペソに、その割高感から、投機筋の固定相場攻撃の兆しがところどころに見え隠れしていた。6年目を迎えた自由主義改革を断行してNAFTAを梃子に経済成長路線を進めていたサリーナス政権も、国内人権問題や汚職問題で躓きをみせていた。
 
エリカからの航空郵便は、意外に几帳面で丁寧な文章で綴られていた。

エリカは小中と東京のインター校だったが、親の方針で高校からはミッション系の都内の私立の女子校に移ったので、日本語を本格的に勉強の中心に据えたのが高校からだったという。ちょっと不思議な日本語の書き言葉だったが、話す時とは違う一面が見れるようで、おもしろかった。
 
「信一様。お手紙拝見しました。
お忙しいところ、いろいろ書いてくれてありがとうございます。あなたの書く、食料品の輸入の話はとてもおもしろいと思います。食用サボテンの輸入でトゲの処理に苦戦した話とか、読んでいてとても可笑しかったです。
(中略)

ア・セクシュアルについての質問については、私が読んでいる英語のアメリカのけっこう最先端のセクシュアリティ学の本から、次のようなことをお教えすることができると思います。

いろいろな統計がありますけれど、人口の1%くらいがア・セクシュアルとも言われています(こんな数字どうやって調べたんでしょうね?)。でも100人に1人くらいのマイノリティだということはそうなのかなとも思います。

ア・セクシュアルは、「他者に性的欲求を抱かない」というセクシュアリティという意味です。

以前議論しましたけれど、私の意見ですけれど、性的なことだけでなくて、恋愛感情の有無からくるジェンダーのグラデーションもあるんだと思います。

「他者に恋愛感情を抱かない」のは、まだ学術的用語はないようですけど、シンイチさんたちのバンドと同じ、「ア・ロマンティック」と私が定義付けちゃいます(アロマではありませんからね、ア・ロマンティック)。
 
以下は私なりの分析です。

私達の友人そしてあなたの最愛の麻里さんは、性的自認は「女性」、恋愛感情についてはそれを持つことがない「ア・ロマンティック」、性的欲求についてもそれが無い「ア・セクシュアル」の傾向があると私は思います。

新情報としては、私、先月再度聞いてみました。麻里は、他人に対して、強い感情、会わないと居ても立っていられないような想い、恋い焦がれる思いという経験はこれまでの人生で一度もないそうです。小説や映画のそういう描写が実感としてよくわからないと。

私が、それってかわいそう、というと、全然、私はこれで幸せ、むしろ、やりたいことに全力を捧げられて、やさしい両親や兄弟や友達に囲まれて幸せな人生、失恋して人生に絶望、なにも手につかないとか自殺するとかいうほうが、とても可哀想という返事でした。

その考えに迷いはないように思いました。この点では、あなたの彼女に対する一途な気持ちというものは、彼女の理解を越えているものなのかもしれません。

しかしながら、麻里も、家族としての生活のパートナーを持つことは嫌ではないのではないかと思います。彼女、子供好きそうだし。お互い尊敬しあって信頼しあうパートナーというような。そこに性的なことや強い恋愛が関わると苦手だということだとはおもいますけれど。なので、信一さん、まだチャンスはあるとおもいますよ。
 
私のほうは、ご存知のとおり、女子校時代の彼女には、強い恋愛感情があって、キスすると性的興奮も覚えました。肉体関係はそれ以上はありませんでしたが、彼女と過ごした時間は素晴らしいものでした。ある本によると(ちょっと眉唾のオカルト本ですけど)、人には3人くらいの「ソウルメイト」が存在して、生まれ変わるたびに、いろいろな形でそのソウルメイトに出会うことがそれぞれの人生に課されている運命とのこと。彼女は、絶対に、その私のソウルメイトのひとりでした。

あまり語りたくありませんが、私達はまわりに引き裂かれました。そして私は彼女を失った。でも、またいつか、来世みたいなところで彼女にまた会えると思っています。

その後に音大時代出会ったギタリストの彼氏も、会えないと狂いそうになるくらい好きでした。セックスも素敵だったし、性的興奮もあったし、すべてが最高でした。彼も、私のソウルメイトのひとりだなと確信しています。
どうやら、私にとっては、相手が女性とか男性とかはあまり関係なくて、その人がもたらしてくれる恋愛感情や性的な興奮が一番大切で、ちょっとオカルトチックですけど、数人いるというソウルメイトが、今世ではたまたま異性だったり同性だったりということなんだと思っています。そう考えるのが一番自然で腑に落ちるんです。

いろいろあってそんなソウルメイトのはずの彼と別れた後は、かっこいいな、かわいいなという対象は時々出会うし、むこうから求められたりも多くあるのですが、私が付き合った二人ほど、強い感情を感じたことはありません。もう何年も相手がいない31歳ですけれど、犬や猫ではないので、性的に惹かれただけで強い恋愛感情がないのに付き合うというのは嫌です。おかあさんとかは、もっとデートしなさいとうるさいのですけれど。
 
ギタリストのソウルメイト・ナンバー2の彼は今はフランスに住んでいますが、彼と別れることになったのは、いくつもの出来事の積み重ねの結果なのですが、あるとき、この人は自分のことだけが大事なんだ、あの人の今の人生には私の居場所はないんだと悟ったのが理由でした。

まだ彼が私のソウルメイトの1人だと確信していますが、今世の彼はちょっと自己中心すぎると思います。いっしょにいると辛いんです。でもその傾向があるからこそ、素晴らしい演奏ができるというのも正しいです。彼の演奏は本当に凄い。神業です。人間を越えています。

でも時々とてもひどいことを言うんです。演奏会で、情熱こめた演奏を自分がすると、聴いている観客の女性の中に演奏を聴いて必ず濡れちゃっている人がいて、自分は演奏していてそれがわかるって。ひどいでしょ、この発想、そしてそんなこと私に言うというのも。

お互い生まれ変わって、また次とかその次くらいの人生で出会えたら、もう少し相手のことを考えられる人に進化してたら、考えてあげてもいいと思います。今でも彼のことはとても好きなんですけれど。

どう思いますか、こういう考え方?大好きだしソウルメイトだとわかっているんですけれど、いっしょにいると辛すぎるという相手。そしてそれを引きずっている今の私。

ご意見お聞かせください。   かしこ」
 
「エリカさん、お手紙ありがとうございます。
セクシュアリティの議論、性的マイノリティのスタディの話、とても興味深かったです。ありがとう。

まだ、そこまで定義づけしてこまかく決めつけるのはどうなんだろうかと思いながら、当事者が辛い思いをしているのが、そうした整理をつけることで、生きていく重荷を軽くできるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。
 
あなたの最後の質問については、うーん、なんとも答えを持っていませんが、ビートルズのポール・マッカートニーも人生に迷って困った時はこうだと歌ってますね。
 
When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me,
speaking words of wisdom
"Let it be"
.
ははは、ご存知のレット・イット・ビーですが、ここにでてくる Mother Maryはポールの実母の メアリー・マッカートニーとも、聖母メアリーだとも解釈できますが、ポール自身がどちらの解釈でもいいですよと言っているようです。

我らが聖母マリアも、レ・イッ・ビー、なるがままにまかせなさい、と言ってくれている、いいですね。

気持ちを自然に暮らしていけば、なるようになるのではないでしょうか。
ケ・セラ・セラというドリス・ディの名曲もありますね。たぶんイタリア語のケ・セラ・セラだろうけれど、セラっていう動詞、スペイン語もまったくいっしょですね。be動詞の未来形。外国語の未来形っていいですよね、期待や思いや、投げやりな気持ちも混じっていて。こちらは厳密には、我々が見届けることのない将来についての話かな?
 
まあ、思いつめても今なんともわからないことは気にしないで、どうにかなるよ、ということだとおもいます。
Un abrazo fuerte 強いハグをこめて  信一」
 
シンイチは書きながら、我ながら、いい加減な回答をしているなと苦笑する。

はぐらかしているわけではないが、答えがない質問であることはたしかなので、正直、これくらいしか答えられない。
 
不思議なことに、麻里からの返事が不定期で、毎月のシンイチからの手紙への返事がこないことが多いなかで、エリカからの手紙は几帳面に毎月半ばくらいに航空便が届いてきた。シンイチもすぐに返事を書いていたので、なんだか月報のような手紙のやりとりが積み上がってきていた。
 
 こんなちょっと気になる内容のこともあった。
 「信一様
まずは、麻里情報から。

先週ランチしたら、珍しく浮かない顔してて、どうしたのって聞いたら、学問上の方向性で悩んでるとか。

研究対象がカトリックの組織だから、調査の時に、自分の宗教について聞かれることが多くて、これまでは普通の日本人で強いていえば仏教徒だけれどキリスト教に深い関心を持っているとか説明していればよかったけど、信仰についての議論になることがけっこうあって、自分の信仰ってなんだろうって疑問になってきたとか。

私は、それじゃ、私みたいにカトリックになったらと勧めちゃったけれど、麻里、真面目だから悩んでいるみたいなんです。研究を続けていく上でも、信者になってしまったほうがいいことも沢山あるのかなとか。

麻里情報、これだけです。信一さんが関心もつような話、浮ついた話は全然ないですね。麻里がシンは仕事で忙しそうって言ってましたよ。今年は定例の夏のタコス詣でも時期を延期みたいとか言ってました。夏がだめなら、秋とかでしょうか?
 
実は私も、方向について悩んでます。音楽的方向性というか、なぜ自分がギターを演奏するかという目的について。

ある意味、シンちゃんのアロマンティコスのバンドが羨ましい。楽しそうに演奏していた。音楽を楽しんでる。

私のほうは、半分が演奏のテクニックと日々の繰り返しの練習、残りの半分はいかに感じたことを表現していくかというところだけど、なんのためにそれを表現していくべきなのか、そんなことについて悩んでるんです。

ある意味、パリの元彼ギタリストの自分が神みたいな尊大さが羨ましい。ギターの演奏で女性観客を濡らすことを目的にしているようなゲスなんですけど、すごくいい、深みのある演奏するんです。

私は、そこまで自分の演奏が他の人に大きく感動してもらうとか、人を動かすなにかを持っているとか自信が持てないんです。麻里の場合、「えいやっ」てカトリックになっちゃう踏ん切りはあるんでしょうけれど(シンちゃん、だいじょうぶ。彼女はそこまで信仰心はないとおもいます)、私にはそういう大きな飛躍の手段がみえないんです。

でも、だいじょうぶなんです私、いろいろと自分なりに考えてます。
先月から、コヨアカンの小学校の生徒にギターを教えること始めました。私らしくない?失礼しちゃうわね、これも私です。学校に子供用のギターが5つしかないから、少人数クラスなんですけれど、毎週教えに行っています。なんだかこれで少し自分のバランスがとれてきた感じもするんです。なんのバランスかって?よくわからないんですが、傾いてる自分がちゃんと左右バランス戻ってくるような。信一さん、これ、あなたなりに分析して言葉にして説明を試みていただけると、私、嬉しいです。そういうの得意でしょ?あ、お仕事忙しいんでしたよね、ご無理なく。

実は、パリのゲス野郎ですけれど、実は、最近、月に1回くらい電話で話してるんです。国際電話まだ高いけれど、割引のサービスつかって、毎回10分くらい。

いつも向こうから突然かかってくるのですけれど、なんか向こうが元気ないときにかけてきて、声を聞きたかったとかね。
絶対的な神様にもときどき鬱なときがあるんでしょうかね。

正直、私は、本当は天才芸術家よりも、麻里みたいな浮き沈みのないバランスのある人が好きです。信一さんも、ストーカーにしては節度がある、バランス感はいい人だと思います。二人がとても好きです。同じ双子座の3人、ソウルメイトとは違うんだけど、なにか私達3人、深い運命によって出会ったのじゃないかとも思います。私がフラフラ、バランスを失ったとき、2人がどしっと近くにいてくれると助かります。右と左で、どしっと支えてくれると安心です。
  これで5月のエリカ通信終わります。 かしこ」 
 
シンイチの仕事の方で大きな変化があったのも1993年だった。1993年の年度明けのある日、上司から海外赴任についての内々の打診があった。
内心、やったー、メキシコ駐在員がもう駐在4年くらいだから、その後任か!と喜んだが、意外な質問があった。

「森くん、君のメキシコ愛はみんなが知っていることだけど、メキシコの駐在員のポストさ、現地の駐在員コミュニティとの兼ね合いもあって、所帯持ちがいいんだよね。うち食料商社だからさ、駐在員コミュニティの奥様たちとも和食食材の提供でお付き合いがあったりしてさ。
君、海外赴任決まったら、それをきっかけに身を固めてとかプランないの?現地のメヒカーナでもオッケーよ」
佐藤課長が、いつものように顔をくしゃくしゃにして笑顔のような半泣きのような不思議な表情で尋ねる。

「・・・正直、現状はありません」そう、シンイチは答える。
「そうか。そう言うと思ったんだよね。なんとなく。それで、今日の相談は、新たに米国東海岸に立ち上げる事務所の立ち上げ要員の話。
北米はNAFTAだからさ、カナダ、米国、メキシコで関税が安くなったんで、いろいろ食料品でもチャンス到来ということで、ニュージャージーに日本人は所長に所員で2人で現地社員3人の連絡事務所を立ち上げることになった。
君の強みはエスパニョールだしタコス愛もよくわかっているが、ニュージャージーを拠点で2、3年南北アメリカ大陸を飛び回ってみるっていうのはどう?これ、単身でもOKというか、けっこう所長候補が人使い荒くて有名だからむしろ若い独身がいいポスト」
詳細も、所長候補の名前も聞かずに、シンイチは「ぜひ、お願いします」と答えていた。
 
あわただしく7月に引っ越しとなり、米国に赴任した。

事務所の賃貸さがしから、営業車のリース、ローカルスタッフの採用、自分の家探しとばたばたとした。たしかに鬼軍曹で親分肌の所長の吉田さんの前で、夏に1週間休ませてくれとは言えなかった。「君には期待している。命がけでこの事務所立ち上げを私とやろう」なんて言う。

麻里には、やっぱり今年の夏は行けないが、ニュージャージーからメキシコは5時間くらいのフライトでいける場所だから、落ち着いた秋頃には行きたいと手紙を出していた。

事務所の吉田所長とは、文字どおり二人三脚で新しい取引の取り込みに奔走していった。お互い単身の米国赴任だったので、食事をいっしょにするのも多かった。
 
とある遅い夏の、遅い時間の夕食をニュージャージーのホーボーケンのダウンタウンのダイナーで一緒に食べているとき、吉田社長がなにかのきっかけで自分の大恋愛の末の結婚劇について語ってくれた。

「森信一もさ、もう30過ぎだったよな。でもな、焦るなよ。おれなんて38のときに大恋愛して10才以上年下のかみさんを射止めたんだよ。それで40代で2人の子供を授かり、50代になってもバリバリ働かにゃいけん。でもそれがすごく幸せだ。
かみさんとはさ、もういい年して一目惚れ。週末にひとりで伊豆のほうに磯釣りに行ったときに、ひとりで釣りしてたのがかみさんで、見た瞬間にびびっときたね」

「それって、ほんとに瞬間的なものでしたか?見た瞬間に相手の姿の周りの視界がぼやけるみたいな?」

「そうそう。うまくは言えんが、あの出会いは衝撃の一瞬。その一瞬が何分も何十分も続いたみたいに、その光景はずっと目に焼き付いている。その時、声かけたんだ、何釣ってるんですかって」

「あんまり劇的なセリフじゃないですね」

「ははは。まあな。それでいろいろ話しだしたら、話がはずんで、それでずっと2時間くらい一緒に糸をたれながら話していたんだ。電話番号聞きだして、翌週からは猛アタックでひたすら電話して、それで2ヶ月後にはプロポーズしていた」

「へえ、2ヶ月ですか。早いですね」

「それでさ、おもしろいのはさ、今でもかみさん言うんだけど、『私、あのとき、釣り糸をたれながら、あなたみたいな人が釣れるのを待っていたのかもしれない』なんてさ」

「あ、それが話のオチでしたか?ははは、でもいい話ですね」

「まあな。人生の教訓めいたことを言えば、目の前に餌が下がってたら、男たるもの、腹を決めて食いついていけということだ」

「よくわかんない教訓ですが、ありがたく、座右の銘にさせてください」

「まあ、焦るなよ、森信一。運命みたいなものは必ずお前にも来る」
仕事には厳しかったが、昭和な感じの、古臭いがけっこういい上司だった。
 
米国に移って多忙な中でも、あいかわらず二人の女性との文通は続いていた。シンイチと同じ年の同じ月生まれの、でも性格がまったく異なる二人の女性たち。それぞれ自分のセクシュアリティやら生き方に複雑なものを抱えた二人の女性たち。感じ方も、考え方も、生き方も違う二人。 

そんなことを考えていたら、シンイチは、80年代に学生時代にメキシコをバックパック旅行していた頃に何度もラジオで流れていた、マリアッチ出身の歌手ロシオ・デュルカルのヒット曲のさびを思わず口ずさんでいた。いろいろ違うんだけど、恋に落ちちゃった、という内容の。
 
「ディフェレンテス」(歌詞部分抜粋訳)
「あなたが一人寂しく苦悩に生きて
ひどく恋に落ちていると
今日知った、あなたに起こったもっと酷いことも                  
そう、私たち感じかたも違う
そう、私たち考えかたも違う
そう、私たち生きかたも違う
けれど恋に落ちた」
 
9月のある日、残業を終えてアパートに帰ると、留守電が点灯している。
テープを巻き返して聞くと麻里からだった。
 
「・・・エリカの元彼氏のギタリストがね、フランスで自殺したの・・・エリカ泣いて取り乱して、部屋に籠もってしまってる・・・」

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?