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【短編】80年代北京のボサノバ


Joao Gilberto and Antonio Carlos Jobim "Chega de Saudade" 

去年2019年にボサノバの大御所ジョアン・ジルベルトが死去したときに書いた文章。

ボサノバ革命は、ネアカでダイナミックな感じのピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンと、このぼそぼそ語る、へたうま系ギタリストのジョアン・ジルベルトの2大巨頭によってなされたと自分の頭の中は整理されているのだが、その残りの1人も逝ってしまった。

ボサノバが過去のものになってしまったようで、まさに chega de saudage、悲しみの到来。

厳密にいうと、この題名は悲しみ "tristeza" ではなくて "saudage" の到来なので、「サウダージ」は悲しみよりももっと広くて奥深い言葉とのこと。「哀愁」とか「郷愁」とか訳されることもあるが、ブラジル人じゃないとわからない、ボサノバのこころみたいなものらしい。

この曲、マイナーではじまって、サビのメジャーにかわるところがとてもいい。悲しかったのが、急にちょっと元気になってくる感じ。メジャーではじまってサビで暗くなるより、暗く始まってサビでふっきれて明るいのはいい。人生も、暗かった日々の後で、すっとふっきれて明るくなれるのがいいように。

ジョアン・ジルベルトのぼそぼそ感ある唄も、ポルトガル語の字余りで小節におさまりきれずに次の小節をくいにいったり、先食いしたりがあるけど、そのずれたリズムが心地よくて、なんともいい。

昔の話。学生時代、ジャズをやるサークルにいたのだが、ある日、バンドのギターのSくんから、彼が入っている途上国の問題を考える会とかいうサークルに音楽セクションがあって、民族音楽をやっているのでボサノバやろうよと誘われた。

その途上国のサークルは毎日、途上国の貧困問題とか議論しているような、なんだかこてこて左派集団?みたいな雰囲気あり、退廃的な資本主義の音楽の話をしたら怒られそうな感じがして、ジャズっぽいボサノバやってもいいのかなと思った。

音楽部門も、ケーナの達人がいてその彼を中心に「コンドルは飛んでいく」のような物悲しいアンデス音楽をやっていた(それはそれで結構よかったが)。ほかはよく覚えていないが、バリとかの音楽もあったか。

最初、ちょっと場違いな思いをしたが、ギターのSくんと、そのサークルのもうひとりギターのMくんと、ぼくの管楽器で、何回か練習して、本番には名前は忘れてしまったがマラカスを担当してくれた実はアンデス音楽が本職の人と、Joao Gilbertoの唄とかを数曲やった。学園祭で2回くらいやったかな。イパネマとか、Corcovado とかO Baquino とか。結果、なかなか好評だった。

その時初めて会った、ギターのMくんがボーカルだったが、彼は普段のしゃべりかたもぼそぼそとしていて、歌うと、へたうま和製ジョアン・ジルベルトみたいでいい味してた。

彼はその後、中国の研究家の学者になって、天安門事件前の北京で留学して研究していた。80年代、何年のときだったか忘れたが、北京留学中の彼から絵葉書がきた。

独身で一人で北京のなんたら研究所にいて、たしか春節(旧正月)だったかでみんな里帰りしてしまって、大学寮には人がだれもいなくてがらんとしてしまった。暇でやることもたいしてないので(当時の北京はいまでは考えられないほどナイトライフの無い暗い街だったのだろう)、もってきたアコースティック・ギターでボサノバ唄ってたという。ジョアン・ジルベルトの曲とか。

すると、どこからか、里帰りしなかったのかそれができなかったのか、寮の掃除していたワーカーの若い女の子が、作業をとめてじっと聞き入っていたのに気づく。

ひととおり終わると、「じょうず」といってくれた、と書いてあった。

なんだかその光景がありありと浮かぶようでおもしろかった。ぼそぼそ唄う和製ジョアン・ジルベルトと、出稼ぎのワーカーの女性。

もしかすると、海外の情報があまりはいっていなかった当時の北京での、唯一のボサノバライブだったかもしれない。

いまでは想像できないが、当時の中国は、文化大革命はとっくに終わっていたものの、外国人は人民元が使えず、外貨兌換券を使っていたような時代。街には人民服を着た人が溢れ、ジーンズやTシャッツの若者は居なかったはず。鄧小平が既に南の方ではじわじわと開放路線を進めつつあったが。

ボサノバのmajor 7th とか9th の都会的な洗練された和音と裏ではいるリズムは、いろんな国のポップソングに多大な影響を残しているはず。

映画ブルース・ブラザーズでも、最後の方の州警察に追われて逃げ込んだエレベーターで、まさに「エレベーター・ミュージック」としてイパネマの娘がかかっていたのには、にやりとさせられたが、熱くない醒めてクールな都会の響きがボサノバにはある。

また、ボサノバで世界中に大きな影響を与えた人が、ひとり世を去って行った。

(タイトル写真はNoteからランダムに)

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